暦の上では・・・
お彼岸です。
「暑さ寒さも彼岸まで」なんてことを申しますが、本当にその通りでして、関東地方も彼岸の入りとともにぐっと涼しくなりました。
もう朝方などは寒いくらいでして、短パンTシャツのクールビズのまま寝ている私は、タオルケットにくるまっても寒くて凍死しそうです。
それが原因なのか、ちょっと体の調子が悪くなってきてしまいました。
昨日あたりから足の付け根のケツの側(わかりますかねえ、尻の両側のくぼんだ所です)がなんか痛だるいんです。
そして今朝は肩、首、背中も痛だるく頭も傷み始め・・・いえ、痛み始めてきました、これはもう熱が出る証拠なのです。科学的医学的民間伝承的に解明されていなくてもそうなんです。
思えば21世紀になってから今日まで、私は病の床に臥せったことなど一度もなかっ・・・
あー、インドのチェンナイ(旧マドラス)でものすごい!それはそれはものすごい!あー、言葉では表せないくらいにものすごい頭痛に見舞われ、2日ほど寝込んだことがありました。
あの時は日中の気温こそ35℃前後しかありませんでしたが、北緯13度あたりに位置するチェンナイの6月下旬の太陽はとても凶暴なのです。
そんな中を私はオートリキシャにも乗らず、帽子の後に布を垂らしただけの旧日本陸軍スタイルで何時間も歩き回っていたのです。
そりゃあ頭も痛くなりますわなあ。
あれは間違いなく日射病でした。
科学的医学的民間伝承的に立証されなくても日射病です。
もしこのメルマガをお医者さんや医療関係の方が読んで、「あんたねえ、日射病っつーのはねえ、そんな・・・」なんてことを言ったとしたら、私のケースは日本ではほとんど症例のない新種の日射病です。
とにかくあの時は高熱と頭痛のために体はだるく、トイレに行くにも足元がふらふらなのです。まるで酔っ払いの千鳥足のようなのです。
これを専門用語で「チェンナイ千鳥」と言うのです。
・・・
えー、まあ、そんなケーシー高峰みたいなことを言っておりますと、せっかく私の病気に同情しかかった方も、「なーんだ、冗談か」となってしまいますが、あの時ほど頭が痛くつらかったことはありませんでした。それから比べたら電車の中での突然の便意など取るに足らないことです。
その辺の話は現地から書き送った文章に収めたつもりでいたのですが、今確認してみたら見つかりませんでした。どうも書いていなかったようです。
おそらく旅の途中での出来事でしたので、あの文章を読んでくれている数百人の方々(自分も含めた延べ人数)に心配をかけてはいけないとの思いから書かなかったのでしょう。なんて健気なんでしょう。
そんなわけで今回は、頭痛が思い出させてくれた「チェンナイ闘病記」を改めて書いてみようかと思います。
えっ?他にネタがないんだろう?
何をおっしゃいますか。
この時季は運動会に文化祭、お彼岸に秋分の日、食欲の秋に読書の秋と、それはもう話題が盛りだくさんの時季なのです。
それをわざわざ4年も前のことを引っ張り出して来ようなんていうのは、
まあ、
それだけ今の体の状態がやばいということです。
早く書き上げて寝たいわけなのですね。
でないと、この週末に行われる地元のお祭りに行かれなくなってしまうからです。
お好み焼きを食べたいじゃないですか。イカ焼きでビールを飲みたいじゃないですか。それに大場久美子やあいざき進也、伊丹幸雄だって来るんです。
そいつぁーぜひ見たいじゃないですかあ!
♪ディスコォ~ドリィ~ム、あっはん!あっはん!
