〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。 2010年5月2日(日) マハーバリプラム 晴 30℃くらい 2時過ぎに目が覚めてしまい、その後まったく眠れず。 6時、停電したので散歩に出る。 日曜日ということもあって寺院前はたくさんのバスが停まっていて、外にシートを広げて朝食の準備をしている人たちもいた。 まだ停電中だったので下でチャイを飲みゆっくりする。 8時過ぎ、もう一度海に行くがすぐ戻り、屋上で時間をつぶす。今日はひたすら汗をかかないように過ごすのが課題。 昼まで部屋で今後のルートの検討。右ルートか?左ルートか? 11時50分、ルーフトップでスペシャルスープ。 いよいよ荷造り。昨晩社長が言っていた石のガネーシャをもらったら、持って行くのが大変だろうなあ。それっきりになってくれと祈る。 3時5分前、下に降りる。 3時半、アンバサダーが来る。 |
【以下の解説は2013年2月8日のものです】
〔以下メモに解説を加えて〕
2010年5月2日(日) マハーバリプラム 晴 30℃くらい
2時過ぎに目が覚めてしまい、その後まったく眠れず。 4時半頃洗濯する。 気温が27℃くらいまで下がっていて涼しい。 また雨が降るのかと思ったら、明るい夜明けを迎えた。
プレッシャーに弱いところがあり、翌日からの移動のためにしっかり寝ておかねばと思えば思うほど寝られなくなる。 でもってついには起き出し、はた迷惑なことに洗濯などしてしまうのである。 でもお蔭で午後の出発前には乾きそうなのだ。
6時、停電したので散歩に出る。 海を見てからバターボールへ。
停電とともに活動を開始するというのも今日で最後である。 朝の海は朝日に照らされ実に美しかった。しかしこの海も2004年のスマトラ沖地震では牙をむき、ここマハーバリプラムも津波による被害が発生した。今回宿泊した宿も被害に遭い、社長が経営していたビーチのレストランも津波で失ってしまったとのことだった。
日曜日ということもあって寺院前はたくさんのバスが停まっていて、外にシートを広げて朝食の準備をしている人たちもいた。 チャイを飲み宿へ。
宿泊すると旅のコストがグンと上がるので、夜のうちにバスで移動して早朝に目的地に到着するというパターンのインド人は多いようだ。バスの中には疲れた顔をした人がぼんやり座っていたり、外に出て歯を磨いている人などもいた。
まだ停電中だったので下でチャイを飲みゆっくりする。
停電しているので部屋より店先の方が気持ちがいい。そんな店先では宿の奥さんが米粉で吉祥模様を描いていた。毎朝のことでさぞかし大変なことだろう。
8時過ぎ、もう一度海に行くがすぐ戻り、屋上で時間をつぶす。今日はひたすら汗をかかないように過ごすのが課題。
先ほど寺院横で見たバス客の姿は実は他人事でなく、今夜はチェンナイから深夜バスに乗って800kmを北上するのである。なので今夜はシャワーも浴びることができないので、できるだけ汗をかかないようにしたいのである。
昼まで部屋で今後のルートの検討。右ルートか?左ルートか?
「今後のルート」というのは、この旅一番の目玉であるチャッティースガル州ジャグダルプルからの帰路のことである。ジャグダルプルから一旦州都ライプールへ出るところまでは決めていたのだが、その後右ルートで海辺の町プリを目指すか、それともバスを乗り継いでヴァラナシを目指すかで悩んでいたのである。
11時50分、ルーフトップでスペシャルスープ。
結局社長の言っていた「特性ビリヤーニ」はその後話題に上ることもなく、ごく普通にいつものスペシャルスープとなった。もっとも今後の長旅を考えると、あまりお腹にガツンと来そうなビリヤーニは食べたくなかったというのが本音である。それなのにちょっと悔しいのはなぜだろう。
いよいよ荷造り。昨晩社長が言っていた石のガネーシャをもらったら、持って行くのが大変だろうなあ。それっきりになってくれと祈る。
結果から言えば石のガネーシャはもらえなかった。でもってこれもホッとした反面、無性に腹が立った。
3時5分前、下に降りる。 ところが社長は「3時半だ。そんなに早くどこに行くんだ?」と言う。
そしてトドメはこれだった。そもそも社長が「三時出発」と言ったので、日本人らしく5分前に降りて来たのである。さらに社長は当初「おれもチェンナイまで送って行く」と言っていたのだが、急に用事が出来たとかで行かなくなった。 こちらとしても社長には来て欲しくないのだが、ここまでいい加減な事を言える神経が理解できない。なのでこちらも寄付の話は無視することにした。
3時半、アンバサダーが来る。
これだけなら「なかなか時間に正確じゃないか」と思うことであろう。しかしこのアンバサダーは先ほどからちょっと先の路地に停まっていたのである。なんのための時間調整なのだろうか。まったく理解に苦しむことが多いのである。