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2010年インドの旅・実録編:第17回 アーマダバード

         
  • 公開日:2012年10月2日
  • 最終更新日:2022年6月10日
〔当時のメモより〕
*金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。

2010年3月26日(金) アーマダバード 晴 朝28℃ 日中33℃

4時頃目を覚まし、エアコンを送風に切り替えまた寝る。
次に起きたのは8時頃だった。
お腹の調子は依然として悪く、リンゴ3個を食べる。

9時過ぎ、オートリキシャでガンディー・アシュラムに向けて出発。Rs.50

朝のガンディー・アシュラムは人も少なく、通路に水が打たれていてすがすがしい。

絵ハガキを買う。Rs.30
風通しの良い廊下の机でハガキを書き、入り口の所にあったポストへ投函。

再びアシュラム内に戻り、サーバルマティー川を望むベンチにしばらく座る。
川にせり出した鉄パイプの上を少年二人がふざけながら渡って行く。一人が水に落ちるともう一人も水に飛び込む。実に楽しそう。糸だけで釣りをしている少年もいる。

12:15 アシュラムを出てバス停へ
バスを待っている人に「ラール・ダルワーザ行のバスはここか」と聞くと、「ここで待て」みたいなことを言うのでベンチに座って待つ。
何台目かのバスが近づくのを見て「あれだ」というので道端に出て乗る。
一番最後に乗り込んだら、足が地を離れるのと同時に走り出した。Rs.5

目的地は終点のバスターミナルだが、気の早い乗客と一緒にターミナルに入る前で降りてしまう。

道を渡りバドラ城側へ行く。

この辺りからおびただしい数の露店が軒を連ねている。
露店を一軒ずつ見ながらティーン・ダルワーザ方面へ移動。

昨日から食べたかった串焼きを食べる。
マトンを小さく切ったものを鉄串に刺して炭火で焼いたもの。
ハンバーガーのような丸いパンに二串分を挟み、玉ねぎのスライスを乗せレモンを絞って食べる。たったのRs.10 ピリ辛で誠にうまい!!

ティーン・ダルワーザを抜けひたすら直行。
古本を商う店が並ぶ辺りで道が上下に交差している。(今いる所が上で陸橋のような感じ)
橋のたもとの階段で下に降りると、その一帯は紙類を扱う問屋街のようだった。

お祝い用品を商う通りを抜け右に折れると、何やら古い建物が見えたのでそばに行ってみた。

アフマド・シャー廟であった。

入り口の石段で靴を脱ぎ、恐る恐る入って行くと、信者が「問題ないから中へ入れ」というような事を言う。
きれいな布がかぶせられた棺(?)が三つ置いてある本堂に入ると、別の男が「王様とその息子、そして孫だ」と教えてくれた。

男はさらに「ついて来い」と言い、本堂を出てその周りをぐるりと案内してくれた。
いくらかのチップを渡さねばと用意するが、一周して来るとさりげなく脇へ行ってしまった。
お金が目当てではなかったようである。恥ずかしい・・・

【以下の解説は2012年10月2日のものです】

〔以下メモに解説を加えて〕

2010年3月26日(金) アーマダバード 晴 朝28℃ 日中33℃

4時頃目を覚まし、エアコンを送風に切り替えまた寝る。 次に起きたのは8時頃だった。 お腹の調子は依然として悪く、リンゴ3個を食べる。

相変わらず下痢が続いている。朝食は昨日再会を果たした果物屋「カチュマル」で買ったリンゴ。リンゴは消化が良くお腹に優しいが、夕飯がマトンカレーじゃなあ・・・

9時過ぎ、オートリキシャでガンディー・アシュラムに向けて出発。Rs.50

「ガンディー・アシュラム」は通称で、正式には「サーバルマティー・アシュラム」と言う。しかし通称はそれを如実に言い表したものなので、もちろんそこはガンディーゆかりの施設なのである。ガンディーはこの地(元々は別の場所であったが数年後に移設された)にアシュラムを設置し、そこを独立運動の拠点としたのであった。
インドのオートリキシャ

朝のガンディー・アシュラムは人も少なく、通路に水が打たれていてすがすがしい。

そもそもここには騒がしい観光客はあまり来ない(来ても静かにしているという意味)が、早い時間帯はさらに閑散としていて気持ちがいい。ガンディーの活動を紹介する展示物もゆっくり見られる。
アーマダバードのさーばるまてぃー・アシュラム

絵ハガキを買う。Rs.30 風通しの良い廊下の机でハガキを書き、入り口の所にあったポストへ投函。

ここには売店があり、ガンディーに関する本やグッズも売られている。またテーブルと椅子が置かれていて、そこで新聞なども読める。私はそのテーブルで絵ハガキをせっせと書いたのであった。
サーバルマティー・アシュラムの中

再びアシュラム内に戻り、サーバルマティー川を望むベンチにしばらく座る。 川にせり出した鉄パイプの上を少年二人がふざけながら渡って行く。一人が水に落ちるともう一人も水に飛び込む。実に楽しそう。糸だけで釣りをしている少年もいる。

大都会アーマダバードを流れる川であるので、サーバルマティー川はあまりきれいとは言えないであろう。しかしそれでも水辺というのはいいもので、無邪気に遊ぶ子どもたちや鳥などを眺めているととても穏やかな気分になれる。
サーバルマティー川

12:15 アシュラムを出てバス停へ バスを待っている人に「ラール・ダルワーザ行のバスはここか」と聞くと、「ここで待て」みたいなことを言うのでベンチに座って待つ。 何台目かのバスが近づくのを見て「あれだ」というので道端に出て乗る。 一番最後に乗り込んだら、足が地を離れるのと同時に走り出した。Rs.5

