暦の上では・・・
9月です。
秋でございます。
まあ9月になってもまだまだ日中の気温は高く真夏日になったりも致しますが、朝晩の気温はぐっと下がって参りました。
軒に吊るした風鈴が秋風に吹かれて寂しそうにちりりんと鳴り、台風で倒れたままのヒマワリたちは、「アタシもうダメ」とけだるそうにため息をついています。
夏にあれだけ暑苦しく感じたセミの声は、6年間の地中生活の挙句に夏に間に合わなかったたわけものの嘆きに聞こえ、スイカは単なる冷蔵庫の場所ふさぎに成り下がっています。
あー、冷蔵庫って言えば、毎年夏の初めに勇んで買うカキ氷用のイチゴシロップが、今年もまた残ってしまいました。いったいあれをひと夏で使い切る家庭ってどのくらいあるのでしょうか。
さて、そんな夏の余韻漂う9月の初旬ですが、秋はイベントが盛りだくさんで忙しいです。(夏の初めにも同じようなことを言ったかもしれませんが、あまり気にしないで下さい)
えー、学校行事で言いますと、運動会、文化祭、遠足なんてのがございますね。
その中でも文化祭というのはいいですね。
クラスやクラブで模擬店を出したりして楽しいです。内容はヤキソバ、お好み焼き、ホットドック、それからカキ氷。
あー、文化祭のカキ氷は、各家庭から持ち寄ったシロップなのかもね。
で、文化祭なのですが、何を隠そう私は高校時代写真部に所属しておりました。
あっ、なんです? 写真部って、暗いイメージですって?
なんてことを言うんですか。そんなことは断じてないです。
野球部、テニス部、サッカー部などが運動部の「雄」だとしたら、写真部、美術部、アマチュア無線部あたりは文化部の「幽」なのです。
写真部は暗室にこもるので、ちょっと暗いイメージがあるだけなのです。
現像液などの薬品を使うので、ちょっと臭いだけなのです。
それから上目遣いで「ひっひっひっ」とか笑うので、ちょっと気持ち悪いだけなのです。あまり変な先入観を持って見ないで下さい。
まあ、とにかく写真部はこの時季文化祭の準備で忙しいのですよ。
まずは夏に撮り溜めたフィルムの現像から始まり、出品作品の選定、写真の引き伸ばし、パネル張りと作業が進みます。
そして文化祭前日には、使用する教室に展示用パネルを設置して見学コースを作らなければなりません。
とまあ、作業はいろいろあるのですが、それでも夏に真面目に写真を撮っていた人はそれらの作業がスムーズに進むからいいのです。
問題は、夏に真面目に写真に取り組んでいなかった人です。
はい、それは私です。
写真部は毎年夏に「撮影旅行」と称する2泊3日の旅行がありました。
当然写真部の「撮影旅行」ですから皆カメラを持って行き、行く先々の風景や史跡、人々の表情やその土地の息づかいといったものをフィルムに収め、来るべき文化祭に向けて作品に仕上げなければならないのです。
ところが私は3年間連続して「やり直し」を命ぜられてしまいました。
早い話いい写真がなかったというわけですね。
つまりはせっかくの旅行を有効に使っていなかったということです。
一番ひどかったのは2年生の時の旅行で、3日間もあったというのに撮った写真はたったの5枚でした。
でもそれも仕方ありません。なんたって高校の2年生です。旅行なんていったら、そりゃあもう楽しくって仕方ないのです。写真なんか撮ってる場合じゃありません。
その代わり私は風景をこの眼でしっかりと見て、ちゃんと思い出として持ち帰っているのですよ。
とは言え、せっかく撮影ポイントの多い土地に旅行に行ったにも関わらず、結局は地元の道祖神かなにかをパチリと撮ってそれでお茶を濁すわけです。
ははは・・・
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
文化祭へ向けての準備は夏休み最後の1週間から始まります。
写真の引き伸ばしは部室にある3台の引き伸ばし器だけでは足りず、理科室の奥にある教材室のさらに奥にある、普段はまったく使われていない暗室も使用することになります。
