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2007年3月30日:インド出張レポート・その13

         
  • 公開日:2022年8月1日
  • 最終更新日:2022年8月5日

ラクダ隊商の隊長こと松本です。
その後いかがお過ごしでしょうか。

暦の上では・・・

♪フランシ~ヌのばあいはあ~、あまりに~もおばかさあ~ん

というわけで、3月も30日になりました。
パリはどのような朝を迎えているのでしょうか。

さて、先日のインド出張では、現地から毎日のようにメルマガを配信すると豪語しておったわけでありますが、その結果はたった4通で終わってしまい、みなさまから「このうそつきがあ!もう帰ってくんな!」とのそしりを受けながらも、他に帰る場所とてなく、予定通り帰国して参りました。

しかしまあ今回のエア・インディアときたら、往復ともほぼオンタイムでの運行で、あらまあどうしちゃたんでしょうという優等生ぶり。
しかも往きの機内食では鰻丼が出るなど、少なからず「CS=顧客満足度」というものにようやく着目してきたようなのでありました。

そんなわけで今回の仕入旅は、いつにも増して順調な滑り出しとなり、デリーのホテルは土壇場変更があったものの、ほんの30m先への移動であり、迎えの車のバッテリー上がりも、エンジンの押しかけで難なくクリアというラッキーぶりでした。

また、仕事の中身も大変濃く、初日は時差の関係で午前3時半から起きだしパソコン接続に汗を流し、午前中はオールドデリーを風のように翔け抜け、午後にはコンノートプレイス、ジャンパットゥのベタな場所をべたべた這い回り、そして夜には南デリーから新興都市グルガオンへなだれ込み、夜中の2時半まで業務の打ち合わせ。そしてホテル帰着は3時半、就寝は4時50分という若者ぶりだったのです。なんとすばらしい。

翌日も8時には起きだし、地元デリー市民で賑わうバザールで精力的に活動し、そして迎えた3日目は4時半起きでジャイプールへ向けて出発。着後すぐに始めた業者との打ち合わせは夜9時過ぎまで続いたのであります。

どうです。実に働き者でしょう。

しかし、それには理由があったのです。

それはすでに現地からのメルマガでもちょっとだけ書きましたが、ビカネールという街に行くためだったのです。
つまりまあ、その日程を確保するために業務を濃縮してがんばったわけなのであります。

はっきり言って、ビカネール行きは仕事ではありませんでした。
そりゃまあ行けば行ったで「仕事の目」で見ることもありますし、こうして話のネタにもなりますので、まったくのオフというわけでもないのですが、とにかく楽しんで参りましたので、これから何回かに分けてその辺のお話しをして行きたいと思うわけであります。

では、始まり始まり。

*このメルマガの後半に続きます。

〔 中略 〕

*前半からの続きです。

ではまず、前回書きました導入部を転載してから、続きをお話しさせて頂きますので、すでに読まれた方はそこんとこをすっ飛ばしてお読み下さい。

【前回メルマガより転載】

ビカネールはジャイプールから北西方向に約320kmほどのところにあります。
今回の行き先をそこに決めたのは、ただ単にジョドプールやウダイプールに比べて知名度が低いというだけのものです。つまりあまり観光地化される前に行ってみようじゃないか、うん、そうしようというだけのことなのです。
そしてその結果から申しますと、「素晴らしい!」の一言に尽きるものとなったのであります。とてもとてもよかったのです。

それでは、お話はジャイプールからビカネールに向けて出発するところから始まります。

前日に8時出発を伝えていたので、我らがアンバサダーはちゃんとホテルの前で待っていてくれました。なかなかスムーズな出足です。

さあ!いよいよ未踏の地(私たちにとってですが)ビカネールに向けて出発です!

と、勇んで車に乗り込むと、車はホテルの目の前のガソリンスタンドに入ってしまいました。

おいおい、ドライバー君、ガソリンはお客を乗せる前に入れておくものではないのかい、おい。

しかしドライバー氏が車を止めたのは、給油スタンドのところではなく、ガソリンスタンド内にあるATMのコーナーの前でした。
そしてドライバー氏は後ろを振り向き、「ATMです」と言うのです。

知ってるよ、日本にもあるからさあ。
まあ、インドのガソリンスタンドにあるのは知らなかったけどさあ。

私がきょとんとした顔をしていると、ドライバー氏は不思議そうな顔をして、「昨日あなたがATMに行くって言いましたよねえ」などと言うのです。
でも私はそんなことは言っていません。
昨日ドライバー氏に告げたのは、「明日の出発は8時だよ」という意味で言った「8AM」くらいです。

ん?

