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2008年9月12日:パインズクラブ通信 第324号

         
  • 公開日:2022年8月16日
  • 最終更新日:2022年8月20日

暦の上では・・・

9月も半ばに差し掛かろうとしておりまして、日中の日差しはまだ強めではありますが、通り過ぎる風はもう夏のそれとは明らかに違い、少し肌寒く感じたりする今日この頃です。

そしてこの仕事場の窓から外を見やれば、夏の間中日差しを遮って(まあ完全ではありませんでしたが)くれていたキュウリの葉も茶色く変色したものが目立つようになり、その葉陰で連日獲物が来るのを待ち構えているカマキリの羽にも茶色い部分が現れて参りました。

ああ、カマキリの擬態も秋バージョンなのですね・・・しくしくしく。

そんなわけでもうすっかり秋となりまして、なんだか夏に行った大阪の話の続きを書くのもなんだかなあと思いますので、うっかり入ったカニ専門店であまりの高価さに腰を抜かさんばかりに驚き、ほとんど満足に食べられずに店を後にし、新大阪駅でカツカレーを食べて大阪旅行の締めとしたことをご報告申し上げ、おしまいとさせて頂こうと思う次第であります。

あっ、ちょっと待って下さい・・・

えーとですねえ、万博公園のことをちょっと書きたかったのです。

なのでそれだけ書かせて下さい。お願いします。

大阪近郊の方は、「なんや万博公園かい。そんなん小学校の遠足で行くとこちゃうんかい」とおっしゃるかもしれませんが、そんなことを言ってはいけません。なにしろあそこは1970年の万国博覧会の会場だったところなのです。でもってあの万博の正式名称は「日本万国博覧会」だったのです。
決して「大阪万博」ではないのです。つまり「おーさかのおっちゃんのものだけやないんやでえ~」っつーことなのです。当時生きていた日本国民にとって共通の財産「戦後復興の総仕上的イベント」だったのであります。

そう、あれは1970年、私が小学校5年の時でありました。

♪こんにちはぁ~、こんにちはぁ~、せかいの~、くにからぁ~

という歌に乗って、本当に世界の国の人が「コンニーチハ」「コンニーチハ」と、ちょっと変わったイントネーションで挨拶しながらやって来たのです。
その参加国は77ヶ国、展示館(パビリオン)の数は約120という大規模なもので、会期中の総入場者数は640万人にものぼったといいます。

で、そんな日本始まって以来の一大イベントに、運よく私も行くことができたのです。
大阪に父親の弟(つまり私の叔父、通称「大阪のおっちゃん」)がいたものですから、その家に家族で泊めてもらい、連日(と言っても3日間くらいですが)千里が丘の万博会場まで通ったのです。

万博会場の中央にはあの太陽の塔が聳え立ち、その周りにいろいろな形のパビリオンが取り囲むようにして建ち並ぶその姿は、小学5年の私の眼にはまるで未来都市が出現したように見えました。
実際会場内には自分で歩かなくても移動できる「動く歩道」が設置されていたり、一般来場者用ではないもののテレビ電話が33か所にも設置されていたりと、科学小説に出てくるような設備がたくさんあって、当時の科学技術の粋を結集していたのであります。

しかしそんなすばらしい会場も、夏休み期間ということもあってどこも人であふれており、特に人気のあるパビリオンは2時間待ちなんてのはザラでありまして、私が万博見物で楽しみにしていた「月の石」を展示していたアメリカ館なんて、近づくことさえできなかったのであります。

あぁ~月の石、見てえ~

 

*このメルマガの後半へ続く

〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。

*このメルマガの前半からの続きです。

 

そんなわけで未だ月の石を見たことのない私ですが、あの盛況だった万博会場跡地「万博記念公園」に行って参りました。

その日は8月とは言え、すでに社会人の夏休みのピークは過ぎた平日であり、しかも小雨のパラつく空模様ということもあり、さらには事故を起こしたエキスポランドが未だに閉園中ということもあり、モノレールの万博記念公園駅で下車する人の姿もちらほらといったところでした。

そんな状況でしたから、万博公園に入園する人はさらに少なく、園内は実に閑散としておりました。

とにかく切符を買って園内に入りますと、目の前にはあの太陽の塔がどど~んと聳えているではありませんか。
両腕(あの両脇から突き出た角みたいなやつのことです)を大きく広げたその姿は、まるで「さあ、私の胸に飛び込んでおいで」と言ってくれているようで、なんだか嬉しくなってしまいました。

えっ?なんですか?

