その後いかがお過ごしでしょうか。
いつの間にやら熱中症を恐れる季節から、インフルエンザを恐れる季節になりました。この激しく移り変わる季節に、うまく着いて行けないのは私だけでしょうか。
そんなわけですっかり晩秋となり、冬の足音もかさこそと・・・、いや、冬の足音だから雪を踏むぎゅっぎゅっ、かな・・・
まあそれは単なる言葉のアヤですからどんな足音でもいいのですが、とにかく朝晩はかなり冷え込んで来て、日中も日が陰ると寒く感じる季節になりました。
で、こういう季節になりますと、晴れた日の散歩というのがなかなか快適で楽しいわけです。
先週末も良い天気でしたので、ひとりでぷらっと(と言っても20km以上歩きますが)散歩に行って参りました。
散歩はハイキングや登山とは違いますので、基本は軽装備です。できれば何も持っていない状態が一番望ましいのです。私は日頃から「手ぶらは最強なり」と思っていますので、リュック類を含めてなるべくバッグは持たないようにしています。どうしてもというときは尻の所に着ける小さなケツバッグ(個人的呼称)を着装し、両手はぶらぶらさせて行きます。
ただ私の住む町は四方が山に囲まれた所ですので、適当に歩いて行くと知らず知らずのうちに登山になってしまい、手ぶらで遭難してしまうなんてことにもなりかねませんので、やはりある程度はルートを考えてから歩く必要があります。
またあくまでも「散歩」という気軽さを良しとする姿勢で臨みますので、あまりアップダウンの激しくないルートを取りたいところです。
となりますと、取れるコースは川沿いの道となります。
水は通常下れども昇ったりしませんので、うまいこと山間の平坦地を探して流れて・・・いや、そもそも川が平坦地を作り出したのかな?
まあ地形の成り立ちはどうでもいいのですが、とにかく川沿いの道、それもできれば遊歩道などを歩いて行きますってえと、耳には水音が心地良く聞こえ、目にはさまざまな野鳥や水鳥が映り、鼻にはどこかの家で作るカレーの匂いが・・・
おっ、と・・・川は流れているけどまだ周りは住宅地だった・・・
そんな住宅地に囲まれたような川でしたが、通りすがりにちらっと見てみましたら、水の中になにやら動く影がありました。
あっ、鯉だ。
鯉は色鮮やかな錦鯉ではなく地味な黒い鯉でしたが、川の淀みの深くなったところに数匹がいるようでした。
それにしてもよくまあ太っていること。なんたってこいつらいいパン食べてるからなあ・・・
そうなのです。その川の鯉はいいパンを食べているのです。
あれはそう、今からちょうど4年前のことでした。
その川の近くに住む幼馴染のあーちゃんが、自宅の離れを壊すことになったというので、その前に価値のありそうなものを部屋から運び出そうと、掃除を手伝いに行ったことがありました。
まあその話は以前このメルマガにも書いたのですが、お読みになっていない方のために、また「忘れてしまった」という方のために、今回特別に巻末に再録致しましたので、よかったらずずずいっと下へスクロールして頂きまして、お読み頂ければと思います。
***** 再録部分確認のため小休憩 *****
ということで、その日はお昼少し前にあーちゃんの家に着いたのですが、まずは掃除の前に腹ごしらえをしようと、あーちゃんのおごりで近くのラーメン屋に行きました。
で、問題はその帰りだったのですが、ラーメン屋を出るとあーちゃんは、
「ちょっとコンビニに寄って行っていい? パンを買おうと思うんだ」
と言うのです。
私は、ああ、これから肉体労働が始まるので、3時のおやつ用にパンを買うのだな、となんの疑いもなく思いました。
コンビニに入ると案の定あーちゃんが、
「まっちゃん(私のことです)、どのパンがいいかな?」
と聞いて来ました。
私はおやつ用に食べるなら絶対にこれ!というくらい大好きな、甘いクリームの挟まったコッペパンを指差し、あーちゃんはそれをレジに持って行き買ってくれたのです。私はラーメンもご馳走になり、さらにおやつのパンまで買ってもらって、実に満ち足りた気分になったのでした。
さて、私たちはあーちゃんちに戻るべく歩きだしたのですが、川沿いに出たところであーちゃんが立ち止まり、川面を眺めながら「ここには鯉がいるんだ」と言いました。私もあーちゃんの横に並んで川を覗いて見ましたら、なるほど、大きな鯉が何匹も泳いでいます。
するとあーちゃんは、コンビニの袋からパンを取り出し、「おれ、いつもここで鯉にパンをあげてるんだ」と言いながら、私のコッペパンを勝手に出して小さくちぎると、川面に投げ入れ始めたではありませんか!
