この写真に写っているのは、チャッティースガル州の州都ライプールで出会った少年である。
こう見るとちょっと少年とは思えないかもしれないが、実際に会話を交わしてみると、まだ中学生くらいの感じであった。
そんな少年に私はライプールで大変お世話になったのである。
そう、あれはホテルをチェックアウトし、バスの時間まで街をぶらぶら見て歩いていた時のことであった。
ライプールは特にこれといって見るところのない街なので、私はとりあえず鉄道駅へ行きその周辺で時間をつぶし、頃合いを見計らってバススタンドに向かうことにした。本来なら駅から列車で移動するつもりだったのだが、どうしても切符が取れなかったのである。
実はバススタンドは宿泊していたホテルのすぐ横なので、駅からは同じ道を素直に戻ればなんの問題もなかったのだが、それじゃあ面白くないということで、私は持ち前の鋭い方向感覚を頼りに、駅からの帰り道にぜんぜん違う道を選んだ。なんて男らしい生き方だろう。ところが初めのうちは商店など覗きながら余裕で歩いていたのだが、なかなかバススタンドにたどり着かない。ライプールは観光客などまず来ない街なので、天下のロンリープラネットもライプールの記述には半ページほどしか割いていないし、地図など載っていないので頼りにならない。
まあそんな時は人に聞いてしまえばいいのだが、その時はまだ自分の方向感覚を信じていたので、その機会を逸してしまったのが後から思えばまずかった。
しかしインドにはリキシャというものがある。どんな街に行っても流しのオートリキシャやサイクルリキシャが必ずいるので、道に迷ったらそれに乗れば即解決なのだ。
商店街を抜け広い道路をしばらく歩いたところで、私はついに最後の手段であるリキシャを遣うことにした。
しかしこれがぜんぜんいないのである。繁華街を抜け切ってしまっていたので、歩いている人すらおらず、流しのリキシャもこの辺りにはいないようだ。たまにオートリキシャが走って来ても、乗客を満載した乗合のリキシャであって停まってくれない。もっとも停まってくれても乗る余地がないのだが。
予約したバスの時刻までもうあと15分と迫っていたので、私はかなり焦っていた。
とその時、道のちょっと先からこちらを窺う視線を感じた。そう、あの写真の少年である。
少年は外国人などほとんどいない街の、さらに住人すらほとんど歩いていない道に佇む私を見かけ、自転車を停めてその動向を窺っていたようだった。
その時の私はもう藁をもつかむ気持ちでしたね。とっさに「この少年を逃したらおしまいだ!」とまで思いましたね。でもって「その自転車の荷台に載せてくれえ!」と心の中で叫びましたよ、ええ。
とにかく私は素早く少年に歩み寄り、「バ、バ、バススタンドはどっち?」と尋ねた。
すると少年は私の切羽詰まった表情から事態を飲み込んだようで、「こっちだ」と言うとすぐ横の路地に入って行き、路地裏の木陰で昼寝をしていたサイクルリキシャのおっさんを起こして、「さあ、これに乗れ」と言ったのであった。ああ、助かった。
少年に礼を言いリキシャに飛び乗ると、少年は今度は自転車でリキシャを先導して走り出した。おそらく地元の人しか知らない一番近い裏道を案内しようとしているのだろう。それは実にありがたい!
少年の案内する道は本当に裏道だった。
とにかく狭いのである。そして狭い道の両側に小さな家がびっしり建っているのである。
そりゃあ少年は自転車だからいいが、幅のあるサイクルリキシャは大変だ。
しかしサイクルリキシャも少年の自転車を追い、民家の軒先をかすめ、どぶ板をがたがた踏み鳴らしながら疾走する。
本当はたいしたスピードなど出ていないのかもしれないが、私には天馬の翔けるがごときスピードに思えたのであった。
お蔭でバススタンドにはバスの出発時刻の5分前に着くことができた。
サイクルリキシャを降り、命の恩人である少年に心の底から礼を言い、さらにほんのちょっぴりではあったが「コーラでも飲んでくれ」と小銭を渡そうとすると、少年はきっぱりとそれを断りこう言った。
「困ってる人を助けるのは当然のことです」
おお!もしやあんたはガンディーの生まれ変わりじゃなかろうか。
ああ、ありがたやありがたや・・・
とまあこんな風に、この少年にはバススタンドまでの道ばかりではなく、人としての道というものも教えて頂いたのであった。
この少年に輝かしい未来が訪れんことを、切に祈る次第である。
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