暦の上では・・・
大暑です。
まったくその通りで、関東地方はこのところ記録的な暑さが続いております。
中には40℃を越したところもあり、せっかく私がインドで経験した40℃を日本にいながら経験できるなんてまったくうらやましい限りです。
さて、多くの地域では学校も夏休みに入ったことでしょう。
そしてこの時期必ず出される話題に「成績表」「通信簿」といったものがあります。この話題が出ると「あー、やだったよね、あれ」とか、「もう、怒られてばかりだった」とか、とにかく誰の口からも「成績があまりよくなかった」という話が出ます。
でも、
おかしいでしょ、それ。
昔の成績表は相対評価でしたので、かならず「5」をもらう人が何人かいるはずなのです。
でもみんなの話を総合すると、「成績は悪かった」という人が圧倒的で、どこをどう探しても「5」が出て来ないのです。
そんなこと思うのは私だけでしょうか?
類は友を呼ぶと言って、私の周りにはばかばっかり集まるんでしょうか?
じゃあ高○くんや○原くんはばかなんでしょうか?
○田くんもそうですか?
う~ん・・・そうかもしれませんねえ・・・
でもみんないいやつです。
サンキュー!ナイスフォロー!(友人一同)
まあみなさん謙遜されたり、自己評価または親からの期待に対しては「成績が悪かった」ということになるんでしょうが、どちらにしてもあんまりいい気持ちはしませんよね、成績表って。
私も普段は授業中などによく友達とふざけていたり、マンガを描いていたりしたものですが、学期が終わる1週間くらい前になってようやく「成績表」という存在を思い出し、急に胃のあたりが縮こまる思いをしたものです。
そして自分でも呆れるほどに真面目ぶったりして、なんとか先生に媚を売ろうと卑屈になったものです。いやらしいですね。
しかし当然にわか真面目は先生に通用せず、それよりもなによりも学期が終わる1週間前ではすでに成績も決定しており、ことによっては成績表に数字のスタンプが押されてしまっていて、さらに「通信欄」のところには「注意散漫で忘れ物が多い。授業中に手遊びなどしている。宿題もほとんどやってこない。」などと幼心の傷つくようなことをずけずけと無神経に書いているかもしれないのです。
あー、思い出しただけでも胃が縮む・・・
それでもやはり子供にとって夏休みは最高に楽しい時です。
先ほど先生からじきじきに、しかも私に手渡す際には「いいか、ちゃんと親に見せるんだぞ!」と、純粋な子供をはなから疑ってかかる態度とともにくれた成績表。その内容のショックから早くも癒え、1学期最後のイベント大掃除をしながら、どさくさにまぎれて先生のもの入れから先日授業中に没収されたマンガ本を奪還し、さあこれでもう学校には未練なし!とばかりに家にすっ飛んで帰ります。
そして家の近くまで来ますと少し足音をしのばせ、そぉーと家の中を窺うのです。
しめしめ、誰もいない・・・
すぐに家に上がると茶の間のテーブルの上に成績表を乗せ、さぁーっと家を飛び出し遊びに行ってしまいます。あとは夕方まで成績表のことなんか忘れて遊び狂っていればいいのです。
なあに、人間というものはそんなに長い間怒り続けられるもんじゃないだ。
家に帰るころには成績に対する怒りなんてものはとうに忘れ去られていて、
「早く手を洗って来なさい。ご飯だよ!」
なんていうことになってるはずなんだよね。今日の晩御飯、何だろう?
