ここではドクラ制作を見学した際の、うら話的なお話しをさせて頂きます。
その工房は私の滞在していたジャグダルプルから80kmほど離れたコンダガオンという町にありました。車を飛ばして(もちろん一般道です)1時間ちょっとの道のりです。工房の塀の上にはやはりこの地方で盛んに作られているテラコッタの置物が並べられ、また工房の主の名前を書いた看板も掲げられたりしておりましたので、私は初め「ちっ!ガイドの野郎、お土産屋みたいな所に連れてきやがったな、なろー!」と、もしおかしな展開になったら、いつでもここから飛び出してやろうと身構えたのでした。
敷地に入るとそこは意外なほどがらんとしていて、職人さんらしきひとがたった一人で地味に作業をしていました。
とにかくちゃんとした制作過程が見られるのかどうかが気になる私は、一刻も早くその職人さんの作業を見てみたかったのですが、ガイド氏ははやる私を押しとどめるようにして、奥のチャールパイ(ベッド)に座っていた老人の前に私を連れて行きました。
そこで紹介されたのがこの方、ジェイデヴ・バゲル氏でした。バゲル氏は現在病気療養中のため制作作業には加わらず、こうして屋外に置かれたチャールパイから作業の指示を与えたりしているとのことでした。
バゲル氏は急な訪問にもかかわらず、またご自身の病気療養中にもかかわらず私を歓待してくださり、とても丁寧にドクラに関することを教えてくださいました。
あれこれ話を聴くうちに、バゲル氏は数々の賞を受賞しているこの道の第一人者で、実演のために何度も外国を(なんと日本にも3度ほど)訪問している大変高名な方だということが、ここでようやくわかったのです。そんな方であるにもかかわらず、氏は実に謙虚に、そしてとても気さくに話をしてくださいました。
「私には学歴はないが、海外に何度も行くことができたため、下手なりに英語も話せるようになった」と話すその英語はとても流暢で、もしかしたらガイド氏の英語よりレベルが高いのでは?と思わせるほどのものでした。さて、ここで私は一旦席を立ち、ドクラ制作の手順を見せてもらったのですが、それは型を作るまでの工程で、肝心の鋳込み作業は口頭で簡単に説明されただけでした。
再びバゲル氏のところに戻った私は、鋳込み作業はいつやるのか?と聞いてみたのですが、氏によると「今はとても暑い季節なのでやらない」とのことなのです。
確かにこの時季(私が訪れたのは5月の初めでした)のこの地方は40℃にも達する高温となりますので、そんな状況下で金属を溶かして流し込むというのは、さぞ大変な作業となるのでしょう。しかしそれで納得して引き下がるわけにはいきません。なにしろ私はその作業を見るために、日本からわざわざ来たといっても過言ではないのです。
そこで私はバゲル氏に自分の思いの丈を話し、なんとか鋳込み作業を見せてもらえないかとお願いしたのです。
その時バゲル氏は「検討してみる」とだけ言われましたが、翌日正式に「作業実行」の連絡をくださったのでありました。
そんなことがあって、ようやく漕ぎ着けたドクラの鋳込み作業の見学だったのですが、恥ずかしながら私はまさかあれほど大変な作業だとは思ってもいませんでした。まあ元々(昔)のドクラはもっと小規模に、そして時季を選ばず作業をしていたのだと思いますが、現代のこの工房では(そしておそらく他の多くの工房でも)一度にまとめて鋳込みをするというのが経済的であり、またそれを比較的気温の低い時季に行おうとするのは当然の流れなのであります。
なのに私はかなり強引にお願いをしてしまったわけで、バゲル氏はそんな私の無理な要望に真剣に耳を傾け、そして聞き入れてくれたということなのであります。
