暦の上では・・・
忘年会シーズンたけなわです。
あっ、この「たけなわ」っていうのは「物事の盛り」という意味ですが、漢字で書くと「酣」と書くんですね。酉(とり)が甘いんですね。
と言うわけで、忘年会酣(たけなわ)という言葉は、いかにもおいしそうなトリ鍋で酒を飲んでいるようで、なかなかいいですなあ。わっはっは。
えーと、それで忘年会の話題なのですが、私もこの水曜日に今年一発目の忘年会をしました。
集まったメンバーは古くからの友人で、私を含めて5人です。
私の家を会場にしての鍋パーティーということになり、具材は各自が持ち寄るということになりました。
当然そういう方式ですと、各自の好みによって選ばれる具材も違ってきますので、いちおう事前に規則を決めておきました。
【持ち寄り鍋パーティー規則】
1、具材は各自が食べたいものを食べたいだけ持ち込むこととす。
2、具材はすべて大鍋にぶち込み水炊きにし、味付けは各自の皿の上とす。
3、具材の投入時に参加者より「待った!」の声のかかった具材に関しては、全員協議の上採決を行い過半数の承認を得て鍋に投入されるものとす。
4、万が一参加者の過半数の同意を得られなかった具材に関しては、持参者が責任を持って消費することとす。
こうしておきますと、具材の重複はあるものの、あまりにもおかしなものは投入できませんので、わりとまともなものになります。
たとえば悪ふざけでカメの子タワシを具材として持参すると、当然それは過半数の賛同を得られないでしょうから、衆人環視の中自分で食べなければならなくなってしまうというわけです。
また、そんな極端な具材でなくても、明らかに安いものばかりを持ち込んで、他の参加者の高級食材を摂取せんとする不届き者には「具材投入却下!」が申し渡され、そいつはパーティーの間中自分で持参したコンニャクだけを食べることになるのであります。
結局われわれの「持ち寄り鍋パーティー」は、白菜を中心とした野菜に、牡蠣やタラといった魚介類が加わり、それはそれは穏やかな雰囲気で始まり、ちょっと遅れるからと連絡のあった具材・・・いや、友人を今か今かと待ち焦がれていたのであります。
なぜわれわれがその友人を待ち焦がれていたかと申しますと、実はそいつは板前なのでありますよ、板前。 ね、待ち焦がれちゃうでしょ。
板前といえば普段からいい食材を扱い、自らが食すまかない料理も珍味が多いと聞き及んでおりますので、これはがぜん期待が高まろうというものです。まさか板前が鍋の具材として白菜ばっかり持って来るということは考えられませんし、考えたくもありません。
また、われわれ一般人が持って来たような、カキやタラ、エノキにトーフなどといったよく見かける具材ということもないでしょう。そんなの持って来るようじゃ板前ではなくて当たり前になってしまいます。
じゃあ、われわれが待ち望んでいる板前持参の具材は何かといえば・・・
フグですフグ。
フグしかないでしょう。
フグフグ、フグフグ。
あっ、そう言ってるうちに板前が来たようです。
その板前は足がでかく、歩くたびに周りに風が舞い上がるのですぐに分かるのです。外でバフバフ音がしてます。
「あー、ごめんごめん、遅くなっちゃって」
そう言いながら部屋に入ってきた板前は、持参した焼酎の一升瓶を高くかざし、
「これ、みんなで飲んで」
と言いました。
飲むよ飲む、のむのむ。
だけどさ、それじゃなくて、反対の手にぶら下げてるビニール袋は・・・・何?
そんなわれわれの熱い視線の中、板前がビニール袋から取り出したものは・・・
おぉー!
やったぁー!
ホントにフグだぞぉー!
