2010年インドの旅・目次
- 公開日:2010年6月3日
- 最終更新日:2022年12月8日
ここでは2010年3月から5月にかけてインドを旅した時のお話をさせていただきます。
ウダイプールに行く急行列車「MEWAR EXPRESS」が出発するのが、このニッザームディン駅なのです。
駅に着いて真っ先にすることがあります。 それは出発案内板で列車が入線して来るホームを確認することです。
そのボディーには、老朽化を隠すためかボリウッド(インド映画)スターのポスターが貼られ、なかなかおしゃれなのであります。
ニッザームディン駅はすぐ近く、というか駅舎に寄り添うようにファーストフードのお店があるので便利です。
フライドライスはインドでは大衆食堂などにもよく置いてある定番メニューなのです。
客車入口の外側に貼り出されている乗客名簿に、自分の名前が載っているか確認することは必須です。
フライドライスの辛さに少々シビレ気味だった舌に、このしょっぱさはきつかったです。
私の乗ったMEWAR EXPRESSはこの駅止まりでしたので、特に慌てることもなくゆったりとホームに降り立ちました。
利用者数はあまり多くはないようで、こうした体重計がひとつしか見当たりませんでした。
まだCNGではなく昔ながらのガソリンエンジンのもので、ボディーの色も黒と黄色のクラシックタイプです。
ゲストハウスというのは日本風に言えば民宿という位置づけになり、家族総出で運営していたりします。
白亜の宮殿ホテル、その名もレイクパレスホテルが一番の観光の目玉となっています。
レイク・パレスの正面にはシティ・パレスと呼ばれる大きな宮殿が陣取っていて、近づくものを寄せ付けません。
何気なく見たバスのヘッドライトにこんなものを見つけました。
入りやすそうな食堂を探しながら歩いたところ見つけたのがここだったわけです。
が目にしたものは、湖のただ中に静かに浮かぶ白亜の宮殿というイメージからは程遠いものでした。
赤いサリーを身にまとった洗濯屋のおばあさんが、せっせと洗濯物を干しております。
オレンジは一杯のジュースにだいたい4個くらい使います。
ポスターには「Mewar Festival」の期日として3月18日~20日という日付も書かれています。
その名も「レイク・ビュー」というホテルの屋上レストランにやって参りました。
正面の長さは244m。高さは30.4mで、ラジャスタン最大の宮殿です。
ちょうどこれからマハラジャがお出かけになるところらしいということがわかりました。
サンセット・ポイントと呼ばれている場所で、夕日を眺めるにはいいところのようです。
ウダイプールで真鍮製の壺造りをしている職人さんの、その熟練した技を見せてもらっていた時のことです。
これはラジャスタン州ウダイプール、ジャグディシュ・テンプル前の郵便ポストです。
マウント・アブー行きのバスはここで待つようにと言われ、やって来たのがこの旅行社の前でした。
窓という窓は全開状態で、車内を風がぼぉーぼぉーと通り抜けて行きます。
宿の主人は近づいて行くと実に嬉しそうな顔になり「250ルピーの部屋がある」と言うのです。
インドのヨーグルトはすっぱいのですが、お腹の調子を整えるために食べるようにしています。
私インドで初めてバスツアーというものに申し込んだのであります。
ガイドは現地語しか話さないので、私は蚊帳の外といった感じでした。
標高1200mの山の中の街ゆえ、タクシーも四輪駆動車なのです。
現地語での説明なんか聞いてもさっぱりわからない私はみんなの輪に入れません。
ここは標高が1722mあり、ラジャスタン州で一番高い所です。
ひな壇状に整備されたサンセット・ポイントにはすでにたくさんの人が来ていました。
今回はラジャスタン州の誇る避暑地マウント・アブーからの投函です。
マウント・アブーからアーマダバードは225kmほどの道のりで、バスで約6時間かかります。
この寺院に祀られているのは「Arasuri Ambaji」という女神だということです。
エアコン付でシャワーもちゃんとお湯が出て、料金はツインルームで一泊728ルピーでした。
私の目の前に、ついに二本のミナレットはその雄姿を現してくれました。
これはアーマダバードで見かけたサイドカーです。
