暦の上では・・・
実りの秋です。
しかし冷夏が農作物に与えた影響で、お米も不作ということです。そして各地で出没する農作物ドロボウ・・・
収穫が終わって出荷を待っていた米俵が盗まれる・・・
大きく育ったイモが掘られて持ち去られる・・・
たわわに実ったバナナがもぎ取られる・・・
芳香放つドリアンが根こそぎ・・・・
ねーよ・・・そんなの・・・
*沖縄などでドリアンを栽培している農家の方がおられましたら、この件は私の認識不足です。先に謝っときます。すんません。
とにかくです、農家の方が一生懸命作った作物を、夜陰にまぎれて持ち去るなんていけません。
一番大変な「手間」のところを省いて、一番おいしい「収穫物」だけ持ち去るなんて、まるでコマーシャルを飛ばしてドラマを見るようなものです。メロンパン
の皮だけ食べて中身を捨てるようなものです。サクマのドロップで色のきれいなのだけなめて、ハッカ味を残してしまうようなものです。
そんなに収穫物が欲しいのなら、夜陰にまぎれて代かきもしましょう。夜陰にまぎれて田植えもしましょう。夜陰にまぎれて草取りもしましょう。そして夜陰にまぎれて稲刈りして、脱穀して、俵に詰めて農家の庭先に積み上げましょう。
そうしたら・・・そうしたらあなたは「笠地蔵」みたいに感謝されます。
働いたあとのご飯はおいしいなぁ~!
まあとにかく犯罪が増えているようです。みなさん充分に気を付けて下さい。
私の家は最寄の駅から歩くと20分ほどかかります。以前は帰りが遅くなり終バスもすでに出たあとだったりすると、よく歩いて家まで帰ったものです。でも最近は、ちょっとお金がもったいなくてもタクシーに乗るようにしています。何年か前、私の住んでいる街でも「オヤジ狩り」があったからです。
みなさんも「オヤジ狩り」はご存知かと思いますが、所詮は俗語ですので念のためにご説明申し上げます。
「オヤジ狩り」とは、夜陰にまぎれてオヤジを狩ってしまうことです。農家の人が丹精込めて育てたオヤジを、いとも簡単に狩ってしまうのです。でもこの場合、本当に狩られるのはオヤジではなく、オヤジのサイフなのです。ですから正式名称は「オヤジのサイフ狩り」となるわけです。
え~と、そんなことはどうでもよかったんだ・・・
とにかくオヤジ狩りは怖いということなのです。
余談ではありますが、私は「オヤジ」ではなく「ジェントルマン」なので、始めから「オヤジ狩り」の対象からは外されています。でもオヤジ狩りをするような連中は何をするかわかりません。急に「いっつもぉ~、オヤジ狩りばっかじゃ、つまんねーじゃん。だからぁ~、きょうはぁ~『ジェントルマン狩り』やんねぇ~?」なんて、全面的に語尾上がりの口調で言い出す可能性だって考えられます。こえ~
これから年末になりますと、ますます犯罪が増える傾向にあります。みなさん本当に注意して下さい。
さて、季節のご挨拶も済んだので先に進みたいと思います。
先日私は「江戸東京博物館」というところへ行って参りました。
今年は江戸幕府開府400年ということで、もう一度そこら辺の歴史をおさらいしてみようじゃないかというわけです。
しかしこの博物館の名称は少し変ではないでしょうか?「江戸東京博物館」なのです。なぜ「東京江戸博物館」ではないのでしょうか?
普通こういった名称は「所在地」+「内容」の順で付けられるものです。
たとえば東京外国語大学という学校があります。あれは「東京」にある「外国語」を勉強する大学という意味です。つまり「所在地」+「内容」を正しい順序で付けているわけです。
この順番を変えて「外国語東京大学」とすると意味が変わってしまいます。それではまるで外国人だらけの東京大学みたいになってしまい、駅伝とかラグビーがとても強い大学みたいなイメージになってしまいます。
さて、そんなことはともかく、せっかく来たので早く中に入りましょう。
長い長いエスカレーターを上り詰めた6階の入り口から入りますと・・・
おー、日本橋だ!
