実録「消えた私の荷物」第2弾です。
前回のお話しを読んでいない方のために、まずは「あらすじ」から始めさせて頂きたいと思います。
【前回のあらすじ】
6月初旬、あの45℃を超える猛暑の中での仕入れ、梱包、
そうしてニューデリー郵便局から発送した16箱の荷物たち。
本来1週間程で到着するはずなのに、待てど暮らせど影も見えず、
再三の問合せに対して来たのは「税関で留めた」の報告のみ・・・
異国の地で拘束された私の荷物16箱・・・さぞかし心細い思いを
していることであろう。
いざかわいい荷物たちを解放せんと、私はインド税関に敢然と
立ち向かう決心をしたのである。
さっそく協力者として、私のインド人脈の中より一人の男を抜擢した。
彼の名は「シン」。この際「シンちゃん」と呼んでも差し支えなかろう。
名刺交換しただけの人だが、そんな小さいことは気にすまい。
こうなったらシンちゃんだけが頼りだ。
頼むぞ!シンちゃん!
と、いうような経緯で再びインドへ行くことになったのです。
ホテルの手配もシンちゃんに任せ、あわただしく旅支度を整えた私は、気が付いたらもう成田空港のエアインディアの列に並んでいました。
すると列に並んだ私のところへ一人のターバン姿の男が近づいて来るではありませんか。
私はとっさに「いかん!インド税関から差し向けられた刺客だな!」と判断し、いつでも攻撃から身をかわせるように、いささかへっぴり腰になりながら男と対峙したのです。
ターバンの男は私の名前を呼び、「お久しぶりです。シンです」と名乗りました。
なんだ、ターバンの男はシンちゃんだったのです。
でもなんで日本にいるのでしょう?
それともあんまりあわただしい出発だったので、自分でも気が付かないうちにインドに着いてしまっていたのでしょうか。
だとしたら私は機内食とビールをもらった記憶がないので、なんだか損した気分です。
シンちゃんは、「急に仕事が入って夕べの便で日本に来ました。さっき着いたばかりです」と言いました。
な~んだ、やはり私はまだ日本にいたのです。
機内食もビールもこれからもらえるようです。安心しました。
でもちょっと待って下さい・・・唯一の頼りと思っていたシンちゃんが日本に来てしまったのでは、私はいったいインドでどうしたらいいのでしょう?
結局シンちゃんは私のために別の人を用意してくれており、また今夜のホテルもちゃんと取れていたと知り、私は安心して機上の人となったのです。
デリーで待っていたのはシンちゃんの幼なじみのヴィジェンドラ君でした。
ヴィジェンドラ君はシンちゃんほど上手ではありませんが日本語も話せ、英語も、そしてもちろんヒンディー語も話せるといったトリプルリンガルな男、略して「トリリン」でした。
そこで今後は「ヴィジェンドラ」という難しい表記はやめて、「トリリン」と、まるで進○ゼミのキャラクターのような名前で呼びたいと思います。
私とトリリンはさっそくその夜ホテルで会い、明日の作戦会議をしました。
私は今回の経緯を説明し、必要な書類を手渡しました。
トリリンは通関に詳しい友人に相談すると言い、明朝9時半の行動開始を約し、がっちり握手をして健闘を誓い合ったのでした。
翌日はまず荷物を出した郵便局に行くことになりました。
とにかく今の時点では荷物がどこにあるかも分からないのです。
ですから荷物の流れを追いかけて行くことが必要なのです。
どうせならおでこに切手を貼って、自分を郵便物に見立てて流れを追おうと思ったのですが、今こうしてのんきに文章を書いているのと違い、現場の私はまだ不安でそんなおちゃめをしている余裕はありませんでした。