風防ガラスはすでになく、シートの背もたれはガムテープで補修されております。
一番の特徴はウルトラセブンの目のような二灯式ヘッドライトでしょう。
街のあちこちでこうしてマトンを焼いていたりするのであります。
ここはハーティーシン・テンプルというジャイナ教の寺院だということでした。
店の横に掲げられていた額縁のディスプレイが実に秀逸です。
井戸の入口付近には近所の住民が集まり、世間話などしながらのんびりとしています。
ここはグジャラート州のアーマダバードにあるサーバルマティー・アシュラム前です。
ドライバー氏が突然こちらに振り向いて、「ほら、あれを写真に撮れ」と言いました。
アーマダバードのキャリコ博物館の開館を待つ間に知り合ったフランス人です。現在イギリスで働いているというこで、英語がお上手でした。
正誤記事を比較され、私のいい加減さぶりをとくとご覧下さい。
ムンバイの朝の通勤ラッシュは殺人的な混みようだということです。
「おいこら!写真を撮るな!」という大きな声が私に浴びせられたのです。
レオポルド・カフェはいつもたくさんの外国人で賑わっているお店です。
今からちょっと行ってみますか、みたいな軽い気持ちで船に乗ったのでありました。
これはムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島に走っている汽車です。
「湾曲」して延びる道路には、よく整備された広い歩道も付いています。
なにが気になったのかと申しますと、店頭でシシカバブを焼いていたからなのです。
あのエレファンタ島の名の由来になった石像を見に来たのです。
バスはそれほど込み合っておらず、しばらくすると運転席のすぐ後ろの席に座ることができました。
なにしろこのCST駅が2008年11月のテロの標的になってしまったその駅なのです。
今回はムンバイからの投函です。ポストの写真は撮るのを忘れました。
弱った私の胃にやさしく接してくれたのが「レオポルド・スペシャル」というあんかけご飯でした。
パンに挟んで食べればコロッケパンみたいになるんじゃないかなあと思っていたら、実際そういう食べ物が売ってました。
この駅はいかにも田舎の小さな駅ですが、外国人観光客などもどっと降りました。
名前が「Poonam Village Resort」に変わっておりました。いったいこの9年間でなにがどう変わったのでしょう。
ゴア州は酒税というものがなく、酒飲みには天国です。
パナジのシンボル的存在になっている無原罪の聖母教会です。
フロントで聞いた料金は、思った通り私の予算より高いものでした。
オールド・ゴアへはバスで30分足らずで、料金も8ルピーととてもお手頃です。
ビールのトレードマークが描かれた看板やシャッターなどもあちこちに見られます。
さらに進化したと思われるオートリキシャを見つけました。
このビルディング、窓が太陽光のように一点から広がるようなデザインになっていてなかなか奇抜でおしゃれなのです。
カラングート・ビーチはバスで1時間、料金は12ルピーです。
トウモロコシは20ルピーもするのかあ。さすがはリゾート地だなあ。
ベランダに出てみましたら、その下に広がる光景に思わずぎょっとしてしまいました。
今回はゴア州の州都パナジ(パンジム)からのハガキです。
乗客のニーズに合わせてカダムバ・バスターミナルには列車の切符予約オフィスがあります。
バスターミナルにはマルガオ行バスの専用チケット販売窓口までありました。
ホームで静かに待つしかないのです、あと5時間半、そして列車の出発までの8時間・・・・
椰子の林やゴム園、水田や川といった水辺の風景も見られるようになって来ました。
ジェッティーはだいぶ様子が変わっていて、きれいな建物が建っていました。
天気はいいし海風はさわやかだし、船の揺れは心地よいしで、実にいい気分です。
ホテルは食堂を通り抜けたところにある階段を上って行きます。
シーフードを食べさせるオープン・エアなレストランにやって参りました。
フォート・コーチンにはチャイニーズ・フィッシング・ネットが林立する場所があります。
郵便局も赤と白で塗り分けられなかなかおしゃれなのです。
一軒のお肉屋さんの店頭で、もくもくと作業をするあんちゃんがおりました。