*注:この↑読み方は「ニホンバシ」です。「ニッポンバシ」と読んでしまうと、ここは「大坂大阪博物館」になってしまいます。
そこには江戸時代の街道の起点である日本橋があり、実際にそこを渡って内部深く入って行くようです。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
日本橋を渡って行きますと橋の左下に芝居小屋が見えます。どうやら橋の下は5階の展示スペースになっているようです。
その光景はなかなかのもので、橋の欄干に寄りかかって芝居小屋を見下ろしていると、なんだか本当に江戸時代にタイムトラベルをしているような気分になります。ただ町並みを歩いている人たちが普通の格好をしているのが残念です。せっかく本当に渡れる日本橋や原寸大に近いであろう芝居小屋などを造ったのだから、入場者にも江戸時代の格好をさせればいいのになあと思いました。
あ~、侍の格好で江戸の町を歩きてえ~!
でも待てよ・・・うちは両親そろって百姓の出だからなあ・・・
しかも小作で水呑み百姓だからなあ・・・
こりゃ、刀を差すどころかヘタするとツギのあたった着物なんか着させられる可能性もあるな・・・
さて、いよいよ「江戸ゾーン」なる展示コーナーへ入って行くと、江戸の町並みをミニチュアで再現した模型ジオラマがありました。
これが実によくできていて、その製作者側の自信の表れか、ジオラマの周りには何箇所かに双眼鏡が置いてあり、それで町並みをとくと見るがよいと言っています。
ふむふむ、あそこに飴屋が出ておるな。あちらでは西瓜の切り売りなどしておる。ふ~む、こちらにも市が立っており大層な賑わいじゃわい。ほっほっほ!
おっと・・・私は百姓だった・・・
5階の展示スペースには家の再現模型の他に、実際に触って体験できる展示物が何点かあります。
あっ、駕籠だカゴ、大名の駕籠かな?
そこには立派な駕籠が展示してあり、中に乗ってもいいようです。
ちょっくらお邪魔しますよ、御免なすって、どっこいしょっと・・・
う~ん・・・、あんまり広くないけど、昔の人の体格なら充分なのかな?
ほっほっほっ、余は満足じゃ!
おっと・・・私は百姓だった・・・
おっ、今度は千両箱がある。
どうやらその千両箱は、実際に千両入れたのと同じ重さにしてあるようです。
うんとこしょっと・・・やっぱり重いね・・・
でも私は百姓だから千両箱なんて縁がないもんね。こんなの一生持たなくったっていいんだもんね。あーよかった、ホントによかったなぁ~!
こうした展示物をいじり回しながらも、そのたびに自分の出自を思い返しては、「どうせ私は水呑み百姓だから・・・」とちょっとひがんでしまう私でした。
そうしたらです・・・あったのです・・・それが・・・
それは江戸ゾーンの片隅にありました。そしてその展示物の看板には、「これ何だか分かるかな?」と書いてあります。
おう!分かるとも!
そうだよ・・・そうだよな・・・
なにも侍や金持ちだけが歴史を作って来たんじゃねえんだよな・・・
私はおもむろにその展示物に近づくと、しっかりと腰を入れて天秤棒を担ぎ上げました。
そうりゃあ!
それはとても重い肥桶でした。
そして私は、自分のじいちゃんのそのまたじいちゃんの、そしてさらにそのずっと前のじいちゃんのことなどを想像したのです。
こうやって重い肥桶担いで苦労した先祖がいたからこそ、今こうして自分がいるんだ。
ありがとうよ!ご先祖!
ありがとうよ!江戸東京博物館!
そしてありがとうよ!肥桶!
しっかしリアルな色に仕上がってんねえ・・・この肥桶の中身。
江戸東京博物館は両国国技館のすぐそばです。みなさんもぜひ一度、肥桶を担いでご先祖様のことに思いを馳せてみて下さい。(思いを馳せるのは、百姓出身者のみの特権企画です)
ご紹介した以外にも明治から昭和にかけての展示もあります。
*ちなみに江戸から東京への変遷の歴史を展示してあるので「江戸東京博物館」というようです。
それではまた来週!