暦の上では・・・
連日暑い日が続いておりますが、この暑さをもろともとせず、高校球児は甲子園で熱戦を繰り広げております。
そして今日は8月8日、そうです、8のぞろ目の日、ついに北京オリンピックが開幕するのであります。
北京オリンピックはアジアで開かれる3度目のオリンピックです。
1度目はもちろんご存じ東京オリンピックで、開会式は10のぞろ目の10月10日でした。
じゃあ2度目のソウルオリンピックの開会式は9のぞろ目の9月9日だったのでしょうか・・・
と調べてみましたら、
おしい、
9月17日でした。
まあアジアで開かれるオリンピックの開会式は、いつもぞろ目の日にしなさいよ、などとIOCが決めているわけではないのですが、なんかこうなるとぜひとも9月9日にして欲しかったなあ、そしてまた次にアジアでオリンピックが開催されるときには、なんとか7月7日って線で行って欲しいなあなんて思ってしまうのであります。
ということで日本選手団も今頃北京に集結して、開会式を待ちわびていることでしょう。
今回は残念ながらアーチェリーの山本選手が参加しておりませんが、それ以上に注目を集める選手たちがたくさんいます。
「ママでも金」の谷選手を始め、「みんなで金」の女子レスリングチーム、それから久々の出場を決めた男子バレーボールチーム御一行様や、ご存じ卓球の愛ちゃん、そしてなんといっても人気度No.1なのはキュートな笑顔と実力でバドミントン界をリードするおぎやはぎ、じゃなくてオグシオ。
ご紹介漏れの方はいらっしゃいませんでしょうか?
おっと、忘れちゃいけないのが競泳陣でした。
元々実力がある選手たちが、あの噂のスイミングスーツ「レーザー・レーサー」に身を包み水を切って進む様は、さぞかし見ごたえのあるものになることでありましょう。
しかしあれですね、レーザー・レーサーって日本語では両方「レ」で始まる発音ですが、英語では「L」と「R」で別もんなんですね。れれれのれ?
でもまあ日本人は、それでいーのだ。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
おでかけでぇ~すか? れれれのれ?
というわけで、ギャグマンガの帝王赤塚不二夫さんが8月2日お亡くなりになりました。黄泉の国へとおでかけになられたわけであります。
えー、たまに「おれなんかほらビートルズ世代でしょ。まあビートルズで育ったと言っても過言じゃないわけ」なんて言う人がいますが、じゃあ私は何で育ったのかな、なんてことを思い起こしてみると、私の場合はもう間違いなく「赤塚不二夫なのだ!これでいーのだ!」となるのであります。
*あっ、ここからは赤塚マンガのことをだらだらと書いて行きますので、ご興味のない方は文末の「ごきげんよう!」まで飛ばして下さい。っつーか、このままメルマガをゴミ箱行きにした方が楽と言えば楽なのですが、私の口からはそんなことは言えないのであります。
最初に私が赤塚マンガを読んだのは、当時少年サンデーに連載していた「おそ松くん」と、同誌の広告ページに載っていた「レーズンちゃん」でした。
「おそ松くん」の方は有名ですので今さら説明はいらないと思いますが、「レーズンちゃん」は実際にその当時マンガ雑誌を読んでいた人にしかわからないと思いますのでちょっと解説させて頂きます。
「レーズンちゃん」は早い話がレーズンを売るための広告マンガで、毎回何か窮地に立たされて困っている子どもの前に、太陽のような顔(実際は太陽光線の代わりにレーズンが丸顔の周りに放射状に浮いているというもの)のレーズンちゃんが現れ、「レーズン食べて元気を出して!」の決めゼリフとともにレーズンを食べさせ窮地を救うというものでした。たとえば私が覚えているものでは、海水浴に来た子どもが満ち潮で岩に取り残され泣いているところにレーズンちゃんがやって来て、「レーズン食べて元気を出して!」と言いながらレーズンを食べさせます。するとさっきまでメソメソ泣いていた子どもがものすごい迫力で岸に泳いで帰るという、まあポパイのホウレンソウ的な宣伝マンガなわけなのです。
さて、私が自分でマンガ雑誌を買い始めたのはなぜか「少年マガジン」でありまして、当時のマガジンは赤塚マンガが載っていなかったと記憶しております。おそらく仲のいい友達がサンデーを買っていたので、交換して読めばいいやと思ったのかもしれません。
そしてついにある週、少年マガジンにも赤塚不二夫のマンガが連載されることになりました。こんなにうれしいことはありません。
当時の少年マガジンは60円でしたので、私は毎週発売日になると60円を握りしめお店に走っていました。
そしていよいよ赤塚マンガが新連載を開始するその発売日、私はいつもより心を弾ませお店に走って行き、お店に並ぶその表紙に「天才バカボン」という文字を見つけたのです。もう私の興奮は最高潮に達しました。
ところがです、そんな新連載の文字が踊る表紙に、もうひとつ私の心を揺さぶる文字が印刷されていたのです。
それは、
「定価70円」
でした。
えっ・・・70・・・えん?