おお、バナナを満載したトラックが停まっているじゃあありませんか。
インドにもビーフカレーはあるのです。しかもほらカレーライスです。
だいたいチャイニーズ・フィッシング・ネットから遠すぎるよなあ・・・
私のもやもやと言うのは「待ち人来たらず」というものなのです。
風に吹かれながら椰子の生い茂る車窓の風景を眺めるというのは実に気分のいいものです。
ここは水郷の町アレッピーです。
コーチンから急行バスで約2時間で到着しました。
サンダルは限界を迎え、ついにアレッピーで買い替えることになりました。
ポストはバスターミナルの中にありました。ちょっと薄暗かったので写真がぶれています。
クルーズしながら次の街へ移動して行くという船に乗ることにしました。
じいさんは先に立って歩いて行ってしまいますので、黙って着いて行くことにしました。
名称は「GOVERMENT OF KERALA STATE WATER TRANSPORT DEPARTMENT」と、なかなかお堅いのです。
広い水路から脇道へ反れ、狭い水路に入って行くところでした。
お腹が空いたなあと思った頃、船は突然とある岸壁にその横腹を着けて停まりました。
操舵は通常一人で行いますが、狭い水路などでは操縦士の横にもう一人立ち、前方を睨みつけるようにして注意を払います。
水辺ということもあって、この水路沿いにはたくさんの野鳥がいます。
今度こそキングフィッシャーをしっかり写真に収めてやるぞ!
船は舵を左に切り、小さな桟橋を目指し始めました。どうやらここで休憩をするようです。
まだ見習いの操縦士のようでベテラン操縦士に指導されながら操縦していました。
早くクイロンに到着したため、明るいうちに宿探しをすることができました。
私はこれからバスでケララ州の州都トリヴァンドラムを目指します。
このホテルにチェックインするまでがちょっと大変だったのであります。
鉄道の旅から遠ざかっていたので、体重計を見かけない日々が続いておりました。
二百数十年の歴史を誇るシュリー・パドマナーバスワミー寺院にやって参りました。
コヴァラム・ビーチ行きのバスはターミナル内ではなく、道沿いにある9番の乗り場から出ます。
「そらなら一番良い部屋をやろう」とくれたのが三階の106号室でした。
お土産屋や露店が並んでいて、ビーチリゾートに来たぞ!という気分になります。
浜には木造の小さな漁船が並んでいるだけで、観光客らしき人はまったくいません。
浜に引き上げられた網に、なにが獲れているかは開けて見てのお楽しみ。
イトハウス・ビーチ沿いには、「シーフード」の看板を掲げたレストランがあります。
南インド随一の美しさと言われるコヴァラム・ビーチ。そんなビーチでは・・・
見ての通りビキニ姿のおねえさんと海水パンツ姿のおにいさんの絵なのです。
エアコン付で快適な旅になるぞ!とぬか喜びしてしまいました。
バス停では宿の客引きの男が待ち構えていて、なんと9年前と同じホテルに案内されました。
これはカニャークマリ駅のリタイアリング・ルーム(駅にある宿泊施設です)の料金表です。
三つの海の交わるところで、ヒンドゥー教では重要な聖地のひとつです。
ここがインド亜大陸最南端の街カニャークマリのそのまた先端にある海です。
6時前に部屋のブザーが鳴らされるとともにドアがちょっと強めにノックされました。
時刻はもうすぐ8時になろうとしていましたが、私も最南端の海まで再びやって参りました。
ここにはそんな人たちを目当てにした物売りもたくさん出ているのですが、私の大好きな「あれ」も出ておりました。
これはインド亜大陸最南端のカニャークマリのもので、一袋10ルピー(約20円)でした。
さてこの家族、ここでいったい何をしているのかというと、これからこのおじさんに占ってもらおうとしているのです。
ガート(沐浴場)で、黙々とザルで海中をさらう男が一人・・・
ここから内陸に500mほど行った郵便局前のポストに投函致しました。
私が乗る「ウルトラ・デラックス」という等級のバスが入って参りました。
街をあっという間に通り過ぎ、快調に走り出したかに見えたのですが・・・
陽はだいぶ西に傾きました。停車しているとまたたく間に35℃にまで上昇してしまいます。
