墓守の許しを得て(と解釈して)、そのまま記念碑の立ち並ぶところにやって来ました。
記念碑はそれぞれが固有のチャトリ(東屋)を持っているので、日本で見る普通の墓所に比べるとかなり大きいのですが、わりと狭い敷地に隙間なく並んでいる様子は、まるで日本の霊園のようです。ガイドもなにも付かず、ガイドブックにもほんの数行の記事しか載っていない場所ですので、正直言って何がなんだかよくわかりません。
ただ観察してわかったことは、比較的古そうなチャトリは赤砂岩でのみできていて、次第に屋根のドーム部分に白大理石を使い始め、最近のものでは大理石のみで造られているということでしょうか。
ここには他に観光客の姿はありませんでしたが、奥の方で何人かの人が作業をしていました。どうやら修復作業をしているようです。
しかしまあよくわからないままにこういうものを眺めていても、あまり面白くありません。王家の人々には本当に悪いのですが、きれいな墓石(あくまでも記念碑なのですが)を見せられても「へぇ~」と思う程度なのです。
それより面白いのは、今生きて生活している人の方ですね。
たとえば、ほら、そこのチャトリの床に置いてある弁当箱とコップです。 そこで作業をしている人夫のものなのでしょうが、きっと弁当箱はもう空なのでしょう。なにしろ日向に置いてありますので。それに対してコップの方は、ちゃんと日陰に置いてあります。日盛りの作業の合間に飲む水は、さぞかしおいしいことでしょう。
と、そんなことに思いを巡らし、在りし日の王家の生活なんぞにはとんと思いを馳せないのです。
と、向こうで墓守が何か怒鳴ってます。
えっ? 靴のまま入っちゃいかん?
なぜ今頃になってそんなことを言い出したのかはわかりませんが、とにかくそれには逆らわず、私たちはすぐそばにあった塀の切れ目から外に出て、そのまま車に戻ったのでありました。
*すべて2007年3月時点の情報です。
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