山道に入れば気温は下がるだろうとの私の期待は裏切られました。
バスはかなり山を登ったはずなのに気温はほとんど下がらず、さすがに熱風ではないまでも窓から入る風は生ぬるく、決して気持ちのいいものではありませんでした。
ところが逆に山を下って平地に下りたあたりで急に気温が下がりました。
ヘッドライトが脇にこぼすわずかな光を頼りに目を凝らしてあたりを見れば、どうやらこの辺は大きな池があり水が豊富な土地のようです。
そのために気温が下がったのかと納得し、しばし窓から吹き込むエアコン並みの冷風を楽しんでいたのですが、その後いくら走っても気温が上がらず、しまいには寒くてガタガタ震えるほどになってしまいました。
まさか真夏のインドをエアコンの付いていないバスで旅するのに、寒さに震えるとは思ってもいませんでしたので、私はTシャツ一枚の姿で上着はバッグの底深く仕舞い込んでおり、今さらそれを取り出すのは至難の業です。
そこで私はスライド式の窓ガラスをすっかり閉めたのですが、その直後私の顔と腕に何か液体の飛沫のようなものが当たるのを感じました。
その飛沫は開いたままになっているひとつ前の窓から飛び込んで来たようなのですが、車内も暗くて状況がよくわかりません。雨が降っている気配もないのにおかしいなあと思いながら、おそるおそる腕の濡れたあたりの匂いを嗅いでみますと・・・
あっ・・・カレーだ・・・
どうやら上の寝台の客が窓からカレーの汁を捨てたらしいのです。たぶんさっき休憩した茶店で買ったカレーの残りなのでしょう。
まあ最悪の場合もっと違うものが降り注ぐということもあり得なくもないので、それに比べりゃたいしたことはないのですが、やはり他人の食べ残しを浴びせられるというのはあまり気持ちのいいものではありません。
でもまあすぐ横の窓を閉めた後だったため、被害が最小限に食い止められたのが不幸中の幸いでした。
そんなカレーにまみれ、寒さに震えた一夜も明け始めました。やはりその間私はほとんど眠ることができず、ひたすら70年代昭和歌謡を聞き続け、年代順に登場して来た出場歌手もついに1974年あたりのアイドル割拠の時代に突入しておりました。
このころのアイドルは天地真理、浅田美代子、アグネス・チャン、麻丘めぐみ、安西マリアなど、「あ」で始まる名前が実に多いのです。まさしく「あ」は「アイドル」の「あ」といったところですね。(ミニ情報)
バスは平地に出たかと思えばまた山道に入るといったことを繰り返しながら突き進みます。
どこもとてもきれいな風景なのですが、あいにく寒さのためにしっかり閉ざした窓ガラスにはスモークフィルムが貼られ、さらにその上にカレーのしぶきがべちゃべちゃ付いているためによく見えないのがとても残念でした。
6時20分、バスはレワ(REWA)という町に入りました。地図で見るとレワはマディヤ・プラデシュ州の町で、私が初め考えていたルートであるナグプール、ジャバルプルを結ぶ幹線道路のさらに延長線上にある町でした。
ということは・・・このバスはついに山道を抜け、アラハバードへと続く幹線道路に入ったということです。
お~し!これであとは快適なバスの旅となるぞ!
しかしそうは簡単にいかないのがインドです。
一旦はわりとまともな道を走り出しホッとしたのもつかの間、やがて道は今までで一番ひどい状態になって来ました。
一応舗装はされている、いえ、かつてはされていたらしいのですが、そのほとんどがひび割れ、ものすごい凹凸路面になってしまっていて、バスはまるで嵐にもまれる小舟のように、前後左右に大きくかしぎながらゆっくり進むのが精いっぱいとなってしまいました。さらに先行する車や対向車が巻き上げる土ぼこりがすさまじく、メガネのレンズなど瞬く間にサンドペーパーみたいになってしまうのです。
見れば沿道の木々の葉もホコリで真っ茶色です。
これじゃあこの辺に住む人も肺をやられてしまうのではないかと心配になります。
そんな悪路の途中でバスは朝の休憩に入りました。バスから降りた私は、ドライブイン(というほどのものではありませんが)の庭に横たわるホースに開いた小さな穴から吹き出す水で顔と腕を洗い、一夜を共にしたカレーとようやくサヨナラしたのであります。
休憩を終え再び走り出したバスですが、しばらくはこの悪路を進まなければならないようで、私は洗ってきれいにしたメガネをカバンに仕舞い込むと、ホコリのせいばかりではない少しぼやけた風景をぼんやりと眺め続けたのでありました。
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