暦の上では・・・
小正月(こしょうがつ)であります。
私の住む地域では14日の夕方、お正月飾りや書初めなどを燃やして、その火で団子を焼く「どんど焼き」と呼ばれる小正月の行事が行われます。
みなさんのところには、どんな行事がありますでしょうか。
「小正月」という名称は、元旦の「大正月」に対しての呼び名のようです。
「大」に対して「小」なんていうのは、ちょっと単純なような気も致しますが、こういう名称は他にもいろいろあります。
高校の頃の世界史で「小(しょう)ピピン」というのが出て来ました。
これはフランク王国の皇帝の名前なのですが、当然本来は名前の上に「小」の字なんてつきません。なにしろヨーロッパの人ですから漢字は使わないわけです。
で、「小ピピン」なのですが、実はその人の出現前に同じ名前の「ピピン」という人が二人いたので、区別するために古い方から「大ピピン」「中ピピン」「小ピピン」としたわけです。
これがビールならその大きさによって大ビン、中ビン、小ビンとなりますし、ショーケンは「ケン」がつく名前が二人いたうちの「小さい方のケン」と言う意味の「ショーケン」ですし、水前寺清子も「小さい民子(本名)」からチータというあだ名になったのですが、小ピピンはそれとはちょっと状況が(たしかに「短躯王」というあだ名もあるようですが)違うのです。
遅く生まれてきたというだけなのです。
ただそれだけで、
あっ、お前もピピンっていうのか・・・
う~ん、もういるんだよねピピンは、しかも二人も。
じゃあ、しょうがないから、お前を『小ピピン』にしよう。わかったな。
で、今まで『小ピピン』だったお前。 お前は、今日から『中ピピン』だ。
よ~し、みんなも今日から仲間に加わることになった、この『新・小ピピン』
と、今日から『中ピピン』になった『旧・小ピピン』のことをよろしくな!
いじめるんじゃないぞ。
って、他人の名前に勝手に「小」とか「中」とか付けちゃって、自分の方がよっぽどいじめてるみたいです。そしてこれ以上ピピンが増えたらどう対処するのでしょうか? 「極小ピピン」とか「刹那ピピン」なんてするのでしょうか?
でもまあ「小」とか「中」の字くらいならまだいい方かもしれません。
なにしろ生物や植物なんて「後から発見された」というだけで「○○もどき」とか「○○だまし」なんて名前をつけられることもありますし、さらにひどいケースでは「ニセ○○」なんて名前をつけられることもあるのです。
そんななんの落ち度もない生物に対し、そういうカッチョわるい名前をつけてはいけません。何かその生物の持つ能力を引き出すような名前にしてあげて欲しいと、関係各位に切にお願いする次第でございます。
街を表すことばにも同様のものがございまして、日本のあちこちに「小京都」と呼ばれる街がありますし、「小江戸」なんて呼ばれる街もございます。
こういった呼称は本来の都を小規模にしたような風情をいうので、それはそれでよろしいかと思うのですが、あまり関心しないのが「東洋のベニス」とか「日本のスイス」とか「本州のチベット」とか「パチンコのメッカ」とか、とにかく外国の土地名を冠することです。
だってそれじゃあいつまでたってもそこを追い抜けないじゃないですか。悔しくないですか?外国に負けてるみたいで。
それより外国の土地に日本の地名を冠してしまった方がいいと思います。
たとえばベニスに「西洋の柳川」とか、スイスに「ヨーロッパの諏訪」とか、チベットに「ユーラシアの穂高」とか、メッカに「アラビアの名古屋」とかです。
そして現地のバスガイドさんにお金を握らせ、
「え~みなさま、ここベニスは水の都、別名『西洋の柳川』と呼ばれております」
って言ってもらえば、各国から来る観光客に「柳川」の名前が知れ渡り、さらにその観光客は帰国後、自国にある水郷に「アメリカの柳川」とか「ケニアの柳川」とか「サウジアラビアの柳川」とかいう呼称をつけるんじゃあないでしょうか。
*このメルマガの後半へ続く
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*このメルマガの前半からの続きです。
とは言ったものの、やはり勢いのあるものや偉大なものなどにあやかろうという気持ちは誰にでもあるでしょう。
たとえば宝くじなんかも、過去に当たりのたくさん出てる売り場にわざわざ並んで買ったりします。するとその売り場は益々当選くじの出る本数が増えるわけですが、各宝くじの当選確率は変わらないわけですね。まあ気持ちの持ちようです。
今の季節ですと学校の入学試験の合格を祈願して、なるべくご利益のありそうな神社仏閣へお参りに行きます。
