私はいまだかつてスクールバスというものに乗ったことがない。
小学校は結構遠かったが、普通の公立(市立)の小学校なのでそんなものはなかった。
そもそも私と同じかもっと遠い距離を歩いて通って来る生徒は他にもうようよいたので、「スクールバスがあればなあ」などといった要望すら持たなかった。もしあの頃、小学生の私の前に魔法のランプの魔人が現れ、願いを三つ叶えてくれると言っても、決して「スクールバスを走らせて下さい」などとは言わなかっただろう。それより「学校を消してしまって下さい」とお願いしたことであろう。
さて、インドにはまだまだちゃんと学校に通えない子供もいる一方で、小さな生徒を満載し、朝夕送り迎えをするスクールバスやそれに準ずる車両などもよく見かけ、そこからインドの抱える貧富の差や教育問題をするどく洞察したりするかといえば、私に限ってそんなことはなく、バスの後ろに掲げられた標識をぼんやり眺めたりする程度で終わってしまうのである。
で、これがそのインドのスクールバスに描かれている標識である。男の子と女の子が連れ立って歩く姿は、日本の標識にも似たようなものがあり、もしかしたらこれは万国共通のデザインなのかもしれないが、そこはやはりお国柄が出ていて、なるほどこの少年少女は手足がひょろっと長く、鼻がすっとしているところがなんともインド人っぽい。(インドにもいろんな人種がいるのでもちろん一概には言えず、あくまでも「イメージ」ということだが)
では、日本のものはどうかといえば、これがそのスクールバスの標識である。なるほど、確かにこれは日本の少年少女のように見える。
でもそれはただ単に見慣れているだけでそう思うのかもしれない。
つまりこの絵がニッポンの少年少女を如実に表しているのではなく、この絵を「ニッポンの少年少女」だと思い込んでいるだけなのではないだろうか。
もう一度よく見てみよう・・・じろじろ
う~ん、はたして現代のニッポンに於いて、こんなカツオちゃんとワカメちゃんみたいな組み合わせの子供がいるだろうか。
戦後食生活や生活様式の変化により日本人の体格はすっかり変わり、またファッションなども変わっているので、こうした標識もその時代を反映する必要があるのかもしれない。
同じように経済発展著しいインドでも、人々に戦後ニッポンに起こったような変化が見られることは充分考えられるので、スクールバスの標識の今後の変遷などを追っていくと、経済的変化の人々の身体的特徴とファッションセンスに及ぼす影響などが観察され、なかなか面白いんじゃないかななんて思う次第である。
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