暦の上では・・・
暦の上ではひな祭りです。
みなさんの家でも雛人形を飾ったりするのでしょうか?
私の子供の頃、うちでは姉の雛人形が飾られました。
毎年ひな祭りが近づきますと父親が雛人形の箱を出して来るのですが、もうそれだけで胸がわくわくしたものです。
なにしろ日常の生活に変化が起きるのです。
当時の私はまだ幼稚園にも行かず、無味乾燥な日常の繰り返しにすぎない生活に疲れていたものですから、その「変化」は外国からのホームステイを迎える「うるるん滞在記」の受入れ家族くらいエキサイティングなことでした。
物置小屋から運ばれて来た箱が開けられると、ぷ~んとなんとも言えない匂いがしました。それは「いにしえ」の匂いだったのかもしれません。1年くらい前の。
さて、いよいよ箱から雛人形を出すのですが、なぜか私には手伝わせてくれません。それどころかさわらせてもくれませんし、なんだか「向こうに行っておれ!」という気配すら感じます。なぜなのでしょうか?
いいですか、雛人形が並べられるのを一番喜んでいるのは私なのですよ。
いえ、喜んでいるという表現では物足りません。「興奮している」と言ったほうが正確でしょう。
そればかりか私は、さっきからその喜びを体で表現し、あたりかまわず走り回っているくらいなのにです。
私がハエのように追い払われているうちにも、雛人形を飾る作業は着々と進んで
行きます。
このままでは私の手伝う仕事がなくなってしまいます。そうすると完成した雛人形は姉だけのものになってしまい、ますますさわらせてくれなくなるでしょう。
みなさんはなぜ私がこれほどまでに雛人形に固執するかお分かりですか?
私はべつに雛人形に興味があるわけではないのです。
実は私の興味は「雛壇」の方なのです。
当時私の家は平屋だったので、私は階段にあこがれていました。
つまり「雛人形を飾る」というのは、家に「階段が出現する!」のと同じ意味だったのです。
あ~、昇りてぇ~、階段!
とーちゃん!ねーちゃん!そこどいてくれ!
月日は流れ、今では人生の階段を上り詰めることもなく、毎日うんざりするほど駅の階段を昇っております。ありがたや。
さてさて、そろそろ本題に入りましょうか。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
子供の頃は雛人形に近づくことさえ許されなかった私ですが、今では毎年雛人形を物置小屋から運び出す仕事を任されるまでに成長しました。
ところが昨年はこの時期何かと忙しく、ついにお雛様を出せなかったのです。
一年に一度の晴れの日を無視されたお雛様は、どんなに悲しんだでしょう。そしてどんなに悔しかったでしょう。
お雛様は復讐に半年を費やしました。
そして実行に移したのです。
それは猛暑の8月でした・・・
お雛様の仕舞ってある物置の二階に、コンクリート敷きの小さなベランダがあるのですが、毎年夏にはそこにビニールプールが置かれます。
そのビニールプールは空気でふくらませるタイプではなく、ふちが薄いプラスチック製のもので、水を入れるとふちに均等に圧力が加わり薄い壁が立つという構造のものでした。
そんな構造ですから、ふちの一部に力を加えて倒すと、そこから水があふれ出してしまうのです。
お雛様はこのプールの構造の弱点に目を付けられました。
つまり、人のいないときに水をあふれさせるのろいをかけたのです。
そして8月のある日、だれもいないベランダでは大洪水が起こり、排水溝では処理しきれない大量の水が廊下を伝い、ついには一階の物置を天井から襲いました。
床からの湿気を避けるべく高い場所に置いてあったお雛様も、この天からの雫を
避けられるわけがありません。
お雛様の箱はみごとに水浸しになりました。
異変に気付いた家族が取った処置は、お雛様を運び出し、さらに箱から全部出して風を通すというものでした。
こうして8月のわが家の一室は時ならぬ「ひな祭り」の会場と化し、その中央ではお雛様たちが、初めて目にする夏の庭を目を細めて満足そうに眺めておりました。
『ほっほっほっ、夏の庭もなかなか風流じゃのぉ~』
「お雛様を仕舞うのが遅れると、お嫁に行くのも遅れる」なんてことを言いますが、出さなきゃ出さないでこんなことになってしまうのです。
みなさまのところでは、ちゃんと出しましたか?
えっ?うちですか?
うちはもちろん出しました。
夏の力仕事はきついですから、今の季節の方が楽です。
『今度は秋の庭が見たいのぉ~、ほっほっほっ・・・』
じょ!冗談じゃありません!
それでは、今週はこの辺でお開きと致しましょう。
いつもよりぐ~んと長くて申し訳ありませんでした。