私の学校は小高い丘の斜面に建っており、当時全校生徒3千名を収容する校舎は、いくつかの段差をもって建てられていました。
そしてその理科室があるのは一番高い位置の校舎で、部室のある場所からは外階段やスロープを使ってかなり登らなければなりませんでした。
そんな場所ですので、そこを使用するのは必然的に一年生になるのです。先輩は「お前らは上を使え」などと偉そうに言うわけです。
そこで一年生は誘い合って理科室の暗室に向かいます。
その暗室の引き伸ばし器は2台しかないので、本当は誘い合わせて行ってしまうとあまりうまくはないのですが、誘い合わせでもしなければ、誰もいない理科室の、その奥の不気味な教材室の、そのまた更に奥にある暗室になんかに入れません。
そこで5、6名の一年生がひとかたまりとなって暗室のドアを開けます。
ぎぃ~ぃぃぃぃ・・・
と言ったかどうかは記憶に定かではありませんが、この場合はこの擬音が最適かと思い採用致しました。
普段使用されることのない暗室は、ほぼ1年ぶりに差し込む光(と言っても教材室自体それほど明るくないですが)の中にぼんやりと浮かび上がり、なんとも言えない「闇」の匂いが開け放った扉から漂い出ていました。
たいして広くもない暗室に人数分の椅子を持ち込むと、先輩のいない気安さから、私たちは写真を焼くこともせずに話をし始めました。
そしてしばらくあれこれ話をするうちに、よくあるパターンで誰かが「怖い話でもするか」と言い出したのです。
8月の終わりとはいえ季節はまだ夏です。外では強烈な日差しの下、アブラゼミも騒がしく啼いています。
怪談話をすることに、誰が異存があるでしょうか。
話を始めるにあたって、暗室の電気を消すことにしました。
ぱちっ・・・
暗室は再び闇に支配され、その中で話が始まりました。
「この話はおれの中学校の話なんだけど・・・」
と、話し始めたのは東京の中学から来た水野でした。彼は日ごろから話がうまく、よくみんなの中心になって話をしているやつでした。
「そこは戦前陸軍が使用していた施設だったんだけど」
「にちゃっ」
「夜中にその校舎の屋上を見ると」
「にちゃっ」
すると別の誰かが、
「おい・・・なんか変な音がしないか?」
「ああ、そう言えばなんだか『にちゃっ、にちゃっ』って言ってるな・・・」
話の腰を折られた水野は少し怒った風に「続けるぞ」と言ってまた話し始めました。
しかし水野が怪談話を始めると、やはり話の途中に「にちゃっ、にちゃっ」という音が入るのです。
その音はまるで軟体動物が粘液を分泌しながら歩くようで、しかもすぐ耳元で聞こえるのです。にちゃっ、にちゃって・・・
そうなるともう怪談話どころではありません。
それまで息をつめて聞いていたみんなは、一斉に笑い出しました。
「水野のツバはねばっこいなあ! あはははは!」
そうです、あの「ねちゃっ」という音は、水野が話の合間にツバを飲む時に舌と上あごで発する粘着音だったのです。
そんな音は普段はまったく気付かなかったのですが、真っ暗闇の中で話だけに集中する耳が、見事に聞き取った音だったというわけです。
はい、怖かったですねぇ~。恐ろしかったですねぇ~。(淀川長治調で読んでください)
特に耳元で聞こえる「にちゃっ、にちゃっ」という音、耳たぶ舐められそうで心臓止まりそうになりましたぁ~。
この世の中には、明るい陽光の中では見えないものも存在する、というお話でした。
それでは、さいなら、さいなら、さいなら。
2005年の夏は終わりました。
みなさんの心の中にも、たくさんのまばゆい夏の思い出が残ったことでしょう。
でももしかしたら、本当の思い出は強烈な日差しの去った、秋の夜長の闇の中にこそ、しみじみと浮かび上がって来るものなのかもしれません。
そしてそんな思い出こそが、深く心に焼き付く本物の思い出なのかもしれません。
それでは、今週はこの辺で失礼致します。にちゃっ・・・
また、来週!
にちゃっ・・・