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扉は常に大きく開かれていて欲しいものだ:ガンディーアシュラム

         
  • 公開日:2015年1月30日
  • 最終更新日:2022年7月25日

ここはグジャラート州アーマダバードにあるサーヴァルマティー・アシュラムである。通称ガンディー・アシュラムと呼ばれ、その名の通りかのマハトマ・ガンディーが活動の拠点とした場所である。
私はアーマダバードに来るたびにここを訪れていて、今回(2014年11月)は一年ぶりの訪問であったが、なんだか前回と比べ内部がこぎれいになったように感じた。

それは本館にあるガンディーの生涯をパネルなどで伝える展示コーナーでも感じたのだが、それより右手奥にあった建物の雰囲気がずいぶん変わったようであった。

以前は学校のような造りで、実際小さな子供たちがたくさんいたし、外国人も加わってなにやらワークショップのようなことをしているのも見たことがあった。少なくともこんな小さな建物ではなかったのになあ・・・

と思って中を覗いて見ると、なんとこれはミラ・ベンの部屋であった。ミラ・ベンは本名をマドレーヌ・スレイドというイギリス人であったが、ガンディーの弟子となりその名を授かり、インド独立へと続く道のりをともに歩み続けた女性である。

そんなミラ・ベンの居住していた部屋を再現したようである。
しかしなんせ質素を旨とするアシュラムの生活であるからして、部屋の中はほとんど何もなく、見ても特にどうということもないのであった。

さらにその隣には、ミラ・ベンハウスよりかなり大きな建物ができていた。その建物にはベランダのようなスペースがあり、そこでおばさんがクルクルと糸車を回して糸紡ぎをしており、いかにも「おお、ガンディー・アシュラムじゃん!」という雰囲気をかもし出している。

そしてそのベランダの横には「ガンディーの部屋」が再現されていた。それを見て、そういえば本館の片隅にあったガンディーの部屋の再現コーナーがなかったなあということに、そこでようやく気付いた私であった。

ミラ・ベンの部屋とは違い、ガンディーの部屋には金網入りの扉が付けられ、鍵が掛けられていて中には入れない。
しかしせめてもの温情か、ドアには四角い穴が開けられていて、そこから写真が撮れるようになっていた。ああ、ありがたやありがたや。

これがその「ガンディーの部屋」である。質素な生活をしていたガンディーであるが、ミラ・ベンから比べるとずいぶん物持ちである。
と言っても、糸車と杖、書見台に肘掛くらいしかなく、テレビもねえ、ラジオもねえ、車もそれほど走ってねえ、といった部屋なのである。

と、そこになにやら偉そうなおっさんが現れた。この日のアシュラムにはパトカーや救急車、それになぜか消防車まで繰り出し、なんともものものしい雰囲気であったが、どうやらそれはこのVIPらしきおっさんを迎えるためのものであったらしい。もちろん私も遠くに追いやられてしまった。

おっさんはたくさんの随行員や警備員、そしてマスコミ関係者まで引き連れてベランダに上がった。
見れば先ほどまで固く閉ざされていたガンディーの部屋の扉が大きく開かれているではないか。あー、いいなあ、あのおっさん中に入れるんだぁ

そのおっさんがいったい誰なのかは知らないが、ガンディーが生きていたら、はたしてこんな差別を許したであろうか・・・

ガンディーが凶弾に倒れた日に、あらためて差別のない社会の実現を願いつつ、アシュラム関係者に、次は私も特別中に入れてねと、心からお願いする次第なのである。

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