この本はまだインド初心者であった若き日の著者の体験記となる。
のちにインドの大地を自由に走り回り、膨大な量の取材をするようになる著者も、初めてのインドではやはり苦戦を強いられた。
各地でインド人たちに騙されぼられ、そして病に倒れる。飛行機に乗り遅れ、バスを見失い、タクシーは目的地に着かない。
その一方で高級ホテルにも泊まり、おいしいものも食べ、少年たちとも仲良くなる。
インドの旅のなんと内容の濃きことか。しかもこれが感受性豊かな時期に体験できたというのは、本当に幸せなことだと思う。実にうらやましい限りである。
本書は1974年の初インドのエピソードに初期何度かの渡印を加えたもので、いずれにしても古い話なのだが、登場するトラブルのほとんどは今でもインドで日常的に旅行者に襲い掛かるものなので、これからインドに行こうとしている人も体験できるチャンスは充分あるのでご安心いただきたい。
数々のエピソードの中で私が一番面白く読んだのは、デリーの靴磨き少年とのバトルの話である。
旅の途中で出会った若者から、デリーには靴にシュークリームを乗せ、それを拭き取ることで法外な料金をふんだくる輩がいると聞いた著者は、果敢にも過去の犠牲者の仇を取るため立ち上がる。
まあ詳しくは読んでのお楽しみだが、とにかく私はこの話を読み、まさに戦友を得たような気分であった。
ということで、いまやインドの大家である山田和氏も初めは初心者であった。
千里の道も一歩から、塵も積もれば山となる、何事も続けてやっていればやがて大成するのだなあ。
でも「初心忘るべからず」という言葉もある。
初心でいればこそ、見えて来るものもあるのである。
最後にこの本の中の、次のような一節をご紹介させていただく。
それで僕らは、自分の小さな旅をあえて「あてどない旅」と呼び、地球の地図がまだ描ききれていなかった時代の心をもって遥かな時空へと旅立つ。
未踏の地や処女地は存在しない。しかし、それを夢想し感得する権利は今もある。幸いなことに、僕らは大勢の人が住み、車と自転車にあふれた異国の雑踏にも、宇宙から地球を眺めたガガーリンが感じたのと同じ質の、あるいは褐色の大地に碧いロプノール湖を見たヘディンが感じたのと同じ質の感動を得ることができるのだ。
【山田和:著 講談社文庫版「インド大修行時代」より引用】
私も次の休みにはどこかに散歩にでも出て、何かを「発見」してみようかな。