〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。 5/21(月) アーマダバード 晴 気温36℃ 5時頃目が覚める。疲れていたわりには良く眠れなかった。 7:35 徒歩にてティーンダルワーザを通り駅へ。 駅ではやはりまごつき通常の窓口に行ってしまい、そこで聞いた窓口も違っており、結局別の建物である「Reservation Centre」で難なく買えた。 帰りも徒歩で、カメラをぶら下げながらぶらぶら歩いていると、昨日と同じ道なのにまったく違った見方が出来た。 下痢と疲れでクタクタになり、バナナを6本Rs.10で買いHotelへ。 バッファリン1錠飲み昼寝。 4時頃家へTel. Rs.45 BATAでチャッパルRs.124.95買う。 夕食はまたチキンフライドライスRs.55だった。 頭痛治らずバッファリン2錠飲む。 8時過ぎには寝てしまう。 〔5/21の支出記録より〕 朝食(駅) Rs.40 合計 Rs.567.95 |
【以下の解説は2009年10月23日のものです】
昨日はかなり疲れていたはずなのに、あまり良く眠れず朝5時に目が覚めてしまいました。
部屋の中はまだ暗く、唯一ある小さな窓は換気が主な目的のようで、外の様子はほとんどわかりません。
少しお腹の調子が悪いかなとは思っていましたが、トイレに行ったらひどい下痢でした。
インド方面ではひどい腹痛を伴う下痢で、俗に「インド腹」と呼ばれるものがあるのですが、今回のものはまったく腹痛がありませんので、おそらく疲れの累積から来ているのではないかと思います。
私は消化器系があまり強くないので、こんな時のために梅干しだけは日本から持って来ていました。梅干には殺菌作用があり、またクエン酸が疲れを取ると言います。そしてなにより、梅干を食べるとホッとするので、精神面での効果も期待できるのです。まあ科学的に見たらどうなのかはわかりませんが、「病は気から」と言いますので、はい。
つい昨日苦労して駅からここまで歩いて来たばかりだというのに、今日はまた駅まで行って次の移動のための列車を予約しなければなりません。なんだかそういうことで時間を取られるのも馬鹿らしいと言えば馬鹿らしいのですが、とにかくこの頃は「なんでも自分でやらなきゃ」と思っていたので仕方ないのです。
というわけで早朝のアーマダバードの街へ繰り出しました。
まず向かったのはアーマダバード旧市街のランドマーク的存在であるティーンダルワーザです。ティーンダルワーザというのは「三連の門」という意味で、15世紀にこの街の創設者アーメド・シャーが築いたバドラ城の一部です。
この門の周りにはたくさんの商店が立ち並び、本来とても賑やかなところなのですが、さすがにまだ8時前ということで商店はどこも開いておらず、ただウシだけがごろごろしていてやたらと目につくのです。
アーマダバード駅にも外国人専用の窓口があります。
それは駅舎の(向って)右側にある「Reservation Centre」という、まったく別の建物の中にあるのですが、そんなことはちっとも知りませんでしたので、駅舎の普通の窓口のハシゴをしてしまうなど、そこにたどり着くまでにだいぶ苦労をしました。
でも、Reservation Centreにさえたどり着ければあとは楽でした。人生楽ありゃ苦もあるさとはこのことです・・・あっ、反対か・・・
朝食をまだ食べていなかったので、駅舎の中に入っている店でピザを食べました。ひどい下痢をしているので、できればお粥とかさっぱりしたものを食べたいところなのですが、さすがにそれは無理というもの、なのでせめてスパイスがあまり入っていないものを食べようと思ったわけです。
アーマダバードの駅のすぐ近くには「シディ・バシール・モスク」というものがあります。
まあ「モスク」ですのでイスラム教の礼拝所というわけですが、このモスクは「揺れる塔」で有名なのです。なんでも正面にある2本の塔は揺れる構造になっており、一説では地震対策としてわざと揺れるように設計されているとのことなのです。
はたしてその「揺れ」とは、どのくらいの力で、どんな風に揺れるのか、という一番気になる点が、どのガイドブックにも書いていなかったので良くわからないのですが、とにかく百聞は一見にしかずと行ってみることにしました。
シディ・バシール・モスクは本当に駅の近くでした。こんな立地じゃ列車が通るたびに、例の塔が揺れて揺れて仕方ないのではないかと思うほどです。