まったく成績の悪い子というのは、いろんなことに対して考えが甘いようです。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
さあ、もう成績のことを言うのはやめましょう。ムナクソ悪いです。
また2学期の終わりにでも話題に出しましょう。
さて、夏には夏の楽しみというものがあります。
ホントに夏は楽しみの多い季節だと思うのですが、その中のひとつに「怪談」があります。
まあ昔ですといくら暑くったってクーラーなんてものがありませんでした。せいぜい打ち水や行水をするくらいでしょう。
そこで寄席などでは夏になると決まって怪談話をかけたようです。怖い話しで少しでも背筋をぞくぞくっとさせて暑気払いしようというわけですが、実際名人が怪談話を演じますと、満員で蒸し暑い寄席にもかかわらず観客の顔から汗がひいたといいます。
ならばこのメルマガでもひとつ怖いお話しでもと思うのですが、いかんせん私には霊体験といった類のものは・・・
いや、
待てよ・・・
霊体験とは言えないまでも、不思議な体験があったな・・・
注:この話しは決してお部屋を暗くして読まないで下さい。目が悪くなっちゃいますから。
あれは私が高校1年の時でした。
私は原付バイクの免許を取ったばかりで、バイクに乗りたくて仕方がありませんでした。そこで親戚のおにいちゃんからバイクを借り、やはり原付バイクを持っている友だちと2台でツーリングへと出かることにしました。
行き先はダム建設のためにやがて沈んでしまう山間の村ということになりました。その友だちが、今のうちにその村を写真に収めようと言い出したのです。
その村に続く国道にはダム工事用のものでしょうか、大型ダンプがひっきりなしに往復していました。
そんなダンプの隙間を縫うように小さな2台のバイクは村を目指して進んで行きました。
途中の峠から見下ろしたその村は、一見何の変哲もないのどかな山村でした。
そんな山村のあちこちを友だちと写真に収めながら移動して行ったのですが、すでに家を明け渡してどこかへ引っ越してしまったのか、それとも元々そうだったのか、あまり村人を見かけません。
工事現場も村からはちょっと離れたところでしたので、ここまで来ると工事車両もぜんぜん見かけなくなります。
さらに村の奥へと進んで行きますと、やがて大きな木造の建物に突き当たりました。
どうやら小学校のようです。
するとその友だちは、
「ちょっと行ってみよう」
と言い出し、私たちはバイクを停め、校舎に近づいて行きました。
校舎に近づくと、そこはすでに廃校になってしまった学校であるということが、すぐに分かりました。
全体的になんとなくうらぶれた感じで、通常の学校なら休みの日でも感じられる「人気(ひとけ)」というものがまったく感じられないのです。
それは校舎わきの花壇や、掲示板のポスター、また低学年のクラスによく見受けられる窓の飾りといったようなものがなにもないので、そう感じさせたのでしょう。
校舎の入り口には鍵がかかっていましたが、裏に回ってみると壊れた窓があり、そこからなら中に入れそうです。
「入ってみよう」
友だちはそう言うのですが、私はちょっとためらいました。
なぜならいくら廃校になっているとは言え、その行為は「不法侵入」にあたるのではないかということを心配したからです。
しかし本当のところは、「なんとなく怖い」という気持ちがあったのです。
いえ、どちらかというとそちらの方が強かったかというのが正直なところでした。
「せっかく来たんだから、中の写真も撮ろう」
と言う友だちの言葉に押され、私たちは壊れた窓に取り付くと、順番に中へと入って行きました。
外の明るさとは打って変わり、校舎の中はどんよりと薄暗くなっていました。
それは南側にある教室の窓全部にカーテンがかかっていたせいでした。
少し廊下を歩き、私たちはひとつの教室に入りました。
その教室の窓にも黄ばんだ無地のカーテンがかかり、置かれてそのままになっている机と椅子は、かつての児童数を無言で教えてくれています。