8AM・・・

エイト・エー・エム・・・

エー・ティー・エム・・・

あー!

なるほどね。

でも、

そんなに私の発音悪いんかい!なろー!

とまあ、誤解が解けて車内大爆笑になり、打ち解けた雰囲気のなかなか良いスタートになったのであります。

【転載部終了】

そんなわけで、すっかりサザエさんの家族化したアンバサダーは、通勤ラッシュで込み合う朝のジャイプール市街を抜け、国道11号アグラ・ビカネール線を驀進し始めました。

さあ、いよいよ2泊3日「砂漠の都市ビカネール」の旅の始まりです!

ドライバー氏はベテランで、ビカネールにも行ったことがあるとのことで、その知識を事前に私たちに話してくれました。

その話の中で一番興味をひいたのは、

「道の両側は何もない砂漠地帯を進みます」

というものでした。

その話を聞いた時、私は即座に「おお、それはすごいではないか」とつぶやき、脳裏には昔見たNHKのシルクロード撮影隊が、何台もの四輪駆動車を連ねてタクラマカン砂漠を突き進む映像が、喜多郎の音楽とともに浮かんでいたのであります。

そして私たちは今、ジャイプールの街を抜けました。
いよいよこれから、永年にわたり人を拒み続けて来た砂の王国が始まるのです。はたして私たちはここから生きて再び祖国に帰ることができるのでしょうか。まあ帰って来れたからこうしてのん気にメルマガ書いてるんですけど。

ジャイプールの街を抜けると、周囲の風景からは次第に建物が消え、静寂に満ちた砂だけの風景になるやと思いきや、意外にも商店が立ち並び、バスやオートリキシャがクラクションをバァーバァー鳴らし、それに人がわらわら取り付き飛び降り、牛が寝そべり犬が吠え、ヤギが歩きブタが漁り、それはまあにぎやかなことといったらありゃしません。これじゃあインドで普通に見られる風景となんら変わりはありません。

でもまあ、それも仕方がないことです。
なにしろジャイプールというのは人口200万を裕に越す大都市なのです。
そんな大都市の周辺には、小規模な衛星都市が張り付いているものなのです。
なのでこの衛星都市を抜けると、本当の砂漠地帯が広がるのです。
なにもあせる必要はありません。なにしろビカネールまで300km以上もあるのですから。

そんな小さな都市を抜けると、さすがに周囲の景色は少し寂しくなって来ました。
しかしまだ道の両側には並木が続き、周囲の風景も砂漠ではなく緑の多い畑のような感じで、砂漠地帯はまだ先のようです。

さらにしばらく行くと、また窓外の風景に変化が見られ始めました。

徐々に家が増え始め、商店が軒を連ね始めると、そこではバスやオートリキシャがクラクションをバァーバァー鳴らし、それに人がわらわら取り付き飛び降り、牛が寝そべり犬が吠え、ヤギが歩きブタが漁り、それはまあにぎやかなことといったらありゃしません。 はい、さっきの文章のコピーです。

先ほどの街よりは少し小規模なのかもしれませんが、とにかくまた集落が現れたわけです。砂漠はいったいいつから始まるんだよ!って怒りたい衝動に駆られました。

そんな風にひとつ街を抜けるとすぐまた次の集落が現れると行った感じで、なかなか私たちの前に、タクラマカン砂漠と喜多郎は姿を現さないのでありました。

つづく

はい、今回はここまでです。

ホテル前のATMコーナーからだいぶ走ったような気も致しますが、なんかぜんぜん前に進んでいないような気もします。

でも、お話しは着実に進んでいるのでございます。
エア・インディアの顧客サービス向上と同じくらいのスピードですけど。

あー、そうそう、今回は往復とも快適なエア・インディアと書きましたが、実は帰国時のチェックインが大変だったのです。

私たちはいつもの通り非常に早い空港入り(出発の4時間前)を果たし、まだ表示の出ていないカウンターでいち早くチェックインの手続きをしたのであります。

ところが、係員が私のスーツケースを指差し、

「重すぎる」

と、のたまったのです。

確かに重いかもしれません。大き目のスーツケースに重いものをたくさん詰め込みましたので。
でも今回は2名で搭乗しますので、いくらエコノミークラスとは言え、規定で40kgの荷物まで許されているのです。まったくエア・インディアの職員はどこを見ているのでしょうか。

しかし係員はなおもこう言うのです。

「重すぎるので中身を減らしなさい」

私も「なぜ?」と食い下がりました。

そしたら、

「荷物はひとつ30kg以下にしなければいけないのです」

と言うではありませんか。

そう言われて計量台の数字を見てみれば・・・

「45kg」

おお・・・

どうりで運ぶのに骨が折れたわけだ。

しかしこれを今から30kg以下にするのは至難の業です。
なにしろ15kgの減量なのです。何度もダイエットに挑戦している人に聞けば、それがいかに無謀な挑戦であるかということをとくとくと話してくれるはずです。

すると係員、

「あそこの店でカバンを買い、それに詰め直しなさい」

と言うのです。

なんて具体的な指示なんでしょう。もしやかばん屋とグルなのか?

