〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。 5/24(木) ムンバイ 晴 気温28℃(朝) 涼しい 朝、知らないオヤジが向かいのベッドへ来て寝る。 7:08 ムンバイセントラル駅着 あやしいタクシーの客引きにつかまり、インド門までRs.80で乗る。助手席の男が気になったので、聞くと「マイフレンド」だと言う。 インド門を見た後、海岸沿いのホテルへ。 ホテル・ストランド |
【以下の解説は2009年10月30日のものです】
目を覚ますと、列車はたくさんの家が建ち並ぶ地域を走っていました。もしかしたらもうムンバイが近いのかもしれません。
そんなことを思いながら、ぼぉーと窓外の風景を見ておりましたら、おや?あんな所に人がしゃがんでいる・・・あっ、またしゃがんでいる・・・
その人たちはみんなこちら向きにしゃがんでいるのですが、もしかしたらこれは・・・いや、間違えていたらごめんなさいよ・・・でもきっとこの人たちは、ウンコ、をしている方々だと、そう推察されるのであります。
見ればその後ろにはびっしりとバラック状の小屋が建ち並んでおり、この線路際は万里の長城もびっくりの超長屋状態になっているようなのです。そしてその家々には、おそらくトイレなどないのでしょう。
それにしてもすごい眺めです。その昔日本の国鉄のトイレが垂れ流し式で、それが沿線住民に多大なる迷惑をかけていたようですが、ここではその逆で、沿線住民がみんなしてインド国鉄敷地内に垂れ流しているのであります。あゝ、たくましきかなインド人民。
しかしまあ、かくいう私もひどい下痢で垂れ流し状態なのは似たようなもの、ムンバイに着くまで少しでも体を休めておこうと再びベッドに横になったのですが、すでにどこかで下車したのか、空になっていた向かいのベッドに、見知らぬ男がやって来てごろりと横になるのです。そりゃあまあ、そこは私のベッドじゃないので寝るのは一向に構わないのですが、その男は寝転がる前に天井の扇風機のスイッチを入れたのです。車内は冷房が効いていて、現在手元の温度計で22℃なのです。東京電力のデンコちゃんが見たら目を回す温度なのです。そんな冷気とも言える空気を、ぶんぶんとファンでかき回すわけですから、寒くて仕方ありません。いくら毛布があるとはいっても、全部すっぽりかぶれないので、もはや寝られる状態ではなくなってしまいました。
そんな私を尻目に、その男は毛布も掛けずに高いびきとは・・・あゝ、たくましきかなインド人民。
予定より一時間ほど遅れて、列車はムンバイセントラル駅に到着しました。
まず私たちはここから、ムンバイのランドマークであるインド門に向うのであります。
ムンバイには大きな駅が三つあります。まずデリーなど北方面と結ぶ列車が発着するここムンバイセントラル駅、ゴアなど南方面に行き来する列車が発着するチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス(ヴィクトリア・ターミナス)駅、そしてムンバイ市民の足にして大動脈である、通勤型電車がせわしなく発着するチャーチゲート駅となります。
私たちの降り立ったムンバイセントラル駅は、海に面したインド門から一番遠い駅で、チャーチゲート駅から延びる線路の途中にあります。なのでその通勤型電車に乗れば、とりあえずチャーチゲート駅までは行けるはずなのですが、地図を見たところチャーチゲート駅からインド門までは、まだかなり距離があるようだったので、ここからタクシーで一気にインド門まで行くことにしました。
と、実はそんなことを冷静に考える間もなく、列車を降りた私たちは数人の客引きに取り囲まれ、気が付いたら一台のタクシーに乗っていたと、まあそんなところが正直なところなのであります。
それでも一応料金交渉をして、80ルピーということで手を打って後部座席に乗り込んだのですが、なぜか助手席にも男が乗っています。あっ、もしかしたらこいつは力自慢の用心棒で、タクシーが走り出した後に、「料金は80ドルだったよな?あん?」などと言い出すのではないでしょうか。
そこで私はドライバーに、「この人は誰?」と聞いたのですが、ドライバーはこともなげにたった一言「マイフレンド」と言うのです。
マイフレンド・・・私の友だち・・・
あー、たまたま友だちと駅でばったり会い、おう、ちょうどお前んちの方に行くところなんだよ、まあ乗ってけよ、ってことで乗せたのかぁ、なるほどねえ。
大都会ムンバイの朝は早いのか、こんな時間でもすでに人々は活動を始めており、街はかなり混雑しておりました。
