前回に引き続きましてガンディーのサンダルのお話です。
この写真(ちょっとガラスが光って見づらいですが)はデリーのガンディー記念博物館に展示されている、ガンディーが実際に履いていたサンダルです。このサンダルのことは妹尾河童さんの著書「河童の覗いたインド」に詳しく記されておりまして、実は私もその本を読んだがために、この小さな展示物をことさら真剣に見たのでありました。
というわけで、ここは私のつたない文章より、氏の文章をご紹介した方が伝わりやすいと思い、前出の著書より一部文章を抜粋させて頂きます。(以下)
中でも『ガンディー』をぼくに感じさせてくれたのは彼が履いていたサンダルであった。それには、インドの国中を歩き回った彼の足形が、かなりハッキリと、凹んで刻まれていた。(以上、新潮文庫刊:妹尾河童著「河童が覗いたインド」より)
この文章を読んでもう一度上のサンダル(左側のものです)をしげしげと眺めてみますと、なぁ~るほど、確かにこのサンダルについた足形は、単に革の色がはげたものではなく、凹んで(特に親指の部分など)いるようで、本当にガンディーがサンダルを愛用していたんだなあということがよくわかるのです。
そしてさらにガンディーは、自らもサンダルを作っていたのです。
この写真はアーマダバードにあるサーバルマティー・アシュラムに展示されている、ガンディーが友人に宛てて出した手紙の内容を英訳してパネルにしたものです。そこには、
「私はこのところサンダル作りで忙しいです。すでに15足ほど作りました。あなたも新しいサンダルが必要になったら足の寸法を知らせて下さい。(以下省略)」
とあり、ガンディーがサンダル作りにいそしみ、さらにこれからも「作る気満々!」といったことがうかがえるのであります。
いかがでしょうか。
このようにガンディーはサンダルを愛用していただけではなく、その製作にも力を注いでいたわけで、それはインド独立運動の根幹を成す「スワデーシー(国産品愛用)」のひとつであるというわけなのです。
ということで、私はどうも独立運動の旗頭としてやたらとスポットが当たる糸車より、足もとをしっかり支えてくれるサンダルの方に好意を持ってしまうのであります。これもやはり、日本人の特徴である「判官びいき」ってやつなのでしょうか。
ではひとつ、私も真似してサンダルを作ってみましょうかねえ・・・
えっ? 鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官・・・
むむっ、
そんなことは「義経にしておけ」ということか。
注:落語「青菜」をご参照下さい。
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