〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時1ルピーが約2円だったので、ただ単に2倍にすれば円価になります。 2010年3月23日(火) マウント・アブー 晴 朝21℃(室温) 次にバスは「Guru Shikhar」目指して山をぐんぐん上って行き、途中のビューポイントで一旦停まる。 再びバスは山頂を目指す。 途中のお寺でプジャーをしてもらう。 そこを出たところで寄付を求められRs.50出す。 頂上は確かに絶景だった。 山を下りてトウモロコシ Rs.10 を食べる。 ツアーの最後はサンセット・ポイント。 サンセット・ポイントは駐車場から少し山を登るので、馬や箱車の客引きがたくさんいた。 ポイントにはすでにたくさんの人が集まっていて、クワの実売りやポップコーン売り、チャイ屋に綿菓子屋なども出ている。 木の上にはハヌマーンもたくさんいた。 18:54 太陽は地平線近くのモヤの中に消えて行った。 帰りは徒歩でホテル近くまで戻り、ちょっと小奇麗なレストランでコーラとピザを食べた。Rs.180 ホテルへ帰りフロントでランドリーを受け取りたいと言うと「30分後」だと言う。 さらにお湯を要求すると朝しか対応できないと言う。 ランドリーに出したズボン返って来ず。 絵ハガキを書いて11:30頃寝る。 |
【以下の解説は2012年9月25日のものです】
〔以下メモに解説を加えて〕
2010年3月23日(火) マウント・アブー 晴 朝21℃(室温)
次にバスは「Guru Shikhar」目指して山をぐんぐん上って行き、途中のビューポイントで一旦停まる。 時計の高度計は1440mを指していた。
私の時計はもう20年近く前に購入した1万2千円ほどのデジタル時計だが、気圧を測定して高度を表示してくれる。まあ時計のオマケの機能みたいなものなので参考程度にしか利用できないが、今まで何度か実際の標高を示す看板などと比べてみたが、まあまあ合っていた。
再びバスは山頂を目指す。 パーキングからはまた長い石段。
バスは頂上までは行かず、少し(いや、かなり)下の駐車場までであった。そこからは本日二度目となる石段登りが始まる。ふぅ~
途中のお寺でプジャーをしてもらう。 一度目は朱色の線をタテに、二度目は白い灰を着けてくれた。共にRs.10ずつ出した。
「プジャー」とはお祈りのこと。この場合はお坊さんから受ける祝福と言ったところか。お坊さんは何かを唱えながら額の中央に聖灰などを着けてくれた。
そこを出たところで寄付を求められRs.50出す。
先ほどの10ルピー(合計20ルピー)はプジャーへのお布施で、今度は純粋な寄付の要求である。いくら出そうか迷ったが、先のジャイナ教寺院での経験から少し多めの50ルピーを出すことにした。
頂上は確かに絶景だった。
グル・シカールと呼ばれるこの山頂(もしかしたら寺院の名前かも)は、標高1722mを誇るラジャスタン州で一番高い場所なのである。ちなみにマウント・アブーの町も標高1200mくらいある。涼しいわけだ。
山を下りてトウモロコシ Rs.10 を食べる。
ここでも大好物のトウモロコシが売られており、我慢できずに買い食いした。
ツアーの最後はサンセット・ポイント。 ツアーはここで客を降ろして終わりになるとのこと。
バスはサンセット・ポイント近くの駐車場で乗客を降ろすとさっさと帰ってしまう。あとは各自で山を下りなければならないが、それが嫌な人は夕陽見物をあきらめて、そのままバスで町中へ帰ることもできる。
サンセット・ポイントは駐車場から少し山を登るので、馬や箱車の客引きがたくさんいた。
山道と言っても舗装された普通の道路。坂もそれほどきつくなく、距離もたいしたことはない。それでもその労力を惜しむ人のために、馬や人力台車での輸送サービスがある。お蔭で歩いて登る人は、馬の落し物にも注意しながら歩かなければならない。
ポイントにはすでにたくさんの人が集まっていて、クワの実売りやポップコーン売り、チャイ屋に綿菓子屋なども出ている。
人の出るところ常に物売りあり。チャイやポップコーンは定番だが、小さなカゴに入れたクワの実を売りに来たのには驚いた。さすが山の中である。
木の上にはハヌマーンもたくさんいた。
マウント・アブーに着く直前にもたくさん見たが、ここでは木の枝に座って長い尻尾をだらんと垂らし、まさしく高みの見物状態であった。
18:54 太陽は地平線近くのモヤの中に消えて行った。
残念ながら地平線に太陽が沈むという光景は見られず、靄の中に次第に消えて行くといった感じだった。でもこの方が神秘的で実に良い、と自分を納得させて帰路に就く。
帰りは徒歩でホテル近くまで戻り、ちょっと小奇麗なレストランでコーラとピザを食べた。Rs.180 うまくなかった。
帰りの山道はすでに真っ暗だった。夕陽が沈むのを見に行ったので当たり前なのである。でも夕陽見物を終えた人は残らず同じ道を帰るので安心なのだ。ただ途中の分かれ道で人々も二手に分かれてしまい、どちらに行くか一瞬迷って左に曲がったら、ぜんぜん知らない夜市のような所へ出てしまいちょっと焦った。それでも適当に歩いていたら宿の近くに出たので、ようやく安心して夕食を取ることにした。ピザを頼んだらぶくぶく膨らんだパンのようなものが運ばれて来て大失敗だった。
ホテルへ帰りフロントでランドリーを受け取りたいと言うと「30分後」だと言う。
マウント・アブーの気候では、ウダイプールのような洗濯物の速乾効果が望めそうもなかったので、ズボンをクリーニングに出しておいた。翌日は出発の予定なので、どうしても今夜中に取り戻して荷造りしたいところである。
さらにお湯を要求すると朝しか対応できないと言う。 仕方なくタオルを水で絞り体を拭く。寒い。
昨夜のように水シャワーに凍えることのないよう、体を洗うためのお湯を頼むと、夜は対応できないと言われ愕然とする。インド人は朝体を洗う(清める)習慣があるようだが、私はニッポン人であるからして、なんとしても寝る前に体を洗いたい。そうしないとお前んとこのシーツと毛布が汚れるんだからな! って、もしかしたらあの毛布、そんな人たちが使って来たのか? とにかく私は濡れタオルで体を拭き、寒さと悔しさに涙したのである。
ランドリーに出したズボン返って来ず。
ズボンはいくら待っても返って来なかった。たかがズボン一本ではあるが、出発までにちゃんと返って来るのか心配でちょっと憂鬱になる。
絵ハガキを書いて11:30頃寝る。
バスツアーの途中で念願の絵ハガキを入手した。印刷も紙質も良くないが、それがまたインドっぽくて良いじゃないか、と自分を納得させてせっせと書いた。
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