フグだあ!フグだあ!フグフグ、フグフグ。
それはもう全員躍り上がらんばかりに喜び、何度「フグ」という言葉を口にしたか分かりません。きっと各自10回以上は「フグフグ、フグフグ、フグだよフグ、フグフグ、フグフグ」と言ったと思います。とにかくわれわれはそれほどフグを讃え、板前の友人を持ったことを神に感謝し、そしてついでに板前本人にも感謝致しました。
さて、感謝はそれくらいでいいでしょう。
フグはすでに切り身の状態にしてありましたので、すぐに鍋に投入されました。投入するときにも「フグフグ、フグフグ」と全員で呪文のように唱え、まるで黒ミサのような雰囲気の中、白い切り身は他の具材を威圧するように煮えたぎる鍋にその身を投じたのでありました。フグフグ。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
そんなわけでフグでお腹も心も満たされたわれわれだったのですが、部屋には懐かしの70年代のフォーク&歌謡曲などが流されており、昔の思い出話で盛り上がるには充分な環境でした。
そしてさらにそのムードを盛り上げたのが、友人のひとりが持参したワインでした。
その友人持参のワインとは、1977年ものだったのです。
ああ、1977年、古き記憶を手繰り寄せるとそこには美しい想い出が・・・
そこで私はみんなに、1977年に何をやっていたかを聞いてみました。
すると板前が、
「えーと、1977年っていったら、大阪万博の7年後だろ・・・」
おいおい板さん、どーゆー思い出し方してんだよ。なんで「大阪万博」を基準に年代記憶をしてるんですかぁ~、あんたは。
そりゃ大阪万博は戦後日本のひとつのエポックかもしれませんが、あまりにも中途半端じゃありませんか?その7年後ってのは。
じゃあ1977年はどんな年だったかといえばですね、歌謡界ではピンクレディーが「カルメン’77」を歌った年です。それから映画では「エアポート’77バミューダからの脱出」が公開された年です。
まあ、どちらも題名に年号が入っているから覚えていたわけですが、その1977年、われわれは高校3年生だったじゃないですかあ。
じゃあ私はその高校3年の今頃なにをしていたかと思い出してみましたら・・・
あー、大学受験を目前にしたこの時期に、担任から「お前はどこも受からない」と宣告されたのでした。くそっ。
そんなわけで宴もたけなわ(おっ、また酣だ)になってきたところで、私は秘蔵のあるものを取り出してきてみんなに手渡しました。
おおっ、こ、これは!
みんなに手渡したものとは、70年代の月刊平凡、明星の「歌本」でした。そうです、雑誌に付録でついていた歌の本です。その本を見ながらみんなで歌ってさらに盛り上がろうや!ということなのです。
ところが懐かしすぎてしまったのか、みんなは歌本を食い入るように見始めてしまい、ちっとも歌おうとしません。
友人A「あっ、桜たまこだ!」
友人B「おっ、小川順子だ!」
友人C「うっ、黒沢浩だ。 黒沢浩って誰のお兄さんだっけ?」
私「キャロライン洋子だよ」
友人D「あれは誰だっけ?声のきれいな外人の男の子でさ・・・」
私「ルネ・シマールだろ、カナダから来た」
友人D「あー、そうだったそうだった! そうかあ、シマールっていうのか。『ルネ』しか知らなかったなあ~、そうかそうか、ふむふむ」
私「30年間記憶し続けて、今初めて声に出して言ったよ、その名前」
というような感じでそれはそれで盛り上がり、私も思わぬところで長年記憶の奥深く仕舞いこんでいた「ルネ・シマール」という名前を口にすることができたりしてちょっと嬉しかったのですが、とにかくぜんぜん歌などに移行しないのです。
そんな古い友人との忘年会は、古いワインと古い歌本、そして古い記憶ととともにざわざわと、それでいてしみじみと進行していったのであります。
最後になりましたが、フグの入った鍋はスープまできれいに平らげたことをご報告するとともに、ルネ・シマール氏の母国カナダでの益々のご活躍を祈念致しまして、今回のメルマガをシマールさせて頂きます。ふぐふぐ。
大変失礼つかまつりました。
それでは、また来週!