ああっ、私のコッペパンが・・・甘いクリームのついたコッペパンが・・・
その時になって初めて、そのコッペパンは私の3時のおやつ用に買ってくれたのではなく、鯉にあげるためのものだったということがわかったのです。
だったらなぜ、あの時私にパンを選ばせたの?
あたしの勘違いと言えばそれまでだけど・・・あんまりといえばあんまりじゃない!
と、しばしあっけに取られ、パンを投げるあーちゃんの手元をただただ見つめるだけの私でしたが、そうこうしているうちにもパンはどんどん小さくなって行きます。
ああ、あああああ、パンがなくなって行くぅ~
それでも私はどうしていいかわからず、石のようにたたずんでいました。
なにしろ事が食べ物のことで、しかもそれがコッペパンというたいして高くもない食品であればなおさら、なんだか言い出しづらかったのです。
しかしこのままではパンは全部鯉に食べられてしまいます。
そこで私は意を決して、
「あのさあ、おれにもパンちょうだい」
と言ったのです。
するとあーちゃんはこともなげに「いいよ」と言って、持ってたパンを半分に割って私にくれました。
私は手渡されたパンの、甘いクリームのしみ込んだ切り口を眺めながら、ああ、よかった・・・と思ったのですが、それとほぼ同時に、なにやら違和感を覚えたのです。
それは、もしかしたらあーちゃんは、私も鯉にパンをあげたいと思っていると思ったのではないのか?ということでした。
いえ、きっとそう思ったに違いないのです。考えてみればその方が今の状況にしっくり来ます。友達が鯉にパンをあげているのを見て、自分もあげたくなった・・・うん、実に自然です。
そこで私はなるべくクリームのついていない部分をできるだけ小さくちぎって、川面にポトリと落としました。
鯉はそれを大きな口で、んぱっんぱっと当たり前のように食べました。
ああ、あのやろう・・・なんにも知らずに食べやがって・・・
私はパンを手に入れたものの、このままではそれを自分で食べることができないという、実にもどかしい状況に追い込まれてしまったのです。
これなら最初からパンなんてなかった方がよかったなあ!
と、とにかくもう一度、もう一度あーちゃんにちゃんと言わなきゃ・・・
しばらくの逡巡の後、ついに思い切って、
「あのさあ・・・このパンさあ・・・おれも食べていい?」
と私が言うと、あーちゃんは一瞬驚いたような眼を私に向けましたが、すぐに気を取り直して、
「あ、ああ、いいよ」
と言ったのでした。
こうして私は甘いクリームのついたコッペパンを、その場でむさぼるように食べることができたのですが、それは大きさから言えば3分の1ほどであり、つまり残りの(というか、私の方が鯉の残りをもらったのですが)3分の2は鯉が食べたということで、それは私の倍の量じゃんか!
うぬぬぬぬ・・・鯉のやろう・・・なにゆえの所業じゃ・・・
もしかして、高校生の時に小田原城のお堀の鯉にツバを垂らして食べさせたからか?
ということがあってから、私はその川の鯉を敵視するようになり、いつか激辛カレーパンでも投げ入れてやろうかと本気で思っているのであります。
今日は手ぶらだから勘弁してやるが、覚えとけよ! なろー!
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
といったところで今回のメルマガはこれにておしまいです。
それでは来週まで、
ごきげんよう!
***** 再録「あーちゃんのお宝救出大作戦」 *****
先日、古くからの友人あーちゃん(仮名)がうちに来たとき、世間話の合間に「おれの部屋、今度壊すことになったんだ」と言いました。
あーちゃんの言う「おれの部屋」というのは、あーちゃんちの母屋の横に立っている古い木造の離れのことです。その家の二階にあーちゃんの部屋があるのです。
もちろん壊すのはその小さな二階家全部であり、なにもわざわざあーちゃんの部屋だけを壊すわけではありません。
あーちゃんはかつてそこに長い間住んでいて、今でも二階の部屋にはあーちゃんの私物がそのまま残されていて、いわばその小さな家全体があーちゃんそのものといった存在でもありましたので、それを聞いた私は少々驚いてしまいました。
しかし本当に私を驚かせたのは、その部屋をその状態にしたまま壊してしまうという事実でした。しかも壊すのは、その話を聞いたわずか二日後だというではありませんか。
「ちゃんと部屋の中、見直したのか?」
「いや、ぜんぜん。 部屋に入ってもいないよ」
「うそだろ! 何か持ち出すものはないのかよ?」
「いいんだよ。もうあのまま全部なくなっちゃっていいの」
驚いて問う私に、あーちゃんは何の未練もないかのように簡単に答えました。
しかし私にはそんなことは信じられません。
なにしろその部屋は彼が中学生の頃から何年か前まで使っていた部屋なのです。何か大切なものがひとつやふたつ、いえ、15個くらいはあるはずです。
「よし、明日おれが行ってやる」
私は決心して言いました。
「えっ! い、いいよ、やめてくれよ! 来なくていいよ、来んなよ!」
あーちゃんは妙にかたくなに拒みます。
いったい何が彼の心をそこまでかたくなにしているのでしょう・・・
あっ!
