ペシャワールは「国境の町」と言われています。
確かにペシャワールはアフガニスタンへ向かうカイバル峠の手前の大きな都市ですので、それは間違いではないでしょう。
でも、本当にアフガニスタン国境に一番近い町というのは、ランディ・コタールです。
ランディ・コタールは、カイバル峠を登り切る少し手前にあります。
町と言っても山肌にへばりつくような集落なのですが、ここを過ぎると国境まではもうなにもありませんので、小休止するには格好の場所なのです。(これは1980年当時の話ですので、今ではカイバル峠にもコンビニや自販機、峠の釜飯屋などがあるかもしれません。でも、そんなものは無い!むしろ今の方が危険度が増しているので、ランディ・コタールへさえも行かれん!という状況かもしれません。渡航の前には最新情報を入手して下さい)
で、そんな町に立ち寄ってみましたら、店先に電化製品を置く店が目に付きました。
こんな山奥の、もしかしたら電気も通っていないような町に、電化製品を扱う店があるということが不思議だったのです。店の前で立ち止まり、あらためて店内を観察してみますと、電化製品といっても日本製のテレビが一台ある他は、ジューサーやミキサー、トースターといった極めて簡便な製品があるだけでした。
さらにじろじろ見てみれば、保温ポット(当時はまだ「魔法瓶」と呼んでいた)やフライパン、各種生活用品にウイスキーなども置いてあります。
う~ん・・・どうやらここは電気屋ではなく、外国製品を扱う雑貨屋のようです。
この品揃えから、ここが確かに「国境の町」なのだということが分かります。
すでに当時(1980年)、アフガニスタンとの国境は閉じられてしまっていましたが、ほんの何ヶ月か前までは、人や物資の往来が活発にあったのでしょう。
今では信じられないことですが、1971年の印パ戦争の時には、在パ邦人はアフガニスタンに避難し、そこから帰国したというほど、パキスタンとアフガニスタンは「身近な隣人」だったのです。
それにしてもこの写真の店番の少年は、流通という川が堰き止められた町で、その後どうやって暮らし、どんな大人に成長していったのでしょうか。
彼の地に思いを馳せるとき、同時にそんなことも思い出してしまうのであります。
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