バス・ステーションの建物の中はとても賑やかでたくさんの人々が行き来しています。
フロントのあんちゃんは泊まろうかどうか迷っている私を完全に無視したのです。
宿泊するホテルの屋上からも、その小山のように聳えるゴープラムが望見できます。
回廊を進んで行くと煙が立ち昇っている大きな香炉のある場所に出ました。
そこにあったのはミナークシ女神の夫君であらせられるシヴァ神の神殿でした。
私はここでは外国人であり、またヒンドゥー教徒ではないので入れないのです。
シュリ・ミナークシ寺院の周りは門前市ということで神具屋さんもたくさんあります。
天井を見上げましたら、梁にこんなものがぶら下げられていました。
つい最近改修されたらしき駅舎はモダンで、駅前も実にきれいに整備されていました。
市場は朝から人がたくさん繰り出し、ものすごい活気に満ち溢れています。
南インドのマドライで、私は早起きをしてミナークシ寺院に参拝に行きました。
門前の商店はさすがにまだ営業前のところが多く、人もまばらで閑散としていました。
到着したのは9時半だったため、開館(10時)まで外で待つことになりました。
ここは「ラジャジー・チルドレン・パーク(RAJAJI CHILDREN PARK)」と言うようです。
ジャックフルーツは日本ではあまり見かけませんが、インドではごく普通に食べられているものです。
ふとカウンターの上に積まれたフルーツに目が留まりました。
タミル・ナドゥー州のオートリキシャは、ボディー全体が鮮やかな黄色で塗られております。
すごい名前ですが先日カニャークマリからのバスが到着したところです。
バスを一本遅らせたため一番乗りで座ることができましたが、出発の時にはほぼ満員になっていました。
「あのバスに乗れ」という大合唱に導かれバスに飛び乗りました。
アーチをくぐると青い空ときれいな海が広がっていてたくさんの人が沐浴していました。
なかなか起き出せず、情けないことに日の出の瞬間には間に合わなかったのであります。
足の形にも見える砂の造形物が、波打ち際のあちこちに造られているではありませんか。
異教徒である私としては近寄りがたい雰囲気で、しばらくは遠巻きにして様子を窺っておりました。
私は今、オートリキシャでダヌシュコーディーを目指しています。
乗り合いトラックは後から来たグループ客に占有されてしまい、私は取り残されてしまいました。
砂浜を一人ぼっちで歩いて行った時、拉致されてしまったらどうしようと心配していました。
部屋は実に狭く、窓も廊下側にひとつあるだけという昼間でも薄暗いものでした。
橋の上で車を停めて風景を眺めるといった物見高い人が結構いました。
私は心から幸福感に浸り、ぐっすり眠ることのできる「聖水」を知っているのです。
私は今、オートリキシャでダヌシュコーディーを目指しています。
ちょっと不思議だったのは、みなさんその波打ち際からあまり移動しようとしないのです。
帰り道はトラックの後部に立って行くことにしました。
この寺院は1964年のサイクロンから村で唯一被災を免れたのです。
ハガキはラーメシュワラムのバススタンドにぶら下がっていたポストに投函致しました。
ラーメシュワラムから次の目的地トリチーまで、再び乗り合いバスの旅となります。
バスはここでエンジンを止め、運転手と車掌が真っ先にバスを降りて行きました。
カゴに盛って売りに来たキュウリが実にうまそうに思え、ひとつ買うことにしました。
バスターミナルはかなり大きなもので、その周辺にはたくさんのホテルが建っています。
ホテルの向かい側にはフライドチキンのお店があって、ビールのつまみにも困らないのです。
ここはトリチーで宿泊したホテルのはす向かいにあったジュース屋さんです。
その翌日は、シヴァ神とパールヴァティ女神の結婚を祝うお祭りでした。
実はここはヒンドゥー教の各種法要を行う場所なのです。
たくさんの信者たちが川で沐浴する、そんな場所で見かけたのがこの看板です。
この寺院にやって来たのは、毎日お昼頃行われている参拝風景を見るためでした。
ハガキはトリチーのバスターミナル近くの自立式ポストへ投函しました。
出発時刻は8時40分発ということで、なぜこうも聞く人によって情報が違うのでしょう?