その時私の脳裏に、別の友人とくちゃん(仮名)の言葉がよみがえりました。
「あーちゃんの部屋すげえんだぜ。ゴミがベッドの高さまで積もってて入れねえの」
そうか・・・それであーちゃん、あきらめちゃったんだ。
ゴミの話はとくちゃんの大げさな表現だろうけど、でも相当散らかってるだろうからなあ。
ホントは残しておきたいものもあるんだけど、今さら探すのも面倒なので、それであきらめちゃったんだ。かわいそうに。
「やっぱ、おれ明日行ってやるから」
「いいよお! あのまんま壊させてよお!」
「いいからいいから。おれに任せなさい」
翌日は仕事が休みだったので、お昼少し前にあーちゃんちに行きました。
母屋から出てきたあーちゃんは、軍手を用意していてくれました。
そしてこの急報に触れ駆けつけたとくちゃんは、みんなの分のマスクを用意して来てくれました。
軍手やマスクが必要なくらいすごい状況なのか・・・
本来の入口である木製のドアはすでに開かなくなっているのか、あーちゃんは一階の部屋のはきだし窓に私たちを案内しました。
窓のガラスの一部は割れていて、もう鍵もかけていないようです。
そんな窓とカーテンをあーちゃんが開け放つと、部屋の中が見えました。
部屋の中にはいろいろなものが雑然と置かれていますが、特に目を引いたのは、お中元かお歳暮でもらったような品々です。
いやあ、これはゴミの山どころか宝の山じゃあないですかあ。
私はそんなギフトのひとつを手に取り開けて見ました。
横長の箱の中央には四角い缶に入った花カツオと化学調味料が鎮座し、その両脇にはペットボトル入りの醤油が収まっています。
おお、これは「もらって困らないギフト」の見本のようなものじゃあないですかあ。
こんなものを回収しないまま家を取り壊そうとするなんて、バチ当たりもいいとこです。
しかしここで気になるのは賞味期限です。
見ればその醤油のラベルには「製造日から6ヵ月」とあります。
まあ使うのは6ヵ月以内がベストでしょうが、多少拡大解釈すれば1年以内に作られたものならぜんぜんまったく支障なく使えるのではないでしょうか。
ただ困るのは1年半とか2年くらい前の製造だった場合です。
これは判断に迷うところです。あなたならどうします?
と、そんなことを考えながら醤油の製造年月日の刻印を探すと・・・
あっ、ありました。
平成8年・・・
ここまで時を経ていると、もう残念とか思わなくて済むので実に楽です。
あー、考えてみたら、なにも私たちは醤油や花カツオをもらおうとか、そういうセコイ了見で来ているのではありませんでした。
本題は「あーちゃんの部屋から思い出の品々を救出する」ことなのです。
よし!
こんなご贈答セットなどにかまわず、さっさと家に入り、さらに二階に上がって作業を開始しましょう!
私たちは靴のまま家に入り込み、ぎしぎしと音をさせながら階段を上がって行きました。
階段を上がった二階には短い廊下が続き、その右側に六畳間が二部屋あるのですが、あーちゃんの部屋は手前のものです。しかも部屋の入口のふすまは開け放たれたままになっておりましたので、私たちは階段を上り切ってすぐその光景を目にすることになりました。
入口から覗いた部屋は、なんとそのほぼ全部がベッドで占められていました。
なんとまあ大きなキングサイズのベッドを入れたもんだなあ、と思ってよくよく見ますと、どうも様子がおかしいのです。
ベッドの左半分はほぼ平らなのですが、残りの部分はごつごつと凹凸があるのです。
さらに目を凝らしてよおーく見て見ましたら、なんと!凹凸の部分はベッドの高さにまで堆積したゴミだったのです!
