インドに行くといつも使うタクシードライバーがいる。名前をバルジート・シンと言い、私は勝手に縮めてバルジと呼んでいる。
今回もデリーでの行動初日に、バルジがたむろしているタクシー溜まりに行って見た。
目的地に近づくと後ろから一台のオートリキシャが近づいて来て「どこに行くんだ?」とお決まりのセリフを投げかけて来た。
振り向いてドライバーを見ると知っている顔だった。その男はバルジと同じタクシー溜まりにいるオートリキシャのドライバーで、巨漢のシーク教徒のドライバーと双璧を成す悪党、いや、やり手のドライバーである。
そこで私はバルジを探していることを告げた。彼らはこういう時もうそれ以上無理に自分の客にしようとはせず、率先してそのドライバーに携帯電話で連絡を取ってくれたりするのでとても助かるのである。
ところがその時そのドライバーは電話を取り出すこともせず、静かにオートリキシャのエンジンを切ると、じっとこちらの目を見てこんなことを言った。
「バルジートは半年前に死んだ」
えっ?
バルジが死んだ?
突然の思いがけない言葉に私は頭が真っ白になってしまった。
確かにバルジはよくおかしな咳をしていた。でも確か歳は私と同じくらいのはずなのだ。
オートリキシャやタクシーのドライバーはよくウソをつく。「今日はそのマーケットは休みだからおれがもっといい店に連れて行ってやる」などと言う。
でもさすがに人の生き死にでウソはつかないだろう。だいたいそんなウソはその辺のドライバーに確認すればすぐにばれてしまうわけだし。
なのでバルジが死んでしまったのは本当なのだろう。
バルジとの出会いは私がこの仕事(インド雑貨販売)を始めてすぐの頃だったので、かれこれ10年以上にもなる。
その頃の私はまだ今ほどインドのことを知らず、そのため百戦錬磨のタクシードライバーたちと毎回必死のバトルを繰り広げていた。
そんな時たまたま乗り合わせたのがバルジのタクシーだった。
バルジには他のドライバーたちとはちょっと違った印象を持った。
と言っても何か特別すごい能力を持っているとかではなく、どこか感が良いというか空気が読めるというか、でもそれは鼻に付くような頭の良さではなく、またこちらが鬱陶しく思うような押しつけの気のまわし方ではないのである。だいたいバルジも隙あらばお土産屋に連れて行こうとしたり(これは何度か付き合ってあげた)、あのマーケットは駐車スペースがないので嫌だとか、指示した道順が効率悪いだとか、料金を上げてくれだとかいろいろ文句を言うのである。でもこちらもその度に言い返し、それがその場限りで後を引かず気疲れしないところがよかった。
決定的だったのは、闇両替屋の誘いに私がどうしようかと迷っていた時、ふと見たバルジの目が「よせ」と言っているのがわかった時である。バルジは片目の瞼をほんの少し動かし、確かに私にそう言ったのである。
もっともバルジにしたら、自分がマージンをもらえる両替屋に連れて行きたかっただけなのかもしれない(実際その後そうなったが)。
しかしそんなことはどうでもいいことなのである。とにかく私はその時こいつとは感覚が合う、しっかり意思が通じ合う、そう確信したのである。人との出会いとは理屈ではなくそういうものなのだと思う。
そんなバルジとの思い出は数え切れない。
毎回デリー市内のマーケットを周るだけの付き合いだったが、それでも枚挙にいとまがない。
運転しながらカーステレオ(ラジオとカセットのやつ)を軽く叩き、頭をひねる仕草を何度もし、「暗に」それが調子が悪いことを私に教えるのである。
帰国後知り合いの自動車修理屋から中古のカーステレオを譲り受け、次回渡印時にバルジにあげたことがあった。
デリーのタクシーの料金メーターが一斉にデジタル式のものになった時、古いタクシーメーターが欲しいという私の願いを、バルジが叶えてくれた。(もっともこちらは有料だったが)
シーク教徒であるのにターバンを巻かないバルジも、シークらしく髭だけは伸ばしていたが、ある夏その髭をきれいに剃りあげて来たことがあった。
私は驚いて何があったのか?と問いただすと、バルジはこともなげに「暑いから」と言うのでもう一度驚いた。
そんなバルジのタクシーにもある夏ついにクーラーが付いたが、クーラーを使うと料金が50%アップとなるため私は一切使用しなかった。しかし40℃を軽く超える暑さにバルジが耐え兼ね、追加料金なしでクーラーを点けた時の私の満足感。たいして効かないクーラーの風が実に心地よく感じた。
日本製のバーチを買って来て欲しいと言われ、なんだそれは?バーチだ、バーチ!のやり取りが何度か続き、信号待ちの時バルジが右手で左の手首をしきりに叩き、またバーチ!バーチ!と必至に繰り返すので、それでようやく「バーチ」とは「ウォッチ」のことであるとわかった時のお互いの安堵した表情と「買って来れない」と言われた時のバルジの落胆の表情。
挙げ始めるときりがない。
私のトランクがデリー警察爆弾処理班によって破壊された時、もう処分してしまったトランクを欲しがってたバルジ。また次に破壊された時にはお前にやるよと約束したのに、それも果たせぬままである。
今回デリーで仕入れをしている時も、ふと見たマーケットの奥まった路地に、バルジのタクシーが停まっているような気がしてならず、そのたび何度も寂しい気持ちになってしまった。
長い仕入れの待ち時間、バルジはたいてい新聞や雑誌に読みふけっていた。
知り合った時にはそんなことはなかったのに、いつしかバルジは目をしかめるようにして紙面を眺めるようになっており、私は日本から持参した百均の老眼鏡をあげたこともあった。
そんな風に人はだれもが歳を取り、そして死んで行くのはわかっているけど、
ちょっと早いんじゃないのかな、バルジ。
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