ディウはどこの州にも属さない連邦直轄地である。
地理的にはグジャラート州の一部のような位置にあるが、1961年までポルトガルが支配していたという特殊な地域なのだ。
ということで、一般的なインドとはちょっと異質なところのあるディウなのだが、その違いの一つに気軽に酒が飲めるというのがある。
しかも周りを取り囲むグジャラート州が筋金入りの禁酒州なので、その存在価値は非常に高い。
普段酒に無縁なグジャラートの人たちも、ディウに来てここぞとばかりに酒を飲む。そして私もここぞとばかりに酒を飲みたい。
もっともそれがディウに来た目的というわけではないが、私はすでに一週間も酒を飲んでいないので肝臓は元気である。
ただしまだ下痢が治っていない。
それがちょっと心配ではあるが、ビールの一本くらい大丈夫であろう。なんたって酒は百薬の長なのだ。
ということで、宿に荷物を置くとすぐに街へと出て行った。
あれだけへとへとになりながら宿探しをしている最中も、「BAR」の看板だけは見逃さなかったので、どこにそういう店があるか知っているのですぐ着いた。
ところがその店は酒は提供するが食べ物は一切ないとのこと。
私はこの二日間でバナナを二本食べただけなのでかなり空腹である。
だからできれば何か食べながら酒を飲みたい。
仕方がないので別の店に行くことにする。なにも酒を出すのはここだけではないのだ。
次に覗いた店は、すでに酔っ払ったインド人たちが盛り上がっていて、この雰囲気の中に一人で入る気にはなれない。でもまあこういう状態はこの店だけではなく、きっとどこも似たようなものなのだろう。
そこでちょっと考え直し、自分でつまみを買って先ほどの店に戻り、そこでビールを飲むということにした。先ほどの店は小さなテーブルが2、3あるだけだったが、他に客がいなかったのである。
ポテトチップスとピーナッツを買って先ほどの店に戻ると、この時間はテイクアウトしか対応していないとのこと。なるほど、どうりで空いてるわけだ。
食事も出さないのに、店で飲ませる時間が決まっているというのは合点がいかなかったが、とにかくここでは飲めないのである。かといってビールをぶら下げて帰って、宿のあの狭い部屋で一人飲むのもわびしい。
今度は海岸通りにある店に行ってみた。
ここにも酔っ払ったインド人のグループが何組かいたが、空席があるのを確かめてカウンターでビールを買う。この店は(たぶん他の店も)まずカウンターでビールを買い、空いている席に座って飲むというシステムなのだ。
ビールは70ルピー(約112円)だった。やっすいっすね!
そこで財布から500ルピー札を出して手渡すと、なんとお釣りがないと言う。
確かに70ルピーの買い物に500ルピー札は大きすぎるかもしれない。またインドではお釣りの用意のない店などいくらでもあるのも知っている。
しかしだ、この店には今だけでもこれだけの客がいて酒を飲んでいるのである。430ルピーくらいのお釣りがないってのはおかしいだろ!
ビールを目の前にして飲めないという苛立ちから、私は店員の手から少々乱暴に500ルピー札を奪い返すと素早く店を飛び出した。
しかしビールへの思いは簡単には断ち切りがたく、店を飛び出した後も、どこぞで両替をしてもう一度あの店に戻ってみようかなどと未練がましく考えていた。なにしろ冷えたビールが私のほんの目と鼻の先まで来ていたのである。
だが酒の飲める店はまだある。ほらあそこにも「BAR」の看板があるではないか。
ところが今度は、まだランチメニューなので酒は出さないと言うのだ。
ランチ?もう夕方の6時になろうとしているのだぞ。いつまでランチを食べているのだ。口の中でウンチになるぞ!
