いよいよ師走ということですが、みなさん走ってますか!
私はといえば、まあ早歩き程度でマイペースに参ります。
えー、お陰様を持ちまして、本年度のショップ・オブ・ザ・イヤーには、昨年を上回るご投票を賜ることができました。誠にありがとうございます。
まあおそらく、楽天からなんらかの賞を頂くということはまずないかと思いますが、そんな賞よりみなさまからお寄せ頂きましたコメントの方が、何倍も嬉しいわけです。
これからも壁にぶつかったり、うんこを踏んづけてしまった時などには、みなさまから頂いたお言葉を思い出し、なにくそ!負けるもんか!と、靴の裏に張り付いたうんこをアスファルトの路面でこそげ落とし、また新たな一歩を踏み出して行こう!と思う次第であります。
本当にありがとうございました!
さて、今朝新聞を見ておりましたら、こんな記事が目に止まりました。
「学研:「科学」と「学習」休刊 最盛期670万部、少子化で幕」
いやあ、実に残念です。
とは言っても、最近買ってなかったもんなあ~
そりゃまあこの歳ですから、まだ毎月買ってたらおかしいのですが、子どもの頃に慣れ親しんでいたものがなくなってしまうというのは、やはりさみしいものです。
私も小学生の頃買ってもらってました。
私の頃には「科学」と「学習」、あっ、こういう言い方をすると、「あのさあ、『学習』の方が昔からあるんだから、『学習』と『科学』って言ってよね!」などと注意をしてくる女子などがいるのです。
確かに二つの物や動作を並べたりくっつけたりする言葉は、その順序が重要なこともあります。
たとえばバスなどの「乗降口」です。
これは初めに乗る人がいなければ降りる人もいないということで「乗降」という順番になるわけです。車庫から乗客もセットになって出発しているわけではないからです。
それから、タイヤチェーンの「着脱所」というのがあります。
ただこれはたまに「チェーン脱着所」という看板を見かけることがあります。でもそれは間違いです。タイヤは初めからチェーンが巻かれているわけではないからです・・・あっ、もしかしたら雪国ではそうなのかな?
これはちょっと確認が必要ですねえ。
あー、ついでに「着脱」で思い出したから言っておきますけど、温泉などで「脱衣所」ってあるじゃないですかあ。あれって「服を脱ぐ所」って意味なので、服着ちゃいけないことになってしまうわけですよ。なのであれも「脱着衣所」ってした方が・・・いや、人は生まれた時はハダカなんだから、「着脱衣所」?となるのでしょうか。
えっと・・・あー、とにかく私は語呂がいいので「科学」と「学習」と言わせて頂きますが、私の子どもの頃には、それらは学校が窓口になって販売されておりました。
購入は前もって学級単位で購買の希望を聞かれ申し込むのですが、お金のある家か教育熱心な家のご子息ご令嬢以外は、「う~ん、どっちにしようかなあ・・・「学習」も欲しいけど、やっぱ「科学」の付録の魅力には負けるよなあ・・・」とかさんざん悩み、どちらかひとつに絞るのです。
私の場合はたいてい「科学」でしたが、たまに気が変わって「学習」にしたり、年末に配布される「お正月特大号」(こんな名称だったかしらん?)などは、その時限りの購入ということで先生に申し入れ、めでたく両方をゲット(その頃まだこの言葉は日本の小学生社会にはありませんでしたが)したこともありました。
また時折増刊号も発行されるのですが、私は「日本万国博」の特集号を買ってもらい、それは今でも、あまり伝統と格式のない我が家にとって、比較的古いお宝として大切に保管されているのであります。
「科学」と「学習」は毎月決まった日にちに配布されました。
配布はたいてい給食が終った後の昼休みに、担任の先生か、または先生の信頼の篤い係りの子どもが行いました。なのでこの日は給食を食べるスピードがいつもより早いのです。
私もわれ先に配布の列に並び、めでたくその月の「科学」を手にするのですが、もちろんお目当ては付録であり本はどうでもいいのです。
さっそく自分の席に戻り付録を開けようとすると、「学校では開けるなよ!
家に帰ってから開けろよ」という先生の声が飛びます。
あーた、そんなつれないことを・・・子どもの心が分からずして学校の先生が務まるとも思えないけどねえ・・・ホント・・・
そんなわけで「おあずけ」をくらってモンモンとしたまま午後の授業となるわけですが、付録の誘惑は先生の言い付けよりも強く、机の中でそっと付録の箱を開け、前もって目に焼き付けておいた完成写真を元に、手探りで付録の組み立てに入ります。
その時は大きなコマが付録でした。
付録の趣旨は「バランス」だったようで、コマの円盤の4か所にはめ込まれた金属製のボールを脱着(着脱?)し、いろいろなパターンでの回り方を実験するというものでした。
組み立てと言っても実に簡単なもので、箱に収まるように外されたいた部品をはめ込むだけなのです。こんなの目をつぶっても(まあ実際に机の中で見えないのですが)できます。ほ~ら、もう完成しました。
人間は常に進歩を求めるものです。作ったら次は使ってみたいということです。誰にもそれは止められないのです。人類の進歩と調和なのです。
私は組み立てたコマを回してみたい衝動に駆られました。でも、あまり大きな動きをして先生に見とがめられたら大変です。いくらコマは机の中とはいえ、私の腕は先生から見えているわけです。つまりコマを回すと私の上腕三頭筋が収縮し、それによって先生にバレてしまいます。でも、私の体に熱く流れる血が、「回せ回せえ」と誘いかけて来るのです。
ダメだ!そんなことをしてはいけない!授業中にコマを回すなんて!
私は毎月「科学」を購読して科学者を目指しているんだ!決して太神楽を目指しているんじゃない!目標は伝治郎で、染之助染太郎じゃないんだあ!
ガラガラガラガラガラ・・・
上腕三頭筋の動きどころか、古い木製の机の中で回ったコマは、想像以上に大きな音を上げました。
一瞬クラスの空気が凍りつき、ツカツカツカと私の席に近づいて来た先生は「出せ!」と怒鳴りました。
ものすごい剣幕に押され、私はすごすごと机の中からコマを出しました。
そしてコマ一式は、哀れにも先生に持ち去られて行ってしまったのであります。
コマは放課後になっても返してもらえませんでした。
私はその日、付録もなく抜け殻のように無意味になってしまった「科学」の本だけ持って家に帰りました。
結局、コマは2週間ほどしてから私の元へ返還されました。
でも返って来たコマは、なぜかあの日のように魅力的には感じられませんでした。なんだかただ大きいだけでデザインの悪い、実にコドモダマシ的な代物にしか見えないのです。こうなるともはやそれで実験をする気にもなれません。
私はコマから金属製のボールを外すとそれだけをポケット入れ、あとは半分へしゃげた紙箱の中に戻し、またフタをしてしまったのであります。
あー、次の付録が待ち遠しいなあ!
といったところで今回はおしまいです。
師走だからといって、急にジョギングを始めることもありません。
まっ、他人に流されず、自分の速度でコマを回しましょう。
それでは次回まで、
ごきげんよう!