まず手始めはニューデリーの郵便局です。
ところがまだ9時40分くらいでしたので、郵便局の職員がまだ来ていません。
そこで開店(?)準備をしている職員に尋ねると、スピードポストセンターへ行けと言われました。
そうなのです。私の荷物はスピードポストと呼ばれる方法で出荷したので、他の郵便物と違い、その後の経路はスピードポスト専用レーンに乗っかるのです。
言わばエリートコースをまっしぐら、そこのけそこのけ頭が高い!ってな具合で、とんとん拍子で事が運び、たったの1週間で日本に着いてしまうのです、普通なら・・・
スピードポストセンターは郵便局からさほど遠くない場所にありました。
なるほど、ここにデリー市内の郵便局で出されたスピードポストが集まるのだな。
選ばれたものだけに入館が許される施設、エリートの館と言った風情なのです。
トリリンは「おじさんがここで働いているので、まずはおじさんに事情を聞いてみよう」と言いました。
おー、それはいい。なにしろインドでは人脈をうまく利用していくのが一番なのです。
正論で迫っていっても権力を持った立場の人には通じないこともあるのです。
しかもトリリンのおじさんがスピードポストセンターの実力者だったら、一気に問題解決に漕ぎ付けられる可能性だってあるのです。
これは思っていたより楽な勝負になりそうです。
持つべきものは実力者のおじさんだなぁ~、よかったよかった。
私たちはスピードポストセンターの二階に上がり、トリリンのおじさんを探しました。
トリリンはおじさんを探すためにそこらの人たちに何やら尋ねているのですが、当然ヒンディー語で話しているので私にはぜんぜん分かりません。仕方がないのでその間を社会科見学に来たつもりで、スピードポストセンターの内部を観察することにしました。
そこでは郵便物の仕分けが行われているようでした。
机の前に下駄箱風の棚が設置されていて、その各段に封書を分け入れる作業が行われています。
封書の裏表を眺めてから、その所定の位置に収める作業が行われているのですが、私が昔郵便局でアルバイトをしたときの10分の1くらいのスピードなのです。
ここは本当に「スピードポストセンター」なのでしょうか?
見ていてもどかしく、ついつい自分でやりたくなってしまいます。
「おじさんはまだ来ていないらしい」というトリリンの言葉で自分の立場を思い出しました。
それは残念です、スピードポストセンターの実力者として君臨しているであろうトリリンのおじさんは、その実力者ぶりを充分に発揮して重役出勤のようです。
「あそこがおじさんの席です」とトリリンの指差す方を見やれば、おじさんのデスクの前にも下駄箱風の棚が・・・
結局他の人にも聞いたところ、その荷物はすでにここにはないとのことでした。
それならどこに行けばいいというんじゃい!と、少しおじさんに失望した私はトリリンに尋ねました。
そしてトリリンの答えは「フォーリンポスト」とのことでした。
そうです、私の荷物は日本行き、つまりは外国向けの郵便ですから、ここから先はフォーリンポストのレーンに乗っかり、一路日本を目指すのです。
あれ?ちょっと待って下さいよ・・・そもそもスピードポストというのはEMSと呼ばれていて、日本では「国際スピード郵便」というのです。つまり全部外国向け郵便なのです。
普通の郵便局で出したスピードポストがスピードポストセンターに集められるのは分かります。
でもそれがまたフォーリンポストへ行くということは、そこでまたスピードポスト以外の外国向け郵便物と合流することになるのではないでしょうか?
じゃあスピードポストセンターって何なのでしょうか?
