〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。 2010年4月23日(金) トリチー→ポンディチェリー 晴 33~35℃くらい 昨夜はまたなかなか寝付けず、おそらく1時か2時くらいまで起きていたのではないかと思う。しかも11時20分頃、何度もドアを叩くヤツがいて、余計に安眠を妨げられた。 6時に起き出しシャワーを浴びる。 バスターミナルで乗り場を確認すると、ポンディチェリー行は9時発だと言う。 乗り場で出発時刻を再確認すると8:45発と言う。ちょうどあと1時間後。 今回もいろいろなバス停で人が乗り、そして降りて行った。 ガイドブックに書いてあった5時間より時間がかかり、2時20分ポンディチェリーのバスターミナル到着。 |
【以下の解説は2013年1月7日のものです】
〔以下メモに解説を加えて〕
2010年4月23日(金) トリチー→ポンディチェリー 晴 33~35℃くらい
昨夜はまたなかなか寝付けず、おそらく1時か2時くらいまで起きていたのではないかと思う。しかも11時20分頃、何度もドアを叩くヤツがいて、余計に安眠を妨げられた。
インド人は宵っ張りである上に騒がしい。おそらく仲間の部屋と間違えたのだろうが、時間を考えたらもう少し遠慮がちにノックするくらいの気遣いがあってもいいのではないだろうか。そもそもあの叩き方は「ノック」とは呼ばない。あれは有無を言わせぬ強制捜査の係官の叩き方である。よっぽど出て行って文句を言ってやろうかと思ったが、そうすると益々興奮して眠れなくなると思いひたすら無視し続けた。しかしインド人はすぐにあきらめる性格ではなく、ここは日本人の持つ忍耐力との国際対決となった。それでもそのうちあきらめたかそれともようやく間違いに気付いたかで攻撃が止んだので、一応日本が勝ったのだと思う。でもちっとも勝った気がしなかった。
6時に起き出しシャワーを浴びる。 水を少し飲んだだけでチェックアウト。
あまり体の調子も良くないので、移動中の胃腸の負担を考えて食事は抜きにした。
バスターミナルで乗り場を確認すると、ポンディチェリー行は9時発だと言う。 とりあえず乗り場へ向かうと、民間バスの客引きのじいさんが現れる。料金はA/C付でRs.130とのこと。州バスの倍だが、快適で早いならそれでいいかと思ったが、途中の街で乗り換えるとのことでやめる。
昨日暑い中わざわざここまで来て事前調査をし、8時15分発だと確かめたのにこれである。しかもこちらは日本人なので早めに来ているのである。まったくがっかりなのである。 そんな心の隙間に入り込むように民営バスの客引きのじいさんが現れ、「ポンディチェリーに行くならあのバスだ」と指差す。見ればなかなか立派そうなバスで、ボディーにはエアコンが付いていることを示す「A/C」の文字が輝いている。日本円で考えると料金の差は150円足らずであるのでほとんど心を決めかけたのだったが、乗換の必要があるとのことだったのでやめた。エアコンの快適さより乗り換えなしの快適さを選んだのである。たぶんシートの座り心地も違うのだろうが、もう一度座ったら二度と動きたくない心境だったのである。
乗り場で出発時刻を再確認すると8:45発と言う。ちょうどあと1時間後。 8時過、バス到着。 車掌に行先を確認し出発時刻を聞くと、40分発とのこと。みんな違う時間を言うが、さすがに車掌は正しく、40分に出発した。
まったくなんで人によってこうも言うことが違うのだろうか。しかし今回は人に聞くたびに出発時刻が早くなって来たので嬉しかった。もう2、3人に聞けば即時出発となったかもしれない。
今回もいろいろなバス停で人が乗り、そして降りて行った。
間違いなく飛行機よりも列車、そしておそらく列車よりもバス、さらにエアコン付のバスより公営バスの方が雑多な人が乗って来るであろう。この時も途中のバス停できたないなりをしたサドゥー(修行僧)が乗り込んで来た。サドゥーはいくつか先のバス停で降りて行ったが、あのくらいの距離(たぶん歩けば一時間くらい)なら歩いた方が修行になると思うのだが。
ただ今回は村や町にはあまり入り込まず、主によく整備された高速道路のような道を走った。
カニャークマリからマドライに行く際も、バスは主にバイパスのような道を走って行ったが、かなり頻繁に道を外れて町中のバスターミナルに寄った。しかし今回のバスは、せいぜいバイパス沿いのバス停にしか止まらず、おおむね快調に走り続けて行った。
途中車掌が隣に座り、少し話す。
車掌は少し英語を話すようで、私にあれこれ話し掛けて来た。それでいてとても控え目な人だったのでまったく煩わしさがなく、むしろ安心感を与えてくれた。
ガイドブックに書いてあった5時間より時間がかかり、2時20分ポンディチェリーのバスターミナル到着。 車掌に礼を言い、ついでに運河方面までの行き方を聞くと、市バスの乗り場を教えてくれた。
「運河」というのはポンディチェリーの街を東西に分けている河で、その東側がかつてフランス人居留区だったため、この街に来たのならまずはそこを目指すのが正攻法であり、できればその辺りで宿を探したいところなのである。