でもこれ以上逆らうのはやめました。
なにしろ私たちはこのスーツケースの他にも、段ボール箱をひとつ持ち込んでおりますので、おそらくその合計重量は60kgは超えているでしょう。
あまりここで食い下がって、もうひとつのルール「エコノミークラスは一人20kgまで」などというものを持ち出されたら大変なことになってしまいます。

というわけで、私たちはすごすごとその場から立ち去り、かばん屋に向かいました。

かばん屋はそんな私たちを見ていたのか、すぐに「ほら、このカバンどう?」などと言いながら店先に吊るされたカバンを見せるのです。値段を聞くと1000ルピー(約2800円)もするではありませんか!

でもカバンがなければえらいことになりそうです。
そこで店内に入りもっと安いものを探し、結局600ルピー(約1700円)のもの
を買いました。
布製の黒い変なカバンで、横には「adidas」なんて書いてあります。

ぜってーウソくせー。

こんなカバンじゃ、今度は日本の税関で止められそうです。

しかし今はそんな先の心配はしていられません。
15kgの減量が最優先なのです。

さっそくセキュリティーチェックのバンドを切り、スーツケース開け、壊れにくそうなものを選んで布製adidasバッグに詰め直しました。
そして再びスーツケースと布製adidasバッグをセキュリティーチェックに通し、先ほどのチェックインカウンターへ舞い戻りました。

さあ、計量の結果は?

「38kg」

ああ・・・

私は最大限に嘆願を込めた目で係員(男性)を見つめ、「ぷり~ず」と言いました。

しかし係員は無情にも、

「だめ、あと8kg減らしなさい」

と言うのです。

私たちはまたすごすごとその場を離れ、スーツケースのセキュリティーチェックのバンドを切り、フタを開け放ちました。
そして中身を見つめ、もうこれ以上布製adidasバックに託せるような荷物がないのを知ると、その場に立ち尽くしてしまったのであります。

万事休す・・・荷物とともにデリーに居残り決定・・・

そんな弱気な考えが一瞬脳裏をよぎったのですが、次の瞬間、それなら壊れそうなもので重いものは機内に持ち込んでやろうという、やぶれかぶれの戦法にでることを思いつきました。
と、これを読んで「そんなの普通にやることじゃん」と思われた方もおられるでしょうが、実は私の機内持ち込みのバッグはすでに10kgほどの重量あり、しかもその内容が南京錠300個だったり、アラジンのランプ10個だったりするものですから、搭乗前のセキュリティーチェックで怪しがられ、毎回止められてはなにやら帳票にサインさせられたりするのです。

そこにさらに手荷物を増やすのは危険なのです。
なにしろ機内持ち込み手荷物だって、ひとり一個と決められているのですから、今度はそれをタテに何か言われたら大変なのです。

しかし、今回はもう一か八かです。
幸い持っていた紙袋に、スーツケースから荷物を移しました。
紙袋が切れてしまわないかと心配でしたが、そんなことは言っていられないのです。

こうしてすっかり顔なじみになったセキュリティーチェックの係員と再会を喜びながら三度目の封印をしてもらい、チェックインカウンターへと向かいました。

さあ、今度はどうでしょうか?

三度目の計量です!

ダララララララララ・・・・(ドラムロールです)

「29.8kg!」

クリアです!

この一件で私は、ボクサーの試合前の計量の緊張感というものを肌で感じることができ、さらには重いスーツケースを何度も運んだせいで腰を痛めてしまい、帰国後チャンピオンベルトのようなコルセットをはめることになってしまったのであります。

エイドリア~ン!

そんなに苦労して持ち帰った「壊れやすく重いもの」とは、今回アップした音楽CDです。
音楽CDは、はっきり言って売れ筋商品じゃあありません。

でも今回はきっと、そんな苦労を汲み取って、飛ぶように売れること間違いなしです。

みなさまの温かい善意をお待ち申し上げております。

それでは今回はこれで失礼致します。

また来週!

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