ああっ・・・とくちゃんの言ってたことは本当だったんだ・・・
あまりの惨状に放心状態となり、その場に立ち尽くしてしまった私を正気づかせたのは、背後からのとくちゃんのうれしそうな声でした。
「なっ!おれの言った通りだろ!」
「あ、ああ、本当だ。 本当にこんな部屋がこの世に存在したんだ・・・」
あまりの散らかりようにどこから手をつけたらいいのか迷いましたが、こうしている間にも取り壊しの期日が刻一刻と迫っているのです。
もうここまで来たらやるっきゃない!
私たちは部屋に踏み込み、とくちゃんは手前から、私は奥からと手分けして発掘作業に取り掛かりました。(あーちゃんはこの作業に消極的なので、監督的立場で見ていました)
ゴミの山のほとんどは雑誌でした。
しかし雑誌と雑誌の間を埋めるようにして、紙クズやコンビニ袋、空缶空ビン、脱いだ靴下、タバコの吸殻などが埋まっており、確かに軍手とマスクがないと危険な状態です。
ただ不幸中の幸いだったのは、そのゴミもまた長い年月により風化が進んでいて、弁当のゴミはすでに悪臭を放つことをやめ、ビンの中の飲み残したジュースはその色素を底部に残すのみで滴り落ちることもなく、割合無事に作業が進められることでした。
私たちはせっせとそれらを取り除きめくり上げ、緑のカーペットが見えるまで掘り起こしては埋め戻すという作業を繰り返して行きました。
するととくちゃんが、
「あっ! おれの写真だ・・・」
見れば学生時代にみんなで京都に行ったときのスナップ写真じゃないですか。
どうやらこともあろうにとくちゃんの写っている写真が、ゴミの下敷きになっていたようです。
「おいおい・・・あーちゃんひでえよなあ~。このまま家壊すつもりだったんだもんなあ~」
さらに発掘を続けていると、今度は私が写っている写真が出て来ました。
写真があったのはゴミの下なのは言うまでもありませんが、そもそも私たちの写真がゴミに埋まってしまった前提には、写真が床に落ちていたという事実があるわけで、思い出の写真に対してそのような管理をしていたということ自体が理解に苦しむのであります。
そんな写真発掘現場を集中的に掘り起こしてみましたら、出るわ出るわ、その京都旅行のシリーズはもちろんのこと、あーちゃん本人の若い頃の写真などもたくさん出て来ました。まったく本当にこのまま壊してしまって後悔しなかったのでしょうか?
再びふた手に分かれて作業を開始し、私は秘密の匂いのぷんぷんする押入れの部分へと捜査の手を伸ばしました。
そこも主に雑誌で占領されていましたが、雑誌に混ざってレポート用紙や原稿用紙、便箋なども徐々に発掘され始め、「コレハナニカアルナ」という予感が益々強くして来たのであります。
そんな便箋の束を、はらはらと慎重にめくり上げて行きますと、はたして文字が書き込まれた紙が一枚発見されました。
さっそく私はそれを声に出して読んでみました。
「今晩は。今日こんな手紙でごめんよ・・・」
それまで私たちの掘り出した「お宝」を手にして眺めては、それにまつわる思い出話などを勝手にしゃべっていたあーちゃんは、私の読み上げた言葉にするどく反応し、顔を耳まで真っ赤にするや私の手からそいつを奪い取るとくしゃくしゃに丸めてズボンのポケットに入れてしまいました。
なるほど、こういう思い出を家とともに葬りたかったわけか・・・
しかしその後も、若き日のあーちゃんの心境を吐露した書き込みや、あーちゃんが彼女からもらった別れの手紙などが発掘され、とても有意義な発掘作業となったのであります。
夕刻、暗くなりかけた庭にお宝の数々を持ち出しました。
そしてそんなお宝の中でも一番分かりやすい本物のお宝、つまりは床のあちこちから回収された小銭を集計してみました。
すると・・・
なんとその金額は2万7千円にも達したのであります!
こうして無事にあーちゃんの部屋の最終チェックは終わり、回収されたお金は次回の飲み会の費用となり、発掘された手紙は次回の飲み会のネタになり、そしてなにより今回の一連の作業はこのメルマガのネタとして、こうして全国のみなさんにご報告してしまうのであります。
ちなみに、最近はゴミの分別が厳しくなっているため、家の解体作業に先立って作業者の方々による内部の点検、分別作業が行われたとのことなので、どっちみち「こんな手紙でごめんよ」などという文章は白日の下にさらされる運命だったのです。
そんなあーちゃんのほろ苦い青春を包み込んだ六畳間は、すでにこの世にはありません。
これでまたひとつ、昭和という時代が終わったのであります。
おしまい。