返って荷物の動きが遅くなりそうな気がするのですが、気のせいでしょうか・・・
とにかくフォーリンポストです。いつまでもここにいたってしかたがないのです。トリリンのおじさんがそれほど実力者でないというのも、彼のデスクを見て分かりましたし。
フォーリンポストはオールドデリーの方にありました。
まずは1階からせめてみましたが、6階へ行けとのことでした。
そこで6階へ行って見ると7階へ行けと言います。
さらに7階へ・・・
そしてそこでついに私の荷物の存在が確認できたのです。
スピードポストは郵便局の受付でコンピュータ処理をされているというのに、私の荷物の番号を確認したのは手書きの台帳の上でした。
インドで私がいつも不思議に思うことのひとつに「機械化の効果」があります。
日本などでは機械を導入する際、「人手を省き」、「効率を良くする」というものが主な理由になると思うのですが、どうもインドは違うようなのです。
私の見たところでは、機械導入後の新システムと導入前の旧システムが同居して生きていて、返って業務が煩雑になったりしているようです。
おっと・・・そんなことはどうでもよかったんだ、大事なのは私の荷物でした。
さて、手書き台帳には青のボールペンで私の出したスピードポストの番号が載っていました。
ほらほら私の持っている伝票と同じ番号でしょ、よく見て下さい。それ、私の荷物です。
さあ、私の荷物を開放しておくれ。日本に向けて心置きなく送り出しておくれ。
ところがそんな私の願いもむなしく、担当官は「ボスのサインが必要だ」と言うのです。
う~ん、たしかにそうかもしれません。だいぶ時間をかけて苦労して到達した状況だと思っていたのですが、考えてみたら私たちはただ荷物の運ばれた経路をたどって来ただけだったのです。
これではNHKで昔やっていた「働くおじさん」という教育番組と同じです。
郵便局のお仕事を垣間見て来ただけなのです。
郵便局のおじさん、ごくろうさま!って言って番組を締めくくるだけなのです。
なんだ、そうだったのか、私にはゴールだと思えていた場所は、実はスタート地点だったのか。
まったくこれじゃお釈迦様の手のひらの孫悟空とおんなじです。
まあそんなことを言っても始まりません。とにかく教えられた通り2階へ行かねばなりません。
2階は税関のスペースでした。
日本では郵便と税関は監督官庁が違うのですが、インドでもそうなのでしょうか?
相変わらず余計なことに頭が行ってしまいます。
まずは問題解決が先決でした。
“Office of DY Commision CUSTUM” の看板がかかる部屋の前には、5人くらい座れるようなちょっとしたスペースがありました。
まだ時間が早いからか、私たちの他にお客(?)はおらず、ただ軍服のような格好をしてベレー帽をかぶったじいさんがいるだけです。
ベレーのじいさんは「ボスはまだ出勤して来ないから、それまでここで待つように」と言いました。
どうやらボスは本当に重役出勤で、いつ登庁して来るか分からないようです。
仕方ありません。ここはインドです、待たねばならないでしょう。ええ、ええ、待ちますとも・・・
私はこの待ち時間を利用して、トリリンから最新インド情報などを聞き出そうと思いました。
まずは映画の話で盛り上がろうと思い、少し水を向けてみました。
するとトリリンは迷惑そうな素振りを見せるではありませんか。
たしかにトリリンにしてみたら、このインドの言葉も事情もよく分かっていない日本人に成り代わって、これから税関と渡り合おうとしているのです。だいぶ緊張感が高まって来ていて、能天気に映画の話題で盛り上がるという心境ではないのでしょう。
そうかトリリン、君は本気で税関とやりあうつもりなのか、分かった、私もニッポン男児の端くれだ、微力ながら力を貸そうではないか。
あー、考えてみたら自分の持ち込んだ問題だったんだ。見過ごすわけにはいかないんだっけ。
私はしぶしぶ映画最新事情の入手を諦め、税関に対して私の権利と義務と名誉と生い立ちなどをどう主張しようか考え始めました。
とかく日本人はディベートが下手だと思われているが、ここはニッポン代表として理路整然と主張を述べ、さらにウィットとユーモアも交えて、時に悲しみ時に喜び、涙あり笑いありの舞台を繰り広げ、万雷の拍手を頂こうではないか!
待ってろよ!インド人!
先ほどの表情と打って変わり、肩に力が入りはあはあと荒い息などをし出した私に対してトリリンはこう言いました。
「いいですか、税関の人の前では出来るだけ悲しそうな顔をして下さい」
なんだ・・・せっかく気持ちが高揚してきたと言うのに、私の役どころはそれだけなのか?
まあ、そりゃあいくら御大層な言葉を並べようと思っても日本語でも難しいし、英語では幼児のケンカくらいになってしまうだろう。ましてヒンディー語は「ティーク・ヘェー」しか知らないので、その「OK!」の意味の言葉だけ繰り返していたら、完全に相手の言いなりになってしまうだろう。
分かった、ここはひとつ悲しそうな顔でおとなしく横に立っていることにしよう。ティーク・ヘェー!
