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2010年ジャイサルメールの旅・その37

         
  • 公開日:2011年11月17日
  • 最終更新日:2022年6月11日

私たちはドライバー氏に促され、羊たちと別れて奥へ奥へと進んで行きました。

しかしいったいここに何があるのかもわからない上に、歩いても歩いてもそれらしきものが一向に見えて来ず、さらに砂漠の太陽はもう相当きつくなって来ており、水も持っていない私たちが少々不安になりかかった頃、ようやく目の前になにやら石の積み重なった場所が現れました。石の山は道の両側にずっと奥まで続いています。

近づいてみると、どうやらこれは何かの廃墟なのだということがわかりました。
ほとんどが瓦礫の山と化してはいますが、あきらかにここがかつて住居であったとわかるようなものが、ところどころに残っています。

ほら、ここなどは部屋の仕切り壁と思しきところに、石造りの(って全部石でできているのです)棚がしつらえてあり、なんとなくではありますが当時の生活が偲ばれます。しかし悲しいかな私たちはここに関する知識がまったくなく、ただ「ほー」とか「へー」とか言いながら見て歩くしかなかったのであります。

で、帰国後あれこれ調べてみましたら、ここにはこんなお話があるそうです・・・

ここはクルドラ(Kuldhara)という村で、かつては700年もの間栄えていた村でした。しかし19世紀の初め、時のジャイサルメール宰相サリーム・シンがこの村の長の娘に目を付け、娘を自分に差し出すよう要求して来たのです。
村人は宰相の持つ権力の大きさをよく知っていました。そして彼が冷酷非道な人物であるということも。
もし娘を差し出さねば、今後この村には高い税が課されることになるのです。

村人たちは話し合った結果、衆議一致で村を捨てることを選びました。なんとまあ思い切ったことを・・・

村人たちはすぐに身の回りのものをまとめると、呪いの言葉を残し、たった一晩で村を捨てて出て行ってしまったのでございます。よよよよよ(すすり泣く声)ということで、それ以降ここには誰も住む者はなく、こうして廃墟になってしまったということなのです。

私たちがここを訪れた時は他に観光客はいませんでしたが、観光地では必ずどこからともなく現れるガイド(「自称」も含め)もいませんでしたので、それだけここはめったに人が来ないのだと思います。
しかし傍らに立てられていた看板には、ここがジャイサルメール観光局の管理下に置かれているようなことが書かれていましたので、そのうちここも整備されて行くのでしょう。
でもあまり欲張って高い入場料を課すと、今度は観光客がここを見限ってしまいますので、執政者はそこのところをよーく考えなければいけないのであります。

*情報はすべて2010年3月時点のものです。

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木彫りのガネーシャ