じゃあどういった所がご利益がありそうなのかと言いますと、まずはその神社仏閣自体が栄えていないといけません。
鳥居が傾いてたり、山門が崩れたりしているのはちょっと頂けません。
少しくらい商売っけがあるくらいの方がにぎやかでいいかもしれません。
ところがそういうところは実に混んでいます。
お正月の三が日になんて行ってごらんなさい。それはそれはすごい人出で、賽銭箱なんかも特設のもので、もはや「箱」なんて呼べる代物じゃあございません。白いシートで大きなくぼみを作り、そこにお金を投げ込む仕組みなのです。もはやあれはプールです。賽銭プールなのです。
そんなプールみたいなところにお賽銭を投げ入れて、何万人もの人たちと同時にお参りして、本当にご利益があるとは思えません。
そりゃそれだけ大勢の人がいれば、中には東大に合格する人もいるでしょう。
でもその一方で、帰りにサイフを落としてしまう人だっているはずです。
だから何も有名な神社仏閣へお参りすればいいってもんじゃありません。
では、私が受験生だった時はどうだったかと申しますと、
えーと、実は鎌倉のさる有名な神社に初詣に行きました。
いえ、私も普通ならそんな所にわざわざお参りに行ったりしないのですが、その時はたまたま、ホントたまたま担任の先生から「お前が受かる大学はない!」と言われていたので、その呪いを解くために大きな神社に行ったのです。
それは1月2日だったのですが、鎌倉駅を出るとすぐに人の列ができていました。
その予想をはるかに超える人の多さに一瞬たじろいだ私ですが、この難関を乗り越えなければ担任の呪いなんて解けないと思い、大勢の人にもまれながら、じりじりと賽銭プールへと近づいて行ったのです。
いよいよ境内に入ると、もう身動きなんて取れません。
警察が人波の整理にあたり、遮断機代わりのロープを上げ下げしては本殿へ近づく人数を調整しています。そしてその脇に組んだヤグラの上からスピーカーで、
「もうすぐロープが上がりまぁ~す。前から順番にゆっくりと進んで下さあい」
なんてことを婦人警官が叫ぶのです。
もはや気分が悪くなろうが、サイフをすられようが、列から外れることもままならない状況です。
そんな苦労を重ねつつ、それでもなんとか賽銭プールの前にたどり着きますと、ここでようやく願い事を唱えられるわけですね。
よし、今日は奮発して百円入れてやろう! なんて思いながら、ふと賽銭プールを覗きこみますと、なんとそこにはかなりの数のお札が見えるじゃないですか!
ありゃりゃ・・・こんなに高額なお賽銭をする人が多いんじゃ、百円くらいじゃだめかもね。
と思いながらも百円以上は出す気になれません。
ええい!ままよ!と半分ヤケクソになって百円硬貨を投げ込むと、
「第一志望○○大学合格、第二志望△△大学合格、第三志望・・・・」
なんて具合にちゃっかり第七志望校まで拝んじゃいます。
そこまで済んでしまえば「人事を尽くして天命を待つ」だけですから、あとは横のわき道から外へ抜け、露店のお好み焼きなんか食べて帰ってしまうわけです。
さて、それだけの苦労をしてお参りした結果はどうだったか?と言いますと・・・
私の場合は満願成就・・・まではいきませんが、半顔成就くらいはいきました。
はっきり言えば「4勝3敗」だったのです。
でもこの戦績は、あの担任の呪いを考慮に入れればもう言うことなし!の結果ではないでしょうか。
なにしろ「どこにも入れない!」って呪いをかけられてたんですから。
ただし、この願いの成就には大きな犠牲を伴いました。
その犠牲とは、当時付き合っていた「彼女」だったのです!
実は担任の呪いを解くには、その彼女の存在が邪魔をしていたらしいのです。
そこで神様が、まずその障壁を取り去って下さいました。
実に悲しい話ではあるのですが、相思相愛だった若き二人は、神の見えざる手によってその仲を引き裂かれてしまったのであります。
しかもその方法は、とても残酷なものでございました。
神はなんと、彼女に赤い字で手紙を書かせ、さらにはその手紙を入試本番10日前に私に手渡すように仕組んだのです!
神様! あなたはなんてひどいヒト・・・じゃない、カミなんだ!
あのやさしい彼女に、あんな残酷な仕打ちをさせるなんて・・・ひど過ぎます・・・
彼女から来た年賀状には「今年があなたにとって良い年でありますように!」なんて書いてあったのに・・・
それなのに、ひと月もしないうちに彼女の心をこんなに変えてしまうなんて・・・
まったく・・・
女はみんな、
小悪魔だな。
受験生の諸君!
決して呪いに負けるなよ!
それでは、また来週!