結局ボスの登場まで1時間半も待たされました。
その間の私と言ったらずーと悲しそうな顔の作り方を研究していたので、すっかり眉毛が八の字になってしまい、目にはうっすら涙さえ浮かべ、その充血した目はカタカリダンスの踊り手のようでした。
ボスはベレーじいさんの敬礼を受けて自分の部屋に入って行きました。
なるほど、かなりエラソーです。
このみすぼらしい私とは好対照です。気持ちがいいくらいです。
部屋に入るタイミングはベレーじいさんが指図をしてくれるようです。
ベレーじいさんはそのボスの部屋の外に座っているのですが、頭上にブザーがあってボスが用事のあるときに鳴らされ、そのたびに機敏に立ち上がり背筋を伸ばして部屋に入って行きます。
その光景は見ていて飽きないものでしたので、同じブザーを隠し持って行き、しょっちゅう鳴らしたらさぞかしおかしかろうと想像すると、つい悲しそうな顔が崩れそうになってしまいました。
そんな楽しい時間も夢のように過ぎて行き、ついに私たちの番になりました。
かなり緊張した面持ちのトリリンの後から部屋に入る八の字眉毛の日本人。
私の悲しそうな表情に、ボスもきっともらい泣きをしてしまうのではないかと、かなり期待をして入場したというのに、そのボスはこちらに一瞥もくれません。
そうなのです、インドの偉い人はそういう態度をとるのです。
人を人とも思っていないような、人のことなんか他人ごとみたいな、ましてやニッポンという小さい国から来た八の字眉毛の男になんか興味を示さないのです。
あー、こんなことならニッポンから何か土産をもって来ればよかった。
両手にでんでん太鼓を持ち、口には吹くと3方向に紙の筒が伸びる通称「びょろびょろ笛」をくわえてにぎにぎしく入場すれば、このむっつりボスだってつい我慢しきれずにこちらを見るはずです。
もしかしたらおひねりだってもらえるかもしれません。
南京玉すだれなんかもかなり効果的な入場の仕方かもしれない・・・
ボスの苗字はトリリンと同じものでした。
実は部屋に入る前にこの情報をベレーおやじから聞き出していたトリリンは、きっと先祖が同じ土地の出身なので、その辺から攻めていこうと言っていたのです。
おう!その辺から攻めてやってくれ、トリリン!ティーク・ヘェーだ!
まだ別の人と話をしているボスの前に立ち、名刺を差し出すきっかけを待つトリリン。
後で見ていてもはらはらする。まるで他人事ではないようだ。
その通り!私の問題だった!ティーク・ヘェー!はっはっは!
おっ、ついにトリリンが名刺を差し出しました。そしてそれを受け取り見つめるボス。
あら?意外と表情が変わりません。
トリリン、あんまし効果がなかったんじゃない?
しかしボスはトリリンの話に耳を傾けています。
もちろんヒンディー語で交されている会話なので、残念ながら私は混ぜてもらえません。
ちょっと疎外感を持った私は、思わず会話の合間に「ティーク・ヘェー」と合いの手を入れたい衝動を抑えるのに必死でした。
ボスは話を聞き終わるとその書類を部下らしき人に回しました。
どうやら調整を部下に丸投げするようです。
私たちはボスより一段低い位の係官の部屋に通され、そこでいろいろ質問されました。
しかしここでももっぱらヒンディー語で会話が進められ、しかもトリリンはだいたいの状況を把握しているので、係官の質問にも自分で答えてしまいます。
私はここでもまったく出番がなく、トリリンのやや後方で相変わらず悲しそうな顔をしているだけです。
私にもなんか質問してくれぇ~、ヒマでヒマで死にそうだぁ~
そんな私の心が通じたのか、係官は私が前回宿泊していたホテルを聞いてきました。
ちょっとここで、隙を見てはトリリンから聞き出したところのこれまでの経過を総括して申し上げますと、どうやら私の荷が止められた理由は「インドの財産の国外への流出防止」にあるようでした。
と言いましても、私がインドの重要文化財を国外へ持ち出そうとしたと疑われたわけではなく、私の荷物が国外から持ち込んだ「外貨」で買ったものであるという証明をせよと言うのです。
つまりインドに外貨を落としてくれるのはありがたいが、そうでない場合は勝手に国外へ富を流出してはいかんということなのです。日本で言えば外国為替管理法のようなものなのでしょう。
そんなわけで前回インドに来ていたという証拠に、滞在の有無の確認が必要らしいのです。
そんなの証明するのは簡単です。そのホテルに電話をして聞けばいいのです。
なにしろ私はそのホテルを定宿としていて、いままで何泊したか分からないくらいの常連なのです。
今回は急な渡航だったので部屋が取れなく、やむなく別のホテルにしたとはいえ、名前を出しただけでそのホテルのマネージャー及び従業員はひれ伏すはずなのです。
私からホテルの名前を聞いた係官はさっそくホテルに電話を入れました。
ホテルの人間は一応宿泊記録を調べているようです。本当は名前を聞いただけで分かってるはずなのに、念には念を入れているのでしょう・・・それにしても少し時間がかかり過ぎます。
やがて電話を切った係官はこう言いました。
「宿泊記録にあなたの名前はないそうです」
うっそぉー!