と、ことここに至り、もしかしたらこれは神様が「酒を飲んじゃいかん」と言ってるのではないかと解釈することにして、隣のフードコートで食事をし、おとなしく宿に帰ることにした。
さて、その翌日である。
朝からあちこち見て回り、食堂で早めの昼食を取っていると、居合わせた若いインド人が勝手に私の前に座り、いろいろしつこく話しかけて来る。
どうやら酔っ払っているようなのだが、こちらは酒も飲まず、一人静かに食事をしているところなのでとても煩わしい。普段酒を飲みつけないインド人は、ビールをコップに一杯飲んだだけでもかなり酔ってしまい狂暴化することがある。特にこうしたリゾート地ではよけいに羽目を外したりするので恐ろしいのだ。
とにかくこのしつこい酔っ払いにはかなり神経を逆なでされ、ついには「うるせえな!」と言い返す。もちろんこういう時は日本語である。
結局険悪な雰囲気を察知した店員が割って入り、それ以上の国際紛争には至らなかったが、グジャラート(ここはグジャラートじゃないけど、そいつはたぶんグジャラート人であろう)でこんな嫌な思いをしたのは初めてである。
そんなこともあり、私はすっかり酒を飲む気が失せてしまった。どうせ酒を出す店に行けば、あいつのような輩がいるであろう。酒は飲んでも飲まれるな、飲んだら乗るな乗るなら飲むな、飲んで飲まれて飲まれて飲んで、とにかく酒乱は断じて許せん。酒など飲むな!なろー!
なので午後は誰もいない海岸で長い時間を過ごした。
ずっと海を眺め、寄せ来る波を見てはビールの泡みたいだなあなと思っていた。
少し日が傾き、私は元来た道をとぼとぼ歩いて街の中心地に戻って行った。
しかしその道中も、私の心は揺れ動いていた。それはこのまま酒を飲まずにディウを後にしてしまってもいいのか、ということである。そりゃあ悪い酒飲みにからまれて嫌な思いはしたが、それは酒が悪いのではない、酒に飲まれたあいつが悪いのだ。人を憎んで酒を憎まず!である。
そこで私は、もう一度だけこの街にチャンスを与えることにした。もしこの私にまた「酒が飲みたい!」という気を起こさせることができたら、その時は今までの狼藉を一切水に流し、喜んでビールを喉に流し込んでやろうと決めたのである。
行ったのは海岸通りのBAR、昨日お釣りがないと言われた店である。
店を覗くと、インド人のおやじが二人で静かに飲んでいるだけである。
おお、これは神様が「酒を飲むなら今じゃ。さあ、早く早く」と言っているに違いない。その証拠に自分の意志とは関係なく、体が自然に店内に入って行く。
さっそくカウンターでキングフィッシャーの大瓶を買う。もちろん値段は昨日と同じ70ルピーである。そして今日の私は小額紙幣も持っている。
しかし私は財布の中の小額紙幣は無視し、500ルピー札を店員に手渡した。昨日のリベンジである。ここでまた店員がお釣りを出すのを渋るなら、その時は酒を飲まずにこの店を、いや、ディウを出ようと決めていたのである。
そんな私の勝手な力みなど知ろうはずもない店員は、特になんという反応も見せず、素直にお釣りをよこした。なんだかちょっと物足りない。
店内はガラガラなので、一番奥の窓側の席に座る。
入り口に背を向けて座った上に、椅子の背もたれも高いので、これなら誰にも邪魔されずゆっくり飲めそうである。
しかしついにその時が来た。私の隣のテーブルにもインド人のグループがどやどやと入って来たのである。
しかもそのグループは、隣のテーブルだけでは収まり切らない人数だったようで、みんなしてちょっと困った顔をして周りを見回している。こういう店は相席など普通のことなのだろうが、私が外国人なので遠慮しているようなのだ。
そんなインド人らしくない謙虚な気持ちが気に入った。私は自分の前の椅子を彼らに勧め、さらにつまみのピーナッツも勧めた。
彼らもまた自分たちの買ったポテトチップスを私に勧め、そこでぐっと両者の距離が縮まった。デタントである。
そして酔いが回り始めると、彼らは追加のビールをどんどん買って来ては私のコップにも注いでくれるようになった。ビールの継ぎ足しはおろか、違う銘柄でも気にしないで注ぐ。しまいには勢い余って私のズボンにもビールを注いでくれた。でも私も気にしない。楽しく酔えれば人種や宗教、ビールの銘柄、そしてズボンが濡れているか乾いているかなんてまったく関係ないのである。
彼らはグジャラート州の大都市ラジコット(ラージーコート)からの6人グループということで、今朝早いバスで来たとのことである。
そしておそらく日帰りなのだろう、意気投合して盛り上がっていた割には、一時間足らずで引き揚げて行ってしまった。
彼らが帰った後には、空き瓶とゴミくず、そしてようやく心が穏やかになった私が残された。
う~ん、ディウは実にいいところだなあ。
そしてやっぱり、酒はやめられないなあぁ。
こうしてディウは許されたのであった。めでたしめでたし。
*情報はすべて2016年11月時点のものです。
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