何卒状況ご理解の上、皆様方のご了承をお願い致しますです。
あー、こんな余計なこと書いてないで、早く本題に入ろう・・・
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
さて、すでに頭痛の襲ってくる周期が短くなり始め、もう一刻の猶予もございません。
家人にも先ほど「午後は寝込む」との通達を発し、昼は鍋焼きうどん、夜はスキヤキが食べたいよお、などと病人らしくダダなどこねてみたわけです。
なので本来ならここで大きく発展しそうな「懐かしのアイドル」の話も、今回は残念ながら割愛させて頂きます。
でもひとつだけ言わせて頂ければ「なぜ城みちるは来ない!」なのです。
以上
6月下旬のチェンナイの太陽はほぼ真上から頭上に照りつけ、布の帽子にタオルを垂らしただけの若者(現在の私から見た当時の私です)の体力を容赦なく奪っていました。
この時もし太陽と北風が「あの旅人の帽子をどちらが脱がせることができるか勝負しよう」などと、当事者抜きの勝手な相談などしていたら、おそらく太陽は負けていたことでしょう。
あの強烈な太陽ががんばればがんばるほど、旅人は帽子を目深にかぶり、決して脱ぐことなどないはずです。
しかしひとたび旅人に涼しいげな北風が吹き付けられれば、旅人はその帽子を自ら取り去り、蒸れてほよほよになった残り少ない頭髪を惜しげもなく、北風に吹かせたことでありましょう。
でも、
実際には涼しい北風など吹きませんでした。
肌に吹き付けて来るのは、ただただ熱風だけだったのでございます。
そんな状況の中、しかも昼をはさんだ一番暑い時間帯に、その若者は何時間も(実際には4時間くらい)チェンナイの町をさまよい歩きました。
さて、ようやくホテルに帰りついた若者はまずシャワーを浴びました。
そして食事をとります。今夜の食事はスープです。
すでに1ヶ月半の旅で疲労の溜まっていた若者は、どうしてもスープが飲みたかったのです。
スープはその日チェンナイ一(当時)のショッピングセンター「スペンサープラザ」で買った、マギーの粉末スープ具材入りというものです。しかし悪いことにその直前に私のコイル式ヒーターは壊れてしまっていました。
でも、あれだけ楽しみにしていたスープを、お湯が沸かせないという小さな理由であきらめられるでしょうか。いえ、そんなことはできません。
そこで私は空いたペットボトルにスープの粉末を入れ、適量の水を注いでフタをし、激しくシェイクすることで冷製スープを作ることにしたのです。
結果は、
粉がよく溶けず、細かい具材は表面がわずかにぶよぶよになっただけでした。
そんなスープがうまかろうはずがありません。
そんなものをうまいというような人は、まあそれはそれでいいですけど、とにかく私はとてもまずく感じました。若者らしくゲロまず!と言ってもいいでしょう。
えーと、
なんだかなかなか頭痛の話になりませんなあ・・・
鍋焼きうどんができちゃうよ。
とまあ、体力的にかなり落ち込んでいるところに持って来てこの事件です。
気力まですっかり萎えてしまった若者に病魔は襲い掛かります。
外はまだ日も暮れぬ4時頃だったでしょうか、少し頭痛のしてきた私は、日本より持参の胃に優しい頭痛薬を飲み、早くもベッドに横になりました。
すこしウトウトしかけた頃でしょうか、突然外で大きな騒音がしました。
びっくりした私は、だるい体にムチ打って起き上がると、4階の私の部屋から下を見ました。
そこにはなんと、懐かしのGS(注:グループサウンズのこと。ガソリンスタンドやガールスカウトではない)ザ・タイガースがいるではありませんか。
ザ・タイガースはそろいの赤いミリタリールックに身を包み、移動式と思える「ステージ」上で楽器を打ち鳴らし騒音を発しているのです。
それはとても「演奏」などと言えるものではありませんでした。
音楽的芸術的民間伝承的に見ても、それはあくまでも騒音です。つまり、うるさいだけなのです。
しかしなぜ、この真夏のチェンナイにミリタリールックのザ・タイガースがいるのでしょうか?
そこでさらに観察してみますと、下の広場にはザ・タイガース以外にも大勢人がいて、中には白馬にまたがった王子さまらしき人も見えます。
はっはぁ~ん・・・
あれは結婚式だな。
インドの結婚式はとても派手で、お金があれば楽隊などを雇いにぎやかに執り行われると聞いていましたが、それが今目の前(正確には眼下)で繰り広げられようとしているのです。
なんでまた、よりによってこんな日に・・・
楽隊の演奏レベルから見て、これはそれほどすごい結婚式ではないであろうと判断した私は、またベッドの上に倒れ込みました。
しかしザ・タイガースの演奏は私を執拗に追いかけて来て、それでなくても割れるような痛みに襲われている私の頭部を、がんがんと刺激するのです。
頼みの綱の胃に優しい頭痛薬は一向に効果を表さず、外ではザ・タイガースのボルテージは上がるばかりで、ついにはスピーカーのボリュームを最大限にしたのではないかという音量でボーカルが加わり、それはもう大歌謡ショーの様相を呈して参りました。
そして熱も高くなってきた私は、ザ・タイガースの演奏を子守唄代わりにし、朦朧とした意識の中にかつてのアイドルたちを思い浮かべてしまうのです。
大場久美子・・・
あいざき進也・・・
えーと、
えーと、
あと誰がいたかなあ・・・
そんなくだらないことを考えている私に追い討ちをかけるように、さらに激しい痛みが!
あっ、
いたみ幸雄だ。
今回は私がまだ若かりし頃に体験した、すさまじいまでの体験をお話しさせて頂きました。
最初は早く書き上げて寝てしまおうと思ったのですが、なんだか途中から調子に乗ってしまい、こりゃあ毎週メルマガを書くときには頭痛発熱関節痛などをひっさげておこなった方がいいのではないかと思うのであります。
ちまたは三連休のようですが、私はこの後鍋焼きうどんを食べてから病の床に臥せます。
そして夜にはスキヤキとビールで栄養をつけ、お祭りの「懐かしのアイドルショー」までには復調したいと思っております。
それではみなさん。
季節の変わり目ですが、お風邪など召しませんように。
また、来週!