老若男女わけ隔てなく色水を掛け合うホーリー祭、しかも気温がぐっと上昇して来るこの季節となれば、それはそれは楽しいお祭りとなることでしょう。
で、この日は基本的に無礼講で、本当に「わけ隔てなく」色水を掛け合うということなのですが・・・はたしてそれでなにも遺恨なく済むのでしょうか。
たとえば日本の宴会などに置き換えて考えてみると、部長あたりが「今日は無礼講で、いっちょ盛大にぶわぁ~とやろう!」などと宣言したにも関わらず、部長の想像の範囲をはるかに超える若手社員の数々の狼藉を根に持ち、次回のボーナスの査定などでは「う~ん、彼の場合この『状況判断が的確にできる』という項目は最低点をつけるしかないな・・・うん」などとなるのではなかろーかと思うわけです。しかも身分制度が厳然として存在するインドではそこんとこはどーなのでしょうか。もしかしたら正々堂々「ホーリーの借りはホーリーで返す!」という考えの下、翌年のホーリーには遺恨の相手に超強力水鉄砲で集中砲火を浴びせるとともに、メガトン級の水風船をそいつの頭上で炸裂させんと、綿密なる準備を開始するのかもしれません。たった一日の祭り(しかも色水の掛け合い)のために、残りの364日を生きるのです。
もしそうだとしたら、
なんて素敵な人生なんでしょう。
ひゃほう!
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