現地の文字が読めないと、バスに掲げられた行先表示も意味をなさないわけで、そこはもう人に聞きまくるしかない。幸いインドの人は親切なのでちゃんと教えてくれる。まったく異国に行くと子どもとおんなじなのだ。 「ラール・ダルワーザ」とは近距離バスのターミナルがある所で、宿にも近いのでその名前だけ覚えておけば間違いなく帰れる。ちなみに「ラール」は「赤」で「ダルワーザ」は「ティーン・ダルワーザ」と同じく「門」である。つまり「赤い門」ということ。近くに優秀な国立大学でもあるのだろうか。 インドのバスは走って飛び乗るものだと思っている人もいるかもしれないが、インドでもバスはバス停にちゃんと停まる。ただしせっかちなのは事実で、バスのステップに体重を掛けるか掛けないかというタイミングで走り出してちょっとひやっとした。
インドのバス停

目的地は終点のバスターミナルだが、気の早い乗客と一緒にターミナルに入る前で降りてしまう。

私もインド人に負けないくらいせっかちなところがあるので、他の乗客の後についてまだ走っているバスから飛び降りた。なにしろ広いターミナルなので、停まる場所によってはずいぶん遠くなってしまう可能性がある。乗る時には私の安全をあまり考慮せず走り出したくせに、飛び降りようとすると車掌が必死に止めたのが可笑しかった。
アーマダバードのバス

道を渡りバドラ城側へ行く。

「バドラ城」とはかつての君主アフマド・シャーの建てた城のこと。今は市庁舎となっているため、特に観光用としての公開はない。しかし市役所に用があるなら入れるということになるので、試しに飲酒許可証がもらえないか聞きに入るのもいいかもしれない。
アーマダバードのバドラ城

この辺りからおびただしい数の露店が軒を連ねている。 露店を一軒ずつ見ながらティーン・ダルワーザ方面へ移動。

ここからティーン・ダルワーザはそう遠くないが、それでもその間に建ち並ぶ露店の数はかなりのものである。そんな露店をひやかしながら歩けば、すぐにティーン・ダルワーザに突き当たる。
アーマダバードの露店

昨日から食べたかった串焼きを食べる。 マトンを小さく切ったものを鉄串に刺して炭火で焼いたもの。 ハンバーガーのような丸いパンに二串分を挟み、玉ねぎのスライスを乗せレモンを絞って食べる。たったのRs.10 ピリ辛で誠にうまい!!

「昨日から」というのはうそ。本当は2001年に来た時からなので「9年前から」というのが正しい。9年前も私はひどい下痢をしていて、イスラム教徒の多いこの街のあちこちで立ち上るマトンを焼く煙とその匂いに、思わず買い食いしたくなる誘惑を必死に抑えていたのであった。今回も下痢はしているが、9年前の症状に比べたらかわいいものである。もう二度と同じ後悔はしたくないので、最悪の場合は旅を打ち切る覚悟で食べた。ものすごくうまかった!
アーマダバードのマトンの串焼き

ティーン・ダルワーザを抜けひたすら直行。 古本を商う店が並ぶ辺りで道が上下に交差している。(今いる所が上で陸橋のような感じ) 橋のたもとの階段で下に降りると、その一帯は紙類を扱う問屋街のようだった。

インドのバザールでは、同じような商品を扱う店が何軒も並んでいたりすることが珍しくないが、そういう場所はそのまま問屋街になっていたりする。ここも古本を売る屋台が集中していると思ったら、そもそも紙関係の業者が集まる地域だったらしい。
アーマダバードの古本屋の屋台

お祝い用品を商う通りを抜け右に折れると、何やら古い建物が見えたのでそばに行ってみた。

「お祝い用品」とは日本風に言えば「結納の品」のようなもの。それ以外にも隣接してアクセサリー屋なども目についたので、婚礼が近い家族などがここに買い物に来るのかもしれない。
アーマダバードの路地

アフマド・シャー廟であった。

バドラ城を建てたアフマド・シャーのお墓である。ちなみにこの街の名前「アーマダバード」は、「アフマド(アーマダ)の都」という意味である。
アフマド・シャー廟

入り口の石段で靴を脱ぎ、恐る恐る入って行くと、信者が「問題ないから中へ入れ」というような事を言う。 きれいな布がかぶせられた棺(?)が三つ置いてある本堂に入ると、別の男が「王様とその息子、そして孫だ」と教えてくれた。

こうした廟や宗教施設はやたらに入ってはいけないと思う。しかし信者の側が「ぜひ見て行ってくれ」と言うこともあるので、そこは周りの雰囲気などを見極めながらそろりそろりと近づいて行くのがいいのである。 この時は親切に説明してくれ、写真を撮っても構わないとまで言ってくれた。しかし同じイスラム教のシディ・バシール・モスクでは、説明看板のありかを教えてくれた老人に写真撮影を断られてしまった。いずれにしても相手の意思を尊重し、その指示に素直に従わなければならないのである。
アフマド・シャーの棺

男はさらに「ついて来い」と言い、本堂を出てその周りをぐるりと案内してくれた。 いくらかのチップを渡さねばと用意するが、一周して来るとさりげなく脇へ行ってしまった。 お金が目当てではなかったようである。恥ずかしい・・・

あまりにも親切に案内してくれるので、「もしかしたらチップが目的なのかも」と思ってしまい、説明を聞きながら右手でポケットの中に折り畳んである10ルピー札をまさぐっていた。しかしそのお金を出すタイミングも取れないほどあざやかに、案内してくれた男は身をひるがえして元居た位置に戻って行った。 お蔭で私は善意を小銭で穢してしまうようなミスを犯さずに済んだ。しかし心の中は恥ずかしさでいっぱいであった。
アフマド・シャー廟を案内してくれた男

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