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罪を憎んで人を憎まず:インドでのオートリキシャの相乗り

         
  • 公開日:2013年12月16日
  • 最終更新日:2022年7月25日

インド、特に地方ではオートリキシャの相乗りは珍しくない。

またオートリキシャに乗っている時、急に警察官が乗り込んで来ることもたまにある。これは別に警察官の職務として、ドライバーが遵法運転を心がけているかをチェックしているわけではなく、おそらく歩くのが面倒な時(たとえば出勤時や帰宅時など)の私的利用に近いものだと思う。
まあもしかしたらインドの警察官には、公営並びに民営輸送機関にタダで乗車できるという特権が与えられているのかもしれないが、そこのところはよくわからない。

とにかくインドでは、オートリキシャがいきなり止められ、警察官が乗り込んで来てもさほど驚かないのである。

しかし先日のデリーでのケースは少々様子が違っていた。

なにしろその時は警察官一人ではなく、お連れの方がいらっしゃったのである。お連れの方は警察官のエスコートの下、よりによって私の正面にお座りになられた。ちなみにこの時の乗り物は電動オートで、後部座席は向かい合わせの日本的常識で四人掛け、インド的常識では六人掛けというものだった。

膝がしらが触れ合わんばかりの至近距離に、こうしたVIP待遇の方がおられるのが恐れ多いというか恐ろしいというかで、私は生きた心地がしなかった。しかし罪を憎んで人を憎まず、この方が何をおやりになられたかは定かでないが、きっとやむにやまれぬ事情があったのだろう。もし食べ物の万引きなら、もう5日ほど何も食べていなかったのかもしれないし、もし傷害なら、相手が「お前の母ちゃんデベソ」などと母親を愚弄する言葉を投げかけた可能性も否定できない。物事は常に視点を変えるとまた違った見え方がするものなのである。

犯人護送のシーンといえば、映画「遥かなる山の呼び声」のラストシーンが思い出される。
あまり余計な事を書くと映画のネタバレになるので控えるが、とにかくそのシーンが泣かせるのである。
どんな人にもその人なりの人生があり、また人はやり直すことができるのだという希望を持たせる、そんなラストシーンであった。

インドでは母なる大河ガンガーの流れは、それまでに犯した罪を洗い流すと言われている。
このVIPなお方も法的に罪を償ったのちガンジス河で沐浴し、新たな人生を歩まれんことを切に願いつつ、警察署前で降りて行かれたおふたりの背中に合掌するとともに、ホッと胸をなでおろす私なのであった。

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