ぜってぇー、うそだね!
そんなわけないんだから、たしかに1ヶ月前、1週間も連泊したんだから・・・
ホントは覚えてんでしょ?私のこと・・・
ほら、毎日のように部屋代の督促状をもらってたのに、完全に無視し続けた男ですよ。
ほら、トイレのフラッシュバルブの取っ手をもぎ取った男ですよ。
ほら、テレビのアンテナ端子を本体に押し込んで壊してしまった男ですよ。
ほら、チェックアウトのときに部屋に大量のゴミを放置して行く男ですよ。
覚えてんでしょうがぁ~!
当然そんな私の心の叫びが通用するわけもなく、係官は「それなら前回その買い物をするときに使ったルピーの、外貨からの換金証明を出しなさい」と言いました。
持ってねぇ~よ・・・そんなの・・・・
だいたい換金証明なんて再換金のときに必要なだけで、全部使っちゃったんだから、捨てはしなくても今回持ってきてるわけがないじゃない・・・そんな無茶を言うなんて・・・
それでもかばんをがさがさ探っていると、日本でUS$を換金したときの紙が出てきました。
金額も合っています。
こうなったらだめもとでこいつで押し切るしかないでしょう。
私はトリリンにその紙を渡しました。押し切る役はトリリンなのです。
いぶかる係官にあれこれトリリンが説明するのですが、やはりあまり効果はないようです。
諦めかけていたその時です、ボスが突然その部屋に入って来たのです。
ボスはいままでの経緯を部下から聞くとこう言いました。
「ティーク・ヘェー」
一瞬耳を疑いましたが、ボスの後についてボスの部屋まで行くと、サラサラと書類にサインをくれました。
トリリンの解説によると、部下の係官たちは書類がそろわなければ荷は絶対に出さないとか、いや罰金をとるべきだ、などと言っていたようです。
それをボスがたった一言、「そんなものは必要ない。ティーク・ヘェーだ」と言ったそうなのです。
やったぞ、トリリン!あんたの苗字の勝利だ!
その後はその書類を持って7階へ上がり、荷物を動かすように要請すれば万事がティーク・ヘェーなのです。
ところがです・・・そんなにスムーズに行かないのがインドです。
7階で例の手書き台帳と私の伝票を比べてみると・・・・ひとつ足りません。
私の荷物は16個なのに記録は15個しかなかったのです。
どうりで初めにその台帳を見せてもらったとき、そこの係官が「パンドラ、パンドラ」と言っていた訳です。
「パンドラ」って言うのはヒンディー語で15のことだったんです。
ちなみに16は何て言うのか知りません。すんません。
結局トリリンと私はそのひとつの荷物を探しに、振り出しまで戻ってやり直さなければならないのでした。
まずはニューデリーの郵便局・・・そしてスピードポストセンター・・・それからフォーリンポスト・・・1階、6階、7階、2階、ベレーおやじにボスとその手下・・・
どうやら私はとんだパンドラの箱を開けてしまったようです・・・とほほ