作業当日の模様は「ドクラ制作2」でご紹介しておりますが、工房に到着した私が目にしたものは、先日の閑散とした様子とは打って変わった活気みなぎる作業場であり、勢ぞろいした職人さんたちが忙しく準備を進める光景を見ていると、子どもの頃に見た年末の餅つきを思い出してしまいました。もちろん私は一切作業には加わりませんでしたが、ただでさえ暑い季節にさらに火が焚かれ熱せられた作業場(私がそうさせたのですが)をあちこち飛び回っては、職人さんたちの作業を間近で観察したり写真に撮ったりしていたものですから、一日の作業が終わるともうへとへとで、まるで自分が作業を行ったかのような達成感に浸ることができました。
こうしてドクラの制作過程でもっとも重要で、そしてもっとも大変な鋳込み作業を見ることができたというわけです。
本来なら避ける酷暑季での作業、本当にお疲れさまでした。
ということで、職人さんたちへの慰労と感謝の意を込めて、「サルフィ」と呼ばれる椰子のお酒をご馳走させて頂くことにしました。なぜかお酒の代金はガイド氏が払ってくれました。
思うに彼も鋳込み作業の見学は今回が初めてで、ガイドとして良き勉強になったと真摯に思ってくれたのでしょう。というのも、このガイド氏の初日の勤務態度はお世辞にも良いものとは言えず、またその知識はとても豊富とは言えないものだったため、ドクラの制作過程を詳しく知るために遠路はるばるやって来た私としては、今後の展開を非常に危惧し、かなりきつく叱り飛ばしていたのです。
しかし翌日からガイド氏は名誉挽回とばかりにしっかり仕事に打ち込むようになり、この工房を紹介してくれただけでなく、また違った形で作業をする工房を見つけてくれたりと、「私が望むであろう」ものを精力的に探し出しては連れて行くということをするようになったのです。まあそれが本来のガイドだと私は思うのですが、インドではとかく単なる道案内人が「ガイド」と称することも多く、そう考えると彼は根がまじめで(その代わり「胃が痛む」と言って一日休んでしまいましたが、くすくす)心を入れ替えてがんばってくれましたので、私はラッキーな方だったのだと思います。
そしてガイド氏と実にいいコンビぶりで働いてくれたのが、この今お盆を持っているドライバー氏でした。彼は初日、ガイド氏のあまりの不甲斐なさに「もう何も案内しなくていい!ホテルへ直行しろ!」と怒り出した私を無視するように、すっかり縮み上がっているガイド氏になにやら耳打ちすると、車を博物館へと走らせたのです。
結果的にはそれが「正解」でした。
それまで私が「ドクラを知ってるか?」「じゃあロスト・ワックスは?」といくら聞いてもその都度悲しそうに首を振るだけのガイド氏だったのですが、この博物館で実物のドクラの像を発見した私が、「これだ!これがドクラだ!これがロスト・ワックス法で作られたものなのだ!」と少々興奮気味に言うと、ようやくそこで「これなら知ってる。これはベル・メタルというものだ」と言ったのでした。
そうだったのです、彼は「ドクラ」や「ロスト・ワックス」という言葉は知らなかったのですが、ドクラの作品自体は「ベル・メタル」という名で知っていたのです。
そこからは話がスムーズになりました。
翌日はガイド氏も態度を改め(前日は案内そっちのけで頻繁に携帯電話を使っていたのですが、この日は電源さえも切っていました。あはは!)、バゲル氏の工房を始めとして実にたくさんのものを私に見せてくれたのです。
そしてやはり初日に私の質問に答えられず何度も気まずい思いをした彼は、この日から率先して職人さんたちにあれこれ質問しては、それを逐一私に教えてくれるようになったのです。
まっ、たまに当たり前の話を手柄顔でするので、ありがた迷惑なときもありましたけどね、ははっ!
とまあ、そんな風にいろいろなことがあったわけですが、私の望んでいたほとんどすべてのものを見ることができたということは、なんと言っても人との出会いに恵まれたからこそだろうと思うのであります。最後になりましたが、ジェイデヴ・バゲル氏を始めと致します伝統工芸職人のみなさま、そして注文の多い私に胃を痛めながらガイドを勤めてくれたパテル氏、さらにはそのよきパートナーであり時にガイド以上に気を利かせたてくれたドライバー氏に、この場を借りて深く深く感謝する次第であります。
本当にありがとうございました! 乾杯!