え~っ! 60円しか持ってねーよお!
あー、どーしよー、どーしよー・・・・
はたから見たら「家に帰ってもう10円持ってくればいいじゃないか」と思うかもしれませんが、そのお店(本屋ではなく雑誌も置いている駄菓子屋)は子どもの足で家から20分くらいかかるところでしたし、それよりなによりいち早くマンガが読みたいというはやる心から、そんなまともな考えは初めから浮かびませんでした。
とにかくしばらくその場に立ち尽くしマガジンの表紙を何度も見直しては、もしかしたら何度か見ているうちにあの見慣れた「定価60円」という文字が下から浮かび上がって来るかもなどと考えていたのですが、そんな奇跡はいつまで待っても起ろうはずもなく、かといって諦めて家に帰ることもせず、うじうじといつまでもいつまでも表紙を眺めていたのです。
いったいどれくらいの時間が経ったでしょうか、1時間、半日、それとも1週間・・・
いえいえ、そんなに経ったら次の号が発売されてしまいますから、おそらく1分くらいだったのでしょう。
とにかく私は勇気を出して、駄菓子屋のばあさんにこう言いました。
「10円まけて・・・」
駄菓子屋のばあさんは、「ほうほう、そんなにこの本が欲しいのかい。じゃあ持って行きな。あっ、それからこのソースセンベイも持って帰りなさい。でもソースセンベイを食べながらマンガを読んで、センベイの粉をページにはさんだりしちゃあダメだよ。ほっほっほっ」などと言うはずもなく、
たった一言、
「ダメ」
と言いました。
まあ考えてみりゃあ当然です。
だって70円の商品で10円まけるなんて比率が大きすぎます。だいたい駄菓子屋は5円10円の積み上げで生活してるのです。10円なんて大金まけられるはずがないじゃろがあ!このクソガキがあ!取って喰うぞぉ!
まあそこまでは言われませんでしたが、意を決して値段交渉に及んだ末、ケンモホロロに切り捨てられた私のココロはもうボロボロでした。
ただそれでもその場を離れずに居続けたというのは、それほどマンガが読みたかったということで、その根性を少しでも勉学に回していたなら、今頃もう少しまともな人間になっていたのではなかろーかと思うわけです。
さて、それではその後私はどうしたかと申しますと、たまたまそのお店に来ていた、何度か顔を見たことのあるという程度の上級生(しかも3学年くらい上)に、厚かましくも「10円貸して」と借金を申し込んだのです。
おそろしいやっちゃ・・・
しかしその上級生は、そんな厚かましい私のお願いを快く受けてくれ、ようやく少年マガジンは私のものになったのであります。めでたしめでたし。
そんな苦労をして手に入れた少年マガジン。そしてマガジンの値段を10円も上げてしまった天才バカボンとは、はたしてどれほどのものであったのかと申しますと、それはもう私の人生に計り知れない影響を与えてくれました。
当時小学一年生を終えたばかりで、音楽以外はすべて5と4だけという成績の私でしたが、気がつけば勉強にはまったく身が入らないようになり、常に面白いことばかり考えてしまうクセがついてしまったのでございます。
えっ? そのわりにはメルマガあんまり面白くない?
あっ、そう・・・
えーと、気がつけばすでに面白くないメルマガをこんなに書いていました。
赤塚不二夫のマンガについては、もっともっと書きたい事があるのですが、とりあえず今回はこの辺でおしまいにしておきます。
それではあらためまして、
赤塚不二夫氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
あなたは私にとって、本当に「不二」の存在でありました。
本当にありがとうございました。
*文中「赤塚不二夫」と呼び捨てにしてしまいましたが、私にとっては「先生」と呼ぶ対象ではなく、あくまでも面白いマンガを描くおじさんであり、そのペンネームが「赤塚不二夫」でありますので、敬称略で失礼させて頂きました。
さて、来週あたりは夏休みという方も多いかと思いますが、どうぞ健康には充分ご留意され、楽しいお盆休みをお過ごし下さい。
それではまた来週まで、
ごきげんよう!