さて、みなさんのところにはサンタクロースは来たでしょうか?
クリスマスプレゼントはもらえたでしょうか?
まあ「信じる者は救われる」なんて申しますが、私は枕元に2個の干し柿が置かれているのを発見した5歳のクリスマスの朝、サンタの存在を信じるのをやめました。親には親の事情というのがあるのでしょうが、そんな日本風のものでなく、せめてドライアプリコットかなにかにしてくれていれば、きっと今でもサンタクロースの存在を信じていたことでしょう。
とまあそんなわけで、不景気でもちゃんとクリスマスはやって来て(プレゼントはやって来なかったかもしれませんが)お正月もやって来るのです。
それにしてもこの一年は実にキビシー一年でした。
相変わらずの不況で物が売れないわけですよ。
まあ私自身もあまりお金を使わなくなりましたので、持ちつ持たれつ・・・じゃなくてその逆で、持たず持たせず持ち込まず? なんか非核三原則みたいになってしまいましたが、とにかくデフレスパイラルってやつで、世の中の金回りが悪くなって、景気がどんどん後退して行くという悪循環なわけです。
思えば昔はインフレが普通でした。給料は年々上がるのが当たり前で、でも物価もだんだん上がるという追いかけっこ。
授業でそれが「インフレーション」だと習い、その反対にだんだん物価が下がることを「デフレーション」と言うのだと聞いた時、「物の値段がどんどん安くなるなんて、なんてすばらしいことなんでしょう!」と、まるでデフレをファンタジーの世界の出来事のように思い、そんな状態は机上の理論でしかあり得ないと思ったものです。
それがあーた、ホントに来ちゃったよ、デフレの世界が。
なので考えようによっては、私たちは今、ファンタジーの世界に生きていると言えるかもしれません。まあ、ステキ!
えー、景気に関しましては頭の良い人たちが束になってあれこれやっていてこの状況ですから、私ごときがどうこう言ってもどうにもならないので話題を変えましょう。
新型インフルエンザですよ。
いったいいつまで「新型」って呼ぶのでしょう。
もしかして新幹線みたいにずっとそう呼ぶのでしょうか。
新しい型のインフルエンザが出たらどうするのでしょう。
「新型インフルエンザ2」とかにするのでしょうか。
それとも「新型インフルエンザ・知床純情編」みたいになるのでしょうか。
まあそれはまたその時に公募かなにかで決めればいいわけですが、新型インフルエンザの猛威はついに私の近辺にまでおよび、ついに家族に罹患並びに発症者が出てしまいました。ああ、万事休す!
と思いきや、私はちょっと喉が痛くなった程度で、熱はおろか、くしゃみ鼻水鼻づまり、夜泣きカンムシ乳吐きタダレなどもなく、日々スコヤカに暮らしております。よかったよかった。
これも今年の初詣で、商売繁盛ではなく、ただただ健康のみを祈った甲斐があったというものです。
そうそう、初詣って言やあもうすぐお正月なわけですよ。
やはりお正月というのはいいものです。
なにしろこの日はウソをついてもいい日なのです。
よくエイプリルフールはウソをついてもいい日なんていいますが、私はお正月の方がよっぽどみんなウソをつくと思います。
たとえば、
「よし!今年は英語をものにするぞ!」
とか、
「今年こそダイエット成功!」
とか、
「健康のためにお酒をひかえる!」
とかいう誓いを立てるのですが、結局みんなたいしてやりゃしないのです。
あー、アタシのことだよ!
