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2003年4月17日:パインズクラブ通信 第27号

         
  • 公開日:2022年8月6日
  • 最終更新日:2022年8月20日

暦の上では・・・

暦の上では4月も半ばを過ぎ、東京などでは地面に落ちた桜の花びらだけが、わずかに春の余韻を留めております。
そんなピンク色の地面から目を上げて桜の梢を見上げてみますと新緑が陽の光に照らされてキラキラ輝いております。

さて、新入学の小学1年生も、とまどいながらも学校生活が本格的に始まりました。

そんな春先の学校行事で一番の楽しみと言えば、そりゃあもう「遠足」でしょう。しかも春の遠足は、「歩き」ではなく「バス」を使ったものなのです。(日本全国どこでもそうなのでしょうか?ちょっと話題に不安があります)

私が小学校6年生のときの、遠足の行き先は「東京」でした。

見学先は「羽田空港」「国会議事堂」「上野動物園」といったところです。当時の正統派東京観光と言ってよいかと思います。

その中でも私が個人的に楽しみにしていたのは、「上野動物園」でした。

私は普段から動物が好きで、学研の動物図鑑などを飽きもせずに眺めていました。
また動物の出てくるテレビ番組なども好きで、動物と一緒にアフリカで暮らす家族のドラマ「動物家族」や、チンパンジーが主役(というかチンパンジーだけの出演)のコメディードラマ「チンパン探偵」などを楽しみに見ていました。

前回に引き続きテーマソングを少しだけ紹介させて頂きますが、この「チンパン探偵」という番組は、題名も相当なめたものですが、主題歌も負けずにすごいものでした。

こんなんです↓

「ヨレヨレじーちゃん、チンパンジーちゃん」

です。

なめてますよね、わたしらを。

歌はさらに続きます。

「ヨレヨレばーちゃん、チンパンばーちゃん」

です。

作詞者出て来い!

何ですか?「チンパンばー」って?
もーれつア太郎に出てくるココロのボスの夜の挨拶でしょうか?
あー、あれは「コンパンパー」でしたか・・・

まあとにかく両方とも外国(たぶんアメリカ)のテレビドラマだったので、何かと日本人には違和感を感じるものがあったのかもしれません。(アメリカにも「チンパンばー」という動物がいるとは思えませんが・・・)

テレビはそんないい加減なものでしたが、学研の動物図鑑はさすがにちゃんとしたもので、私に正しい知識を与えてくれました。

何度も見ているので、もうどんな動物が載っているのか知り尽くしているのですが、毎回見入ってしまうページがありました。

そのページには、地面に座り込み笹を食べている白と黒の動物が描かれていたのです。そして、その絵の下には「大パンダ」と書いてありました。

その絵を初めて見たときから、私はこの動物に興味を覚え、もう実物が見たくて見たくて仕方がなくなっていたのです。

そしてついに念願の上野動物園に行けることになったという訳なのです。

遠足当日はあいにくの雨でした。

バスは一路東京を目指して走ります。
雨のため途中の道が混み、国会議事堂の見学は出来なくなりました。
でもいいのです。そんなところ、別に見たくもありません。
むしろ余計な労力を使わずに済んだと、ひそかに安堵したくらいです。
私の目的はあくまでも動物園なのです!どーぶつえん!

相変わらず降り続く雨の中、私は透明のビニール合羽をかぶりバスから降り立ちました。

「ここが、夢にまで見た上野動物園か!」

私はもう感動しまくり、早く園内に入りたくて入りたくて我慢ができません。
でも遠足なので勝手な行動は許されないのです。みんなで列を作って見学をしなければならないのです。

それはもう夢のような時間でした。
地方の小さな動物園では見られない、たくさんの珍しい動物たちを見ることができたのです。
私以外の子供たちも大喜びです。
「スマトラトラ」の名前に笑い、「スカンク」の前では鼻をつまみ、チンパンジーのところでは「よれよれじぃ~いいちゃぁ~ん」の大合唱です。(うそ)

すっかり満足して、見学も終わり、出口のところまでたどりついた時でした。
ふと、何か忘れ物をしている気がしたのです。

いったい私は何を忘れているというのでしょうか・・・

腑に落ちないままふとかたわらを見れば、野生動物保護のための募金箱が置かれているのが目に付きました。
その募金箱は子供を抱いた動物の形をしています。
白と黒のペンキに塗られたその姿は・・・

そうです、それはまぎれもなく「大パンダ」です。

私はその募金箱を見て愕然としました。

「あっ!一番の目的の大パンダを見ていない!」と・・・

学校というところは非情なところです。
そんな私の無念さも知らず、クラスの列は小雨の中をバスへと向かいます。

私はバスの中でも、会えなかった大パンダのことを考え続けました。
大パンダもこれくらい思い焦がれてもらえたら幸せでしょう。

でも不思議なのは、なぜこのクラスは大パンダを見に行かなかったか?ということです。
さらに、誰もその事に言及もせず、もしかしたら大パンダのことを知らないのではないかと思うくらいの無関心さなのです。

こうして私の無念に満ちた小学校6年の春の遠足は、一日中降り続いた雨にかき消されるように、静かに終わっていったのです。

時に昭和46年4月、日本の総理大臣は佐藤栄作でした。
田中角栄が総理大臣となり、中国との国交を回復するのは、まだ1年以上も先のことでした。

 

*このメルマガの後半へ続く

〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。

*このメルマガの前半からの続きです。

 

昭和47年、私は中学生になり、テレビで日中国交回復のニュースを見ました。

日本の新首相田中角栄が中国の周恩来首相と抱き合い、茅台酒で乾杯するという映像でした。

まだまだ子供だった私には、日中国交回復の価値はよく分かりませんでしたが、中国から日本に大パンダがプレゼントされるということには、人一倍喜びました。ちょうど売れない時代から応援していた演歌歌手が、紅白歌合戦の出場を決めたときくらいの喜びでしょう。

その年の秋、念願の大パンダ二頭「カンカン」と「ランラン」が日本にやって来ました。日本中がパンダブームに沸き、動物園のパンダ舎の前には長い行列ができ、パンダグッズが飛ぶように売れました。

しかし、この盛り上がりと裏腹に、私の中のパンダ熱は急速に冷めて行きました。
なにしろ売れない時代から応援していた演歌歌手が、いまや大スターになり、もう手の届かないところに行ってしまったような気持ちなのです。

そして一躍人気者になったこの動物のことを、みんなは「ジャイアント・パンダ」と呼ぶのです。なぜ学研の動物図鑑の名前を使わないのでしょうか?
ちょっと有名になったから、カッコつけているのでしょうか?

そんな自分の故郷と名前を捨ててしまった動物を、私が初めて見に行ったのは、それからずーと、ずーと後のことなのでありました。

いくら名前を変えたって、お前の正体はバレてるぜ。

おまえは・・・大パンダ・・・だ!

*ちなみに小パンダはレッサーパンダです。

それではまた来週!

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