ここはポンディチェリーへの途中、ヴィルプラム(VILLPURAM)という街のバスターミナルです。
ポンディチェリーは1954年まで250年にもわたりフランスが統治していたところです。
ポンディチェリーのジュース屋さんには5匹の犬がつながれていました。
波打ち際は石垣のはるか下なので、彼女とキャッキャ言いながら波と戯れるなんてことはできません。
こちらはインドはポンディチェリーの海岸に出ていたアイスクリーム屋さんです。
博物館の入り口が目立たず探し当てるのに少しうろうろしてしまいました。
奥さんがせっせとオレンジの皮を剥き、旦那がよいしょよいしょとそれを絞り続けています。
書店の前あたりが黒山の人だかりとなっていて、道も警察によって止められていました。
走り出したまではよかったのですが、ものの10mほどで止まってしまいました。
少し丸みを帯びたガラスケースが二段重ねになっていてなかなかおしゃれです。
今回は元フランス領だったポンディチェリー(プドゥチェリー)からのハガキです。
フロントガラスからの眺めが大画面フルハイビジョン大迫力3D映像で迫って来てなかなか楽しいです。
まずはコーラを飲んで気を落ち着かせ海の方向を教えてもらい適当に歩き出しました。
ちょっと平衡感覚が狂うような違和感を覚えるこの光景、これはマハーバリプラムで滞在した宿の二階の床です。
7世紀に建てられた石造りの寺院は他の遺跡とともに「建造物群」として世界遺産に登録されています。
この五つの石彫寺院は南インドの寺院建築の素になったと言われています。
石関連の見どころがたくさんある中で「これぞ石の中の石!」と感動したのがこの石です。
これは2010年4月27日(火)午前6時33分の写真です。
これは2010年4月28日(水)午前9時40分の写真です。
これは2010年4月29日(木)午前6時31分の写真です。
これは2010年4月30日(金)午前6時46分の写真です。
これは2010年4月30日(金)午後6時14分の写真です。
これは2010年5月1日(土)午前7時46分の写真です。
これは2010年5月1日(土)午後2時10分の写真です。
これは2010年5月2日(日)午前6時34分の写真です。
これは2010年4月28日(水)午後7時36分の写真です。
このレリーフは「アルジュナの苦行」と呼ばれるもので、ガンジス河が地上に降りて来た話を題材にしたものです。
アルジュナは「マハーバーラタ」に登場し、「バガヴァッド・ギーター」ではクリシュナの対話者として登場します。
マハーバリプラムもお祭り期間の真っ最中だったようです。
マハーバリプラムはお祭りの真っ最中でしたが、選挙が近いようでそちらもお祭り騒ぎのようでした。
これは「サンドパイパー(Sand Piper)」というインドのビールです。
さてこのほうき、日本のとはちょっと使い方が違います。
こいつは果てしなく床に平行になるよう倒して使うのです。
このポストもまた大きな木に吊り下げられて、実にインドっぽくていいですね。
夜行バスでヴィシャカパトナムに行くにはチェンナイに5時半までには着かなければならないのです。
ここは主にチェンナイから北へ向かう列車が発着するチェンナイ・セントラル駅です。
食堂の入り口に長距離バスのチケットブースがあり、またこのすぐ前にバスが来るのです。
大都市チェンナイを抜けて郊外をしばらく走ると、バスはドライブインに入って止まりました。
バスがヴィシャカパトナムに到着したのは、すでに日も高く上がった9時20分でした。
おっ、なんだあれは?オートリキシャのオープンカーか?