だいたいどれもこれも「お正月が終わったら始める」というものが多いので、スタートからちょっと勢いがイマイチなのです。
やはり思い立ったが吉日、すぐに実行に移さなきゃね。
それから書初めでも「初日の出」なんてウソを書く人がいます。
10時頃起きてきて「初日の出」もないもんだ。
でもいいのです、お正月ですから、ウソついても。
結局達成できなくても、また来年のお正月でリセットなのです。
それに人生はとかく思い通りにはいかないものなのです。
逆に思い通りにばかり行ったらキモチ悪いのです。
私がかつて体験した「思い通りで気持ち悪い」というお話をしましょう。
その時私はいつもふたつの鍵を持っていました。ひとつは建物の入口の鍵、そしてもうひとつはその建物の中にある部屋の鍵でした。
その二つは同じメーカーの同じ種類のものだったので、基本的な形は同じで、ただ鍵の山の形だけが違えてあるというものでした。なので私の眼には違いが分からないのです。
それでも私は鍵に目印など付けず、毎回ドアの前で無作為にどちらかの鍵を選んでは鍵穴に入れ、「回る」か「回らない」かという実に非生産的なことをやっていたのです。
でもその確立2分の1の行為は、一種の賭けのようであり、その日の運勢を決める占いのようでもありなかなか楽しいのです。つまり二つとも一発で開いたら「大吉」、片方ひっかかれば「中吉」、両方とも回らなければ「小吉」(あくまでも「凶」はない)といった具合です。
そんなある日、私は「大吉」を引き当てました。
何気なく差し込んだ入り口の鍵も、同じようにして差し込んだ部屋の鍵も、どちらも一発でカチャっと音を立てて回ったのです。
私は嬉しくなりました。なにか良いことが起こりそうな気がしました。
そしてその日の夕方、朝とは逆にその鍵で錠を閉める時、また同じように「大吉」を引き当てました。つまりこの日は朝夕の二回とも「大吉」だったわけです。これはすごいことです。今までこんなことはありませんでした。もしかしたらなにか本当に幸運が舞い込むかもしれません。
その「幸運」に導かれたのでしょうか、次の日の朝、私はまた「大吉」を引き当てたのです。これで3回連続ということになりました。
しかしここで私はちょっと気味が悪くなりました。なんだか良いことが重なると(鍵が一発で開くということが「良いこと」なのかどうかはわかりませんが)、そのバランスを取るために、どこか別のところで悪いことが起こりそうな気がしたのです。もちろん何の根拠もないことですが、人生というのはそういうものなのだと思ったのです。
そこでその日の帰り、私はあえて最初に手に触れた方ではない鍵に持ち直すと、「回らないでくれ」と祈る気持ちで鍵を回したのです。考えてみたら実に馬鹿な話です。
ところが、
無情にも鍵はまた、カチャっと回ってしまったのです。
・・・・・
私は背筋に冷たいものが走るのを感じ、ゾッとしました。
これはきっとなにかある・・・
ああ・・・なんとかしなければ・・・
しばし茫然とその場に立ちつくしていた私ですが、ついに意を決してある行動に出てみることにしました。
それは、
まだ手にしている鍵を、もうひとつの鍵に持ち替えて、もう一度鍵穴に入れて見ることでした。
私は恐る恐るそいつを鍵穴に入れ、左にひねりました。
すると鍵はカチャっと音を立て、今しがた閉めたばかりのドアは再び開きました。
あっ・・・
そもそも自分で仮定した「可能性」でやったことでしたが、その事実はにわかに信じられませんでした。
うそ・・・
私は念のため、再びもうひとつの鍵に持ち替えやってみました。
カチャ
あら、回るねえ・・・
どうやら本来建物の入口用だった鍵は、この部屋の違う山形の鍵穴に何度も押し当てられているうちに摩耗して、この部屋の鍵穴にも合うようになってしまったようなのです。なので両方の鍵が一発で開く確率が高くなっていたということなのです。
な~んだ、理由が判ればなぁ~んてことないじゃない。
私は安心するとともに、思わぬ「マスターキー」の出現を喜びました。
そして私は、そのふたつの鍵のうちどちらが入口の鍵なのかを確かめ、そうでない方をキーホルダーから抜いてしまおうと思いました。なにしろこれからは建物の入口用の鍵だけで、部屋の錠も開けられるのですから。
さっそく建物を出ると、私は無作為に選んだ鍵を鍵穴に差し込み、右にひねりました。
カチャ
ははっ、一発で閉まったぞ。
こっちが入口の鍵にして便利なマスターキーだ。
ん、でも念のためにもう一つの鍵で・・・
カチャ
開いた・・・
なんだ、こっちの鍵も摩耗してたのか。
あれ?
違う山形の鍵が、それぞれ違う鍵穴に同じタイミングで合うように摩耗するという確率は・・・
いったいどれくらいなんだろう・・・
そしてそれは、ラッキーなことなのだろうか・・・
まあ今ではそんなショボい鍵はないかもしれませんが、自分に都合の良いことばかりが続くのも、結構気持ちが悪いというお話でした。
さてさて、これで今年のメルマガもおしまいです。
本年も摩耗してしまう鍵くらいショボいメルマガをお読み頂き、本当にありがとうございました。
また来年もがんばって配信して参りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
まだすぐには景気は回復しないかもしれませんが、気持ちだけは強く持って、明るい新年を迎えましょう。
それでは、
良いお年をお迎え下さい!