しかし、そんな気になる「揺れる塔」は、なんと修復中でした。実はこの年(2001年)の1月26日、グジャラート州を襲ったマグニチュード7.9という大地震によって、アーマダバードも大きな被害を受けていたのです。
そしてもちろん、その被害は歴史的な建造物にも及び、私が訪れた5月にもいろいろな所で、同様の修復作業を見かけました。
しかしこのシディ・バシール・モスクの塔は「地震対策」が功を奏したのか、一部の修復は必要になったものの、塔自体が倒れることはなく、こうして立派に立っているのであります。
そのようなわけで、こうしてみなさんが一生懸命修復している塔を、たとえ冗談でもゆっさゆっさと揺すろうなんてことはできるわけもなく、写真を撮るだけに留めたのであります。これからまたホテルの方向に戻るのですが、体調が悪いのだからオートリキシャに乗ればよかろうものを、懲りずに帰りも歩きです。
それでもすでに駅とホテルを一往復していますので、ほんの前日ドキドキしながら歩いたのとは比べ物にならないくらい気持ちに余裕があります。心に余裕があると同じ風景を見ても、まったく違って見えて来るから不思議です。病は気から、風景も気から、ですね。
しかしそうは言っても極度の下痢に加えて炎天下の行軍、旧市街のバザールなどをうろつきながらホテルの近くまで戻ると、もう体力は限界を迎えていました。そこで、「そうだ!病気の時はバナナだよな、バナナ」と、なんだか時代錯誤なお見舞いのバナナなんてものを思い出し、道端の露店でバナナを6本買いました。6本買ったのは、ただ単に10ルピーで6本だったからです。
自分へのお見舞いのバナナを持ってホテルに戻ると、なんだか頭も痛くなって来ました。炎天下の中を歩き過ぎたのでしょうか。そりゃあそうでしょうねえ。
そこで頭痛薬を飲んで昼寝をすることにしました。とにかく休養が一番なのです、って、だったら初めからオートリキシャに乗れよな。
夕方近くに起き出し、電話をかけに外に出ました。
インドには人に電話を貸す電話屋という商売があり、それはただ机の上に電話機を置いただけのものから、店の中にいくつかの電話ボックスを設置して、デジタル表示の料金メーターで管理しているというのまでいろいろあるのです。
もちろんホテルの部屋からでも電話はできるのですが、料金に上乗せされるのがいやなので、私はいつも料金メーターの付いた明朗会計の電話屋を探して利用していました。
*レシートは前日(5月20日)のものです。レシートの真ん中辺りに、日本の国番号である「0081」が見えますが、実際にはその後ろに通話先の電話番号が印字されています。(はい、ここでは消してあります)
さて、家に電話をすると、デリーから出したハガキがようやく今日着いたとのことでした。しかも毎日連続して出した5枚分が、同時に配達されたというのです。
一国の首都デリーで5月11日に(もちろんAir Mailで)出したハガキが5月21日に届くとは、なんとまあ時間のかかることでしょう。しかも5日分が一緒とは、日本へ飛ぶ飛行機が週に1便ということはないはずなのに、いったいなにがどうなっているんでしょうねえ。
でもまあ、切手を剥がされることもなく、無事に届いたというだけで良しとしましょう。
外に出たついでにサンダルを買うことにしました。
私はインドでは足回りはしっかり固めることにしておりますので、通常はウォーキングシューズを愛用しているのですが、ホテルの部屋でのスリッパ代わりにサンダルを利用しようと思ったのです。
インドではサンダルのことを「チャッパル」と言います。またインドではどこの街に行っても「BATA(バータ)」という靴屋(正確には「BATA」はメーカー名です)があるのですが、私はあえてそのBATAブランドのチャッパルを買うことにしました。
私が買ったチャッパルは、その店の中でも安い方の商品で、それが正価なのかそれともセール価格なのか124ルピー95パイサというハンパな価格で、普段あまり見かけない補助通貨のパイサ貨がお釣りとして渡されました。
夕食は何を食べたらいいのかわからず、結局昨日と同じくルームサービスのチキンフライドライスとなりました。
下痢をしているのでこういう食事はあまり良くないのでしょうが、なにしろあまり選択肢がなく、また昨日食べたチキンフライドライスが、懐かしい(というほど日本を出てから日にちが経っていませんが)日本のチャーハンの味だったこともあり、少なめに食べるつもりで頼んだのです。
しかし極度の下痢に頭痛も加わり、私はこれからどうなってしまうのだろうかと、結構本気で心配になってしまったのであります。
つづく
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