ドレスアップしたデコレーション・オートリキシャがたくさん走っているのであります。
バスタル地方の中心地ジャグダルプルへの道程をご紹介させて頂きます。
私は慌ててサンダルをつっかけるやホームへ飛び下り、素早く左右を指さし確認しました。
オートリキシャは相乗りの客を引こうとがんばっていて、なかなか出発してくれないのです。
ジャグダルプル(Jagdalpur)はチャッティースガル(Chhattisgarh)州に属します。
チャーターしたインド製の車はジャグダルプルの町に繰り出して行ったのであります。
木を模したアーチ看板には冒険心をくすぐる字体で「カンゲール渓谷国立公園」と書かれていました。
岩の隙間には下に降りるための狭いコンクリートの階段が付けられていました。
おいこら!パテル!
まだ写真を撮ってないんだから、先に行くなばか!
この日はダルバというところで水曜日に開かれているハートに行きました。
道のわきに停めておいた車の近くまで戻ると、助手席のドアが大きく開け放たれているのが見えました。
ジャグダルプルは小さな町なので、車で5分も走ると道は簡易舗装の田舎道になってしまいます。
心の中で「パテルのやろう、お土産屋でごまかそうとしてやがるな」と思ったのは正直なところなのです。
この一面に敷き詰められた黄金色のものが何だかお分かりになりますでしょうか?
パテルは「胃が悪いので今日はガイドなしで行ってもらえないでしょうか」と聞いて来ました。
ここはこの地方のマハラジャの屋敷、つまりマハラジャ・パレスです。
この滝はナイアガラの滝の3分の2ほどの幅があるというのです。
なぜその木が気になるかといえば、何か大きな鳥のようなものが見えたからなのです。
時折林を切り開いた場所や荒野にぽつんとある木陰に彼らのお墓を見ることがあります。
パテルは森の中にあるなんだかよくわからない施設に案内しました。
活動の最後として向かったのは、すっかり気に入ってしまったハート(市場)でした。
今回はチャッティースガル州ジャグダルプルからのハガキです。
いよいよ7泊したホテル・レインボーともお別れです。
ここは正確にはバスターミナル裏というよりバスターミナルの建物自体です。
二枚の切符を交互に眺めては来る日も来る日もライプールからどう動こうかと思案にふけっていたのであります。
当初の予定ではここから快適な寝台列車に乗ってプリーを目指し、翌日はシーフードに舌鼓だったのかあ。
気温はおそらく40度を超えているようで、日陰でじっとしていても汗が噴き出て喉も渇いて来ます。
ライプールの気温は軽く40度を超えているようで、開け放たれた窓から吹き込む風は熱風そのものです。
山道をどれほど走ったでしょうか。バスはやがて山の中の集落らしきところで止まりました。
バスは平地に出たかと思えばまた山道に入るといったことを繰り返しながら突き進みます。
これはライプールからアラハバードに向かうバスの車窓に見た看板です。
やがて道は幹線道路にふさわしい路面状態を取り戻し、バスもまた元のペースを取り戻しました。
この旅は体力的にかなりきついものとなり、特に旅の後半は必死に耐えていた、というのが正直なところでありました。
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