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2001年6月17日:さざ波のささやき / コーチン

         
  • 公開日:2001年6月17日
  • 最終更新日:2022年6月2日

インドな日々

2001/06/17 さざ波のささやき コーチン

「ワシのボートに乗らんか?」と声をかけてきたのは白髪の老人だった。

それはコーチンに着いた初日であった。
料金だけ聞いて「後でまた来る」と言い、立ち去ろうとすると、「必ず来いよ!」と社交辞令を拒否する姿勢で臨む強気の老人であった。仮にも私は客だぞ。

そこはフォート・コーチンへ向かうフェリー乗り場でもある為、私はその後も毎日老人と顔を合わせてしまうのだった。
まあ、そういう船に一度くらい乗ってもいいかという気にもなっていたので、三日目に老人に船を見せてもらうことにした。

すぐ近くの桟橋に繋いである船は、古いがちゃんと船室とデッキのあるいわゆる観光船であり、80人はかるく乗れそうなものであった。
それを貸し切りで出してくれると言うのである。
私は本当にラッキーな男である。

明日乗るという約束をすると、予約金を払えと言う。
しかし、なにぶん雨季なので、大雨が降ってしまったら船なんかに乗りたくない。
私は海上保安庁の人ではないのだ。ただの観光客なのだ。同じ乗るなら好天の時にしたいものだ。

払いたくないと言う私に老人も折れ、「わかった、明日必ずこの時間に来いよ」と言った。
私の完封勝利であった。

翌日はみごとなまでの快晴であった。私は本当にラッキーマンである。

そんな快晴の中を、私はなぜか小舟に揺られて水面を漂っている。
私の後方では、ひげをはやしたおやじが、小舟に取り付けた船外機の点火プラグを外して、ガソリンで洗っている。すぐ止まってしまうボロエンジンなのだ。
ようやくプラグを取り付け、ひげおやじはヒモを引きエンジンをかける。

動いた動いた、よかったよかった・・・

よくない!よくない!

私が約束したのは80人乗りクルーザーである。こんな木のボートではないのだ。
ここは山中湖じゃないのだ!え!

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まったく、インド人たら催眠術を使うのである。
今日約束の時間に桟橋に行くと、知らない二人連れの男がやって来て「今日はじいさんは来ない」と言う。見ると昨日見た船もない。
男は「船はすぐに戻って来る。心配するな。ところでおまえは何が見たいのだ?小さな水路に入って行き、小さな村の人々の生活を見るというのはどうだ?」と、とても魅力的なことを言う。

そうなのだ、私はそういうのが見たかったのだ。
でも、ガイドブックを読むと、そういうのはシューマッハと行ったアレッピーとか、もっと先のクイロンとかへ行かなければならないと書いてある。すごく遠くまで行かなければならないのだ。

私はすぐにその話に飛びつき、それは本当に可能なのか?と聞いた。
男は「もちろんだ。ただ、あの大きな船ではだめだ。なにしろ狭い水路に入って行くのだから」と言う。
それはそうだろう。戦艦大和だってでかすぎて、パナマ運河を通れなかったのだ。コニシキだって普通の改札は通れないだろう。
それにしても、コーチンにいながらそんなバック・ウォーターの旅ができるなんて知らなかった。本当に頼れるのはガイドブックじゃなくて、親切なインド人だなと思い、つくづく自分の幸運を喜んだのであった。

そのあとは、あっというまにオートリキシャに乗せられ、気が付いたら小舟の上で揺られていたというわけである。

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それでも舟は、陽光まばゆい水面を切り裂き快適に進みはじめた。

あたりの岸はヤシの木に覆われ、ところどころに人家が見える。
ここの人たちはこの水路を生活の重要なものとして利用しているらしく、各家の庭先には石で造った桟橋のようなものがあり、そこで洗濯をしたり、釣りをしたり、うんこをしたりしている。

その時、右舷前方二時の方角で何かが動いた!

ウである!

ウーではない。ウーはウルトラマンに出てくる全身長い毛に覆われた雪山に住む怪獣である。
寒い地方の怪獣なのに顔がやけに黒い。それと目もぱっちりしていて、ちょっと不自然である。
本当にいるわけではないのだろうか?

すぐに話がそれてしまうが、とにかく「ウ」である。
この鳥は、全身黒色でくちばしの先がカギ状に曲がっており、水中に潜り魚を獲る。
大きく分けて「カワウ」と「ウミウ」がおり、上野動物園横の不忍の池にいるのは「カワウ」である。
問題なのは、ここにいるのはどっちであるかということである。
なにしろ、海に漕ぎ出した舟なのだが、入り江のようなところに入って来ている。
いったいどっちなのだろう?
そこで私は、この水を舐めてみれば、それがどっちだかはっきりするということに気が付いた。
しかし、見ればなんだかバッチイ色をしている。それにさっきの家では子供がうんこをしていた。
冷静になってよく考えてみたら、私にとってどちらのウでも、これからの私の幸多い人生には何ら支障がないという結論に達した。

こんな事を考えながら、小舟に揺られて進んで行った。

周りの景色はなかなかすばらしい。行き交う船からも手を振ってくれる。
みんな素朴でぜんぜん観光客ずれしていないのだ・・・

観光客ずれしていない?

もしかしたらここは、観光客なんかあまり来ないのではないのか?

そう言えばちっとも狭い水路に入らない。
この広さならあの80人乗り豪華クルーザーだって通れるんじゃないのか?
実際、あれより大きそうなフェリーが、人々の足として行き交っているではないか。

そんな私の考えを見抜いたかのようにひげおやじは舵を切り、「狭い水路に入るぞ」と言った。

私は舟の先端に移動して、これから始まるジャングルクルーズに備えてカメラを構えた。

楽しい時間は過ぎるのが早いと言うが、本当に早かった。
何も写真を撮らないまま・・・いや、撮るべきものが発見されないまま舟はまた広い水路に出てしまった。
振り返るとひげおやじの笑顔の向こうに、長さ10mほどの狭い水路が見えた。
そしてその水面は、われわれが通って来た証としてのさざ波が立っていた。

そのさざ波たちは、「本当に久しぶりに舟が通ったねえ」と、楽しそうにちゃぷちゃぷとおしゃべりしているのであった。

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