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2001年6月4日:桃源郷 / アンジュナ

         
  • 公開日:2001年6月4日
  • 最終更新日:2022年6月2日

インドな日々

2001/06/04 桃源郷 アンジュナ

私のインドのバス初体験はローカルバスであった。
アンジュナ(安奈純ではない)と言うリゾート地からマプサと言う町までの約20分程度のものであった。

たまにテレビなんかで「路線バスの旅」なんていう番組を見かけるが、やはりその土地の人々の生活に近づくには、庶民の足とも言えるローカルバスに乗るのが一番であろう。

バスの揺れに身を任せ、のどかな田園風景を眺めていると、まるで自分が桃源郷に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
漢文などでは桃源郷の様子を表すのに「鶏犬のこえ」などという表現を使ったりするが、ここには犬もニワトリもいるので好都合じゃないか。

私はバスに乗り込み、いざ桃源郷トリップへと旅立たんとしたのだが・・・
揺れるのだ!とにかく揺れるのだ!
いや、揺れるなんていう生易しいものではない。
どのくらいかと言うと、えんぴつで紙に直線を引こうとすると、たちどころにモミの木の絵ができあがってしまう。歌なんか歌うと、みんな越路吹雪になってしまい、愛の讃歌が上手に歌えてしまう。それくらい揺れるのだ。
バスの揺れに身を任せたりなんかすると脳みそが耳の穴や鼻の穴から出て来そうである。
はたしてこの揺れに対する策はあるのだろうか。

かつて日本マラソン界のエースであった瀬古選手は、その無駄のない走りに定評があった。
それは走っている時も彼の頭部は上下動せず、同じ位置に留まっているということだった。彼と並走するカメラの映像を分解写真にしたものを見たことがあるが、その頭部はみごとに平行移動しており、決して上下に揺れ動いてはいなかった。
つまり瀬古選手が走っているのを、彼の肩くらいまである塀越しに見ると、首だけがすーっと移動しているように見えるのだ。なんて不気味な光景なんだ。

この瀬古走法を参考にして、私はバスの内部を見ずにフロントガラスの前方30メートルくらいのところを見つめ、次に来る揺れを予想しながら常に頭部だけは地面に平行であろうと心がけた。

これには少しコツがいる。身構えて体を固くしてはだめで、むしろ体をくにゃくにゃにしておかなければならないのだ。
こうすることによりバスの揺れはくにゃくにゃの体で吸収され、頭部までは伝わらなくなる。
この方法は瀬古走法であり、またデンスケ人形でもあった。

ここでデンスケ人形を知らない人のために、わざわざインドのネットカフェで解説を書かなければならないのである。
「デンスケ劇場」という番組は昭和40年代の土曜日お昼にやっていた。
その番組は笑いあり涙ありの人情ドラマの劇場中継で、座長の大宮伝助が首をくにゃくにゃするしぐさが受けていた。毎回番組の終わりに会場で選ばれた人とお便りをくれた人が「デンスケ人形」をもらえるのだが、この人形は首が胴体にばねで付けられており、揺らすと伝助お得意の首振りのしぐさをするというものだった。当時小学生だった私の憧れの人形であった。
そして今私が大宮伝助になろうとしているのだ。

私はこのコツをすぐにつかみ、頭部を残し、体だけくにゃくにゃしながら乗り続けた。
見れば土地の人たちもみんな同じような乗り方をしているようである。

「小さな世界だ」と私は思った。たとえ言葉は違っても考えることや笑いのセンスは共通なのだ。

日本の一コメディアンの残した遺産は、今こうして時間と空間を超えてインドの片田舎でしっかりと再現されていた。そういう意味では、やはりここは桃源郷だったのかもしれない。

総勢20名のデンスケ人形を乗せたバスは、桃源郷の昼下がりを東に向かって走っていったのであった。

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