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2016年グジャラート再訪・第19回 / ディウ要塞

         
  • 公開日:2017年10月5日
  • 最終更新日:2022年5月21日

今はビーチリゾートとしてにぎわうディウだが、その名が歴史に刻まれたのは「ディウ沖海戦」であった。

インド・ディウの海岸沿いのフォートロード

色とりどりの店が並び、いかにもビーチリゾートの雰囲気が漂う海岸通りである。

時に1509年2月3日、新たなインド航路の発見で勢力を伸ばしつつあるポルトガルと、ヴェネチア共和国などの援助を受けた既成勢力であるエジプト、インド諸侯の軍がディウの沖合で相まみえた。
これは取りも直さず新旧貿易ルートの競い合いであり、地中海-中東経由の東方貿易と喜望峰経由のヨーロッパーインド洋航路が、この地でぶつかったと言うことである。
結果はポルトガルの勝利に終わり、ポルトガルはアラビア海の制海権を得るとともに香辛料貿易を独占することになる。
さらにポルトガルは1535年にディウを占領し、要塞を築き船舶の航行監視の拠点とした。
以後、1961年のインド軍の侵攻までディウはポルトガル領であり続け、インド復帰後はグジャラート州に属さない連邦直轄地となったのである。

というわけで、ディウにはポルトガル統治時代の痕跡があちこちに残り、その最大のものがディウ要塞である。

なのでこれはぜひ見に行かなければいけないだろうと、朝の涼しいうちに行ってみることにした。

島の入り口である橋から続く海沿いの道はフォート・ロードという名がつけられていて、まさしくこの道を行けば迷うことなく要塞にたどり着く。

インド・ディウの朝の風景

その名もフォート・ロードの突き当りに要塞はある。

さすが日曜日とあって、フォート・ロードは要塞に向かう車や人で朝から賑やかである。
要塞のすぐ手前には大きな駐車場があり、すでにバスや乗用車がたくさん停まっていた。

インド・ディウの日曜日の朝

ディワリ休暇の明けやらぬ日曜日は、朝から観光客がどんどん来る。

まずは海を利用した堀に渡された石橋を渡って城塞へと入って行く。

インド・ディウのポルトガル要塞

細い通路をおねえさん方の後について要塞に入って行く。

渡り終わった左側には海に突き出た石の桟橋がある。

インド・ディウのポルトガル要塞

アーチの先は石の桟橋が海に突き出ている。

桟橋の周りは階段状になっていてまるでガート(沐浴場)のようであるが、さすがにここで沐浴している人は見かけなかった。

インド・ディウのポルトガル要塞

海の水はなかなかきれいである。

桟橋の先に見えるのは「Fotim do Mar(フォーティム・ド・マールと読むのかな?)」と呼ばれる石造りの人工島で、かつては監獄として使われていたとのことである。
この船を思わす建造物は、フォート・ロードのずっと手前から見え始め、なかなか目を惹かれ興味をそそられるのだが、残念ながら今のところ内部の観光はできないようである。

インド・ディウのポルトガル要塞

かつての監獄はまるで軍艦のように海に浮かぶ。

桟橋を後にして今度は右に進み、いよいよ要塞の内部へと入って行く。

インド・ディウのポルトガル要塞

いよいよ要塞の内部に潜入する。

それにしても朝からすごい人である。

インド・ディウのポルトガル要塞

ほかのインド人観光客に続いてぞろぞろ歩く。

通路の傍には石の砲弾(砲丸と言った方が適切か)がごろごろ転がっている。
それにしてもこんな丸い石を飛ばして、本当に船に命中したのだろうか。またもしうまいこと当たっても爆発するわけではなく、せいぜい船体に穴をあけるくらいなので、木造船が主流だった時代のまさしく歴史の遺物である。

インド・ディウのポルトガル要塞

昔の大砲の弾がごろごろ置かれている。

砲弾を見ながら進むと、今度は道が左に折れる。要塞なので道がくねくねしているのである。
その曲がりばなにこの要塞の説明板があった。

インド・ディウのポルトガル要塞

説明板には英語表記もあるが、私には猫に小判である。

英語での説明もあったのでここに掲示することにするが、ここは自習ということにしたい。

インド・ディウのポルトガル要塞

ディウ要塞の案内板である。各自これをよく読んで理解を深めて頂きたい。

さて、説明を読んで要塞の理解が深まったところで先に進むとしよう。

だらだら坂を上ると左手に石の坂が出現する。
ここから見ただけでも空が抜けていて、いかにも見晴らしが良さそうなので上ってみることにしよう。
それにしても石のスロープなので滑って上りづらい。思わずドリフターズの急坂を駆け上がるコントを思い出してしまう。

インド・ディウのポルトガル要塞

この石の坂道が滑って危ないのだ。

やはりここは見晴らしのいい場所だった。
さらに向こうには塔屋のようなものが見えるが、狭い階段に常にたくさんのインド人が取り付いているので、そこに上がるのはさっさとあきらめて、そのすぐ横から景色を楽しむことにする。

インド・ディウのポルトガル要塞

ここが要塞で一番高いところとなる。

ここから見えるのは主に島の北側である。
見下ろせばグジャラート本土との境となる狭い海峡が見渡せる。
この先には昨日バスで渡って来た橋が見え、また先ほど歩いて来た海岸線もきれいに見える。

インド・ディウのポルトガル要塞

これは島の北、グジャラート本土との境界側であり、この海岸線を歩いて要塞まで来たのである。

次に南側を見渡せる場所に行ってみる。

南側には外海であるアラビア海が広がり、この要塞の本来の目的である船の航行監視のための大砲が何門も配置されている。

インド・ディウのポルトガル要塞

要塞の南側は外海で、最重要監視地帯である。何門もの大砲を配し、臨戦態勢が敷かれていた。

ただしこの要塞は16世紀から400年もの長きにわたり使用されてきたものなので、これらの大砲がいつの時代のものなのだかわからない。特に年代など考えず、ただここに残っていたものを適当に並べただけなのかもしれないし、ことによると先ほど見た石の弾丸を飛ばした大砲も混ざっているかもしれない。
まあ少なくともインド軍を相手とした最後の戦い(1961年)で、この大砲が使われたとは考えにくい。まさかインド軍も象で攻めて来たわけじゃないだろうし。

インド・ディウのポルトガル要塞

この大砲も幾たびか火を吹いたのだろうか。

それはともかく、世界史の授業で習ったあの香辛料貿易の利権保護の任務として、この大砲がこうして目の前の大海原に向けられていたのだということを思うと、なかなか感動的である。

インド・ディウのポルトガル要塞

砲身は自国の利権を守るため日々海ににらみを利かせていた。

今ではこの要塞には灯台が建てられている。

インド・ディウのポルトガル要塞の灯台

今ではこの灯台が要塞一の見晴らし台となり、そしてディウでの最高地点となっている。

かつてこの海を航行する船にとって脅威ともなった砲台に代わり、今では船の安全を守る灯台が設置されているというのはなかなか面白いことである。

今もいろいろ問題のある世の中だが、それでも昔よりはいい時代なんだろうなあと、しみじみ思うのであった。

*情報はすべて2016年11月時点のものです。

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