インドという国に対しての印象は、「好きになるか嫌いになるかの両極端である」なんてことをよく言われます。
まあそれだけ、何事につけても強烈な国なんだと思います。
たとえば、今回の舞台となるお肉屋さんなどを見てみましても、日本のそれとはだいぶオモムキが違って、なかなか強烈です。
日本の店頭では、お肉はブロック状またはスライス状あるいはミンチ状などになっておりまして、ほぼ原型を留めていない形で冷蔵、冷凍保存されております。
しかしインドのお肉屋さんでは、それぞれのお肉が原型のまま、つまりは生きたまま常温保存(あたりまえですが)されていて、その場でさばいて売っているのです。
この写真は羊肉を売っているお肉屋さんなのですが、足や内臓が鉄の鉤に掛けられぶら下げられています。さてそこで、あなたはこのような光景を見て、どんな風に思うでしょうか。
1、うわあ~、残酷ぅ~、気持ち悪いなあ~
2、おっ、うまそう!そのモモのとこ200gおくれ!
3、この人、ひげを剃ったら意外と若いんじゃない?
とりあえず三つばかり例を挙げてみましたが、どうでしょうか、当てはまるものがあったでしょうか。
まあしいて言えばこれかな、というのはあるかもしれませんが、人の感じ方は十人十色、千差万別、出~会いっは!億千万!おーくせんまん!なわけです。たとえば「うわっ!気持ち悪い。だけどウマソー!」とか、そんな複合型の感じ方もあるでしょうし、それ以外にも人の数だけ感じ方があると思うのですよ。なのでインドの印象が完全に二極化するかと言えば、そんなこともないと思うのです。
話がすっごく横道に反れてしまいましたが、お肉屋さんの話題です。
確かに暑い時季など、こうしたお肉を扱う商店街(インドではたいてい同業者が軒を並べています)などに参りますと、すごい数のハエとすごいニオイに圧倒されたりしますが、目の前にぶら下げられたさばきたてのお肉はとても存在感があり、そいつを食べると栄養学的に見たエネルギーだけではなく、なにかもっとすごいパワーみたいなものが自分の体内に入って来るような気がするのです。それはきっと、お肉をただの「食品」としてではなく、「生き物」として捉えるからだと思います。そのお肉を食べることで、それを供してくれたものの分まで生きるということを感じ取るのだと思います。
つまりインドのお肉屋さんは、単なる食品提供者ではなく、人間に食物連鎖という自然界のオキテを思い出させる、そんなところでもあるのではないでしょうか。
せめてインドでは、そんなお肉に感謝の気持ちを込めて、「うめいうめい」と唸りながら食べたいものだと思う次第であります。
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