そんな雑踏の中を、このタクシーはクラクションを鳴らしながら突っ込んで行きます。いえ、それはもう「突っ込む」などという生易しいものではなく、「斬り込んで行く」と言った方がぴったりなくらい、殺気立っていました。これに比べれば昨夜のアーマダバードのオートリキシャなんて、徐行していたようなものです。
そんな風にしばらく走るとタクシーは止まり、助手席の男が降りて行きました。
ドライバーも男と一緒に降りて車の後ろに回り、トランクからカバンを取り出し男に渡し、代わりにお金を受け取っているのが見えました。どうやら助手席の男は単なる相乗り客だったようです。力自慢の用心棒でなくて本当によかったです。
ということで、これで車内の力関係は2対1となり、完全に私たちが有利となりました。もしドライバーが、「料金は80ドルだったよな」などと言い出したら、逆に「いや、80パイサだったぜ、ベイビー」くらいは、ダメもとで言っても許されるような情勢と言えなくもありません。タクシーはその後も快調に飛ばし、ついにインド門までやって来ました。
料金は最初の交渉通り80ルピーでした。
私はこれまでずいぶんこのドライバーを疑って来ましたので、ごく普通の対応をされただけなのにすごくいい人に思えてしまい、つい5ルピーのチップをあげてしまいました。ばかですね。
初めて見るインド門は、想像していたものより大きく、そして荘厳でした。インドには「インド門」と呼ばれるものが二つあり、ひとつはこのムンバイのもの、そしてもうひとつはデリーにあります。
しかしそのふたつはまったく違うものでありまして、デリーにあるものは、その全面に無数の戦死者の名を刻んだ、いわば慰霊碑もしくは記念碑でありまして、形はまさしく「門」そのものです。一方ムンバイのものは、かつてインドの宗主国であったイギリスから、国王ジョージ5世を迎えるために建てられたもので、門というよりお城のような雰囲気があるのです。
そのような建造物ですので、当然インド国内からもたくさんの観光客がここを訪れます。
この時もまだ朝早い時間だというのに、観光客らしいインド人が結構たくさん来ていました。
しばらくインド門周辺を見て回り、これからムンバイでの宿を探しに行きます。
ムンバイで有名なホテルと言えば、このインド門のすぐ前に建つタージマハルホテルです。
しかしこのホテルはただ単に有名と言うだけではなく、由緒正しき伝統を持つ超高級ホテルなわけで、私たちに泊まれるはずもありません。
それでもせっかくムンバイに来たのだから、せめてタージマハルホテルと同じ(ような)風景の見られる、この海岸通り沿いのホテルに泊まりたいと思い、事前にガイドブックで目星を付けていた「シェリーズ」というホテルへと向かいました。なにしろそのホテルの説明には、「海側の部屋からの景色は最高」と書いてあるのです。シェリーズホテルはインド門からは少し歩きましたが、確かにタージマハルホテルと同じ通りにあり、海に面していました。
さっそく玄関を入り、正面にある小さなカウンターの中で座って雑誌を読んでいる若い男に、「海の見える部屋はないか?」と聞きました。するとその男はこちらをチラッと見るや、すぐにまた雑誌に目を戻し、たった一言「ノー、サー」と言いました。私はその男の、まったく予想だにしなかった態度に少々戸惑いながらも、「じゃあ、海側でなくてもいいから部屋はあるか?」と聞きました。するとその男は、今度は雑誌から顔を上げもせず、「ノオ、サアー」と、少々面倒くさそうに言うのです。
いやいや、「慇懃無礼」という言葉は知っていましたが、もしかしたらこれがそれなのでしょうか。この男は、言葉の最後に「サー」を付けてはいるものの、態度からもわかるように、その言葉の発音はいかにも侮蔑的であり、よもやホテルマンとしての接客とはとうてい思えないものでした。
私は怒りがこみ上げて来るのと同時に、そのあまりにもあからさまな悪態に、なにか得体の知れぬ恐ろしさを感じたものですから、なにも文句を言わず外に出ました。
結局ホテルは、シェリーズのすぐ隣にあったストランドというところに決めました。外観は少しくたびれていて、部屋もまた同様ではあったのですが、夜行列車の移動で疲れている上に、シェリーズでの一件でさらにどっと疲れてしまったため、これ以上動き回るのが億劫になっていたのです。それになにより、ストランドでは海側の眺めの良い部屋が空いていましたので、少々高い(いや、かなり高い)料金ではありましたが、早くも5泊と決め、チェックインしたのであります。
つづく
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