壁にもまだ少し掲示物が残っていて、そんな「残骸」たちが返って今のうら寂しさを助長しているようでした。
本来大勢の人がいるべき空間というものが空っぽになってしまった状態というのは、なぜこんなにも寂しく、また怖いものなのでしょうか。
たくさんの人の「想い」や「気」といったものが渦巻いているのでしょうか。
そんな教室でひときわ目を引いたのが黒板でした。
その黒板は周囲を折り紙で作った「くさり」で飾られていて、黒板の中央には色チョークで大きく、
「さようなら」
と書かれていました。
おそらくこの教室で「お別れ会」が開かれたのでしょう。
やがてダムの底に沈んでしまう学校に別れを告げたのです。
それはいったいどんな気持ちだったのでしょうか。
自分の学校が、父母の通った学校が、もしかしたらおじいさん、おばあさんも通ったかもしれない学校が、ダムの底に消えてしまうという気持ちは・・・
私たちはそんな情景を写真に収めると、また元の窓から順番に外へ出ました。
窓から外に体を乗り出し地面に向かってジャンプする時、少し背中がスッと涼しく感じられたのは、風のせいだけだったのでしょうか。
異変に気づいたのは小学校を背にしてバイクを走らせかけた時でした。
ハンドルが少し重く感じたので、前輪のタイヤを見てみますと空気が抜けてぺしゃんこになっているではありませんか。先ほどこの小学校に来て、ここに停めるまではたしかに何ともなかったのにです。
とにかくどこかで空気を入れなくてはと、私たちはバイクを押しながら、まだ人が住んでいそうな家を探しました。
幸い少し行くと小さな郵便局がありました。
そこは特定郵便局らしく裏側が民家になっていて、そのため日曜日であるにもかかわらず人がいました。
その人に事情を話し空気入れを借りたのですが、タイヤは空気を入れても入れても元通りになりません。どうやらパンクしてしまっているようです。
しかし不思議です。停めておいただけなのにパンクしてしまうなんて。
結局見かねた郵便局の人が、親切にもパンク修理をしてくれ、私たちはなんとか帰路に着くことができたのです。
ところがです。
村から出る峠に差し掛かった時、私のバイクのエンジンが止まってしまいました。
何度もスターターをキックしてエンジンをかけようとするのですが、まったく動きません。
坂道を下る勢いでエンジンをスタートしようとしてもウンともスンともいわなくなってしまいました。
仕方なく道端に落ちていた紐を使って、友だちのバイクに引っ張ってもらうことにしました。
しかし友だちのバイクも50CCの原付バイクであり、さらに兄貴のお古の年代ものであるために力があまりありません。
何度も何度も休みながら坂道を登って行き、ようやく村を見下ろす峠の上までやって来たときには、すでに日も暮れかかっていました。
そしてその後も2台のバイクは1本の紐を頼りに、すでに真っ暗になった山間の道を、ゆっくりゆっくりと進んで行ったのであります。
この話しはこれでおしまいです。
でも、あの突然のパンクとエンジンの故障はいったい何だったのでしょうか。
もちろん単なる偶然なのかもしれません。いえ、おそらくそうでしょう。
でも、もしかしたらあの廃校が人恋しくなって、私たちを引き止めようとしたのだとは考えられないでしょうか?
かつてたくさんの子供たちに囲まれていた日が忘れられず、自分だけが取り残され、やがて暗い水の底に沈むのを悲しんで・・・
さあ、いかがでしたか?今回のメルマガ。
(あっ、淀川長治調で読んで下さい)
これ、実話なんですねぇ~、怖いですねぇ~、恐ろしいですねぇ~
途中で廃校の黒板を飾っていた折り紙の「くさり」のシーンが出て来ました。
あれ、作るの大変なんですねぇ~、折り紙切る幅、変わっちゃいますねぇ~。
手、ノリでべたべたになっちゃいますねぇ~
クサリに自分の手もくっついちゃって、一緒にダムの底に沈んじゃいますねぇ~
怖いですねぇ~
みなさんはくれぐれも、廃校に忍び込むようなこと、してはいけません。
そこには背中にくっつく「霊」がいるんですよぉ~
それ、
「はいこう霊」
言うんですねぇ~
それではまた来週お会いしましょう。
サイナラ、サイナラ、サイナラ・・・