その後いかがお過ごしでしょうか。
7月です。
早いもので今年ももう半分が過ぎてしまったわけです。
しかも私なんかその間3か月もインドに行っていましたので、余計に早く感じます。
それにインドはもう夏でしたから、私は早くもずいぶん日に焼けましたし、また海で泳いだりなんかもしたものですから背中の皮も一度むけたりと、すっかり季節先取りで帰国し、うっかりするといったい今がどの季節なんだかよくわからなくなってしまうのです。
なのであえてここで季節感あふれるお話なんか書いて、自分に今がどういう季節なのかを把握させようと思います。
えー、七夕ですね、たなばた。
七夕の思い出と言いますと、子どもの頃にとなり街の七夕祭りに連れて行ってもらったことがやはり一番の思い出です。
その街では当時から商店街を中心にかなり盛大な七夕祭りが開催されておりまして、通りの両側には太い竹ざおにきれいな飾り付けがされ、沿道にはずらぁ~と露店が並び、見世物小屋なんかもあったりして、それはもう子どもには夢かうつつかマボロシかのような、実に現実離れした世界に見えたものでした。
そんな七夕祭りには何度か行ったのですが、なぜか一番印象に残っているのが父親と二人だけで行った時のことです。
だいたい父親というのは母親に比べて子どもとの距離が遠いといいましょうか、親子でも若干変な遠慮みたいなものがあるのか、普段家族の中では普通に話していても、二人きりになるとなんだかちょっと気を遣ってしまうことがあります。
その日は雨降りの日曜日でしたが、父と私はバスに乗ってとなり街まで行きました。
雨降りとはいえ、七夕祭りをやっている街に向かうバスは混んでいて座れませんでした。おまけに街が近づいて来ると道が混み始め、バスはのろのろ運転になってしまいました。
たくさんの大人たちに埋もれるようにして立っていた私は外の景色も見えず、湿気と暑さと遅々として進まない状況に気持ちが悪くなってしまい、目的地にはまだ遠かったのですがバスを降りることになりました。
私はバスを降りて外の空気を吸うとすぐに気分がよくなったのですが、途中でバスを降りてしまった手前しばらくは気分の悪そうなふりをしていることにしました。そのあたりが変な遠慮なのかもしれません。
父親の方でもそんな私を気遣っているようで、しきりに「大丈夫か?歩けるか?」と聞いて来るのですが、私にしてみれば気持ちの悪いのなんかとっくに治っていますので、そんな気遣いをされるとその都度気分の悪い演技をしなければならないので逆に迷惑なのです。
そんな感じでお互いに少々遠慮をしながら歩き、ようやく祭りの会場にたどり着