〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時の1ルピー(Rs.と略す)のレートを約1.7円とお考え下さい。 2013年11月17日(日)ドワルカ 晴 ドワルカ寺院は時間で開くようで、行った時(1時過ぎ)は閉まっていた。 スイーツ屋でパイとカリントウのようなお菓子(どちらも円盤型)を買う。 ガートを通って海の見える場所まで行きスイーツを食べる。 |
〔以下メモに解説を加えて〕
2013年11月17日(日)ドワルカ 晴
荷物を置いて散策に出る。
部屋は最上階なので外出の時などはエレベーターを使うことになる。
で、インドはイギリス流で階数を呼ぶため、一階がグランドフロアー、二階がファーストフロア―となり、われわれの301号室は三階ではなく四階にあたる。
そのくせこのエレベーターの階数表示の数字は、グランドフロアーが「1」、ファーストフロアーが「2」になっている。なんてわかりづらいんだ!
そんな利用者の声を反映してか、このホテルのエレベーターにはでかでかと補助ステッカーが貼ってあった。
うん、これならまず間違えないだろう。
ちなみに一番下のボタンは「0」で地下を意味するのだが、このホテルはそもそも外階段を上がった通常二階の位置にレセプションとレストランがあり、そのフロアーがこのエレベーターのボタンの「1」にあたる。
つまりこのホテルに限って言えば、二階がグランドフロアーで、ファーストフロアーは三階になり、地下は実は地上そのものなので一階ということに・・・
なんてわかりづらいんだ! わお!
ドワルカ寺院は時間で開くようで、行った時(1時過ぎ)は閉まっていた。
ドワルカのことなどほとんど何も知らずに来てしまったので、この町の中心となるドワルカ寺院とはいえ、その開門時間など知るよしもない。寺院前の広場に何人かの人はいるのだが、その誰もが少々とまどったような顔をしているところを見ると、彼らもまた何も知らずにやって来たのだろう。
入り口にはなにやら時刻表らしき大きな看板があるのだが、私はここでもその文盲ぶりをいかんなく発揮してひとつも解読できない。その点頭上に掲げられた看板は、絵で持ち込み禁止品を示しているので実にわかりやすい。その昔「インドは文盲が多いので選挙の投票用紙にも候補者を示す絵が描かれている」なんていうニュースを見たことがあるが、なるほどなと心底納得した。
さすが聖地の門前市である。神様関連の品物や土産物を扱う店が並び、とても賑やかである。これなら寺院が開いていなくても、店を冷かして回っていればすぐに次の開門時間になるだろう。
もっとも私はそれが何時だかわからないのだが。
そんな門前市を歩いていると、おばさんが私を呼びとめカメラを指差しなにやら言っている。
一瞬やたらと写真を撮っていることを注意されたのかと思ったら、「私を写せ」ということであった。
なんだそんなことか、お安い御用である。
スイーツ屋でパイとカリントウのようなお菓子(どちらも円盤型)を買う。
Rs.15 + Rs.10 だが Rs.20 にしてくれた。
サムズアップ Rs.35
インドの商売人はやたらと商品を積み上げるのが好きである。
私はかつてそれを「ピラミッド型社会構造のなせるわざ」として、学会に論文を発表するとあれこれ言われてしまうのでこっそりこのサイトに発表したことがあるが、とにかく果物でも缶ジュースでもカバンでもなんでもかんでも積み上げてしまう。
しかもその積み方が芸術的に美しかったりするから感心してしまうのである。
門前市の中にもそんな風になにやらうず高く積み上げて人目を引いている店があった。近寄ってみると甘いいい匂いがする。どうやらお菓子らしい。
店の人に尋ねるとそのお菓子の名前らしきものを教えてくれたがさっぱりわからず、試食させてもらったら甘くておいしかったので二種類買った。
ガートを通って海の見える場所まで行きスイーツを食べる。
ドワルカに着いて初めて目にしたガートは、一連のガートの中の一番端っこの方であったようで、そこから海に向かって本格的なガートが続いていた。なるほど、こちらでは少数ではあるけれど、昼日中だというのに水に入っている人がいる。
老女のグループが輪になってなにやらしていたり、向こうでは太ったおばさんが濡れたサリーに空気が入ってパンパンになりながらも祈りを捧げている。そうかと思えば、巡礼の人たち相手に貝殻を売る男がいたりする。こちらは同じ貝殻売りでも本格的に店を構えて・・・と思ったら、やだこれ陳列棚じゃなくてガートの階段をちゃっかり利用してるんじゃない。ガートの尽きるところを右に折れると、そこは宗教色のないちょっとした公園になっていた。ここなら先ほど買ったお菓子を食べるのにちょうどいい。
これは丸くて平べったい形であるが、カリントウのような食感のもので、たっぷり砂糖が掛けられていてとてもおいしい。そしてこちらはパイ生地のものだった。
ちなみに親指の爪の血豆は、最近(この記事を書いてる今ね)ようやく先端に達し切って捨てた。巡礼者で賑わうガートと違い、ここは主に地元の人の憩いの場所であるようで、あちこちにそれらしき人たちが何をするでもなくぼんやり座っていた。まあ憩いとは本来そういうものなので、それでいいのだ。
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