インドの大都市には必ず「M.K.ガンディー通り」があり、また公共施設などにガンディーの像が建っていたりします。(写真はハイダラバードにある州庁舎前のガンディー像です)のちに「マハトマ(偉大なる魂)」と称されることになるモハンダス・カラムチャンド・ガンディーは、1869年10月2日グジャラート地方のポルバンダルで6人兄弟の末っ子として生まれました。
ガンディー家はヴァイシャ・カーストに属し、父親は藩王に仕える首相を努めるという家柄で、また敬虔なヒンドゥー教徒でありました。
そのような環境で育ったガンディーは、19歳でイギリスに留学し法廷弁護士の資格を得、任地として赴いた南アフリカでの人種差別の体験を経て、ついにはインド独立運動のリーダー的存在として民衆を率いて行ったのであります。
とまあ、こんな風にざっとガンディーのおいたちを見ますと、まるで成るべくして「偉大な魂」に成ったとも見えるのですが、実は彼の少青年期は懺悔の連続であったようなのです。
たとえばタバコを吸う、そのタバコ銭をかすめ盗る、兄の腕輪から金片を盗む、隠れて肉食をする(家庭は菜食主義者でした)など、まあおよそ普通の青年がやりそうなことではあるのですが、なかなかのやんちゃ振りだったようです。ただガンディーはその都度深い自責の念にかられ、一度は自殺を試みたことまであったとのことなのです。
さらに13歳という年齢で結婚したガンディーはたちまちその夫婦生活にのめり込み、彼が17歳の時の父親の臨終のきわでさえ、妻と寝室で過ごして立ち会うことができませんでした。そしてそのことは彼の自伝の中で、「もし動物的な情欲で盲目になっていなかったならば、父のいまわのきわにそばを離れていたという苦悶を味わわずにすんだのだ。これが、いまだかつてわたしが拭い去ることも、忘れ去ることもできなかった汚点なのである」と述懐しているのであります。
とかく伝説的な超人として伝えられる「ガンディー」ですが、その人間としての形成過程では常に過ちとその懺悔を繰り返すという、実に人間的なごく普通の人(考えてみればあたりまえなのですが)だったのです。
そして私は、そんな彼の人間臭い一面を知れば知るほど、益々ガンディーが好きになってしまうのであります。
参考文献:潮出版社刊・Calvin Kytle著・岳真也訳「ガンジー/非暴力の兵士」1983年4月28日初版
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