太陽の塔は万博記念公園駅からすでに見えていただろうって?

ええ、まあそうなんですけどね、なんかほら、いきなり急に目の前に現れた方が劇的じゃないかなって思ってしまいまして・・・

すみません。文章偽装してしまいました。

じゃあ、ちょっと駅を降りたシーンに戻りますが、確かに高速道路を挟んだ向こう側に、あの太陽の塔が見えました。
でもって私は感激のあまりそこで写真を撮ったのですが、それが不思議なのです・・・

その位置からは太陽の塔は正面ではなく、やや左斜めからの眺めとなるのですが、写真に写った太陽の塔の、一番上の金色に輝く顔がこちらを見ているではありませんか!

た、たしか太陽の塔の金色の顔は可動式ではないはずなのに・・・

オオ、コレハイッタイドウシタコトダ。
カンゲイノイミデコチラヲムイテクレタノカ・・・ダトシタラキミガワルイノデ、ゼヒトモヤメテホシイトオモウ・・・

みなさんも万博記念公園で下車することがあったら、ぜひ太陽の塔を写真に納めてみて下さい。きっと金色の顔がこちらを向いていることでしょう。ひっひっひっ・・・

さて、また万博公園の中に戻りますが、あの1970年の盛況ぶりはどこへやら、未来都市は完全に姿を消し公園は自然が中心のものとなっていました。
あの日嬉々として乗った、路面と手すりのスピードが合っておらず手の方がどんどん先に行ってしまった「動く歩道」はすでにどこにもなく、すべてふつーの「歩く歩道」になっていました。
そしてテレビ電話やロボットといった「未来」のものもどこにもなく、それどころかなぜだか水車小屋なんてものが建っていたりして、あの日描いた21世紀の輝く未来が、水車小屋の臼で無残にもゴリゴリつぶされていくような気分になってしまいました。

ああ、あの頃大人たちが子どもたち(私たちのことですね)に語って聞かせていた未来像ってなんだったのでしょうか。
確かにSF映画などでも、文明が行き着くところは結局は世界の破滅だったりするというのがありましたが、まさか三菱未来館やフジパンロボット館が水車小屋に取って代わられるとは思ってもみませんでした。

まあ最近の流れは「科学の進歩」よりも「自然保護」でありますし、もちろんそれは私にも異論はないのですが、この万博跡地の変貌ぶりには、なんだかちょっとなあ・・・と思ってしまったのでありました。

そしてとどめはアメリカ館の跡地でした。

水車小屋を過ぎて少し行くと、歩く歩道の両側は結構うっそうとした森のようになっているのですが、その歩道のわきに立てられた小さな看板に、「アメリカ館跡地」と書かれており、その森がかつてはドーム式天井のアメリカ館が建っていた場所であることを教えていました。

そうと知ってあらためてその森を眺めると、そこに立つ木々があの夏アメリカ館の入場を待っていたおびただしい人々に見え、その誰もが疲れ切った声で私にこう訴えているように聞こえました。

「月の石・・・早く・・・見てえ~」

なにおう!

私だってあれから38年も経つのにまだ見たことないんだぞ。
それに私なんかアメリカ館の列に並ぶことさえ許されず、もっぱらアジアの小国のパビリオン中心に見て回ったんだぞ。

でもって今ではインド雑貨屋さ!

とまあ今回の万博記念公園訪問は、私にはちょっと切ない思い出になってしまったのでありました。

それでは今週はこの辺でおしまいに致します。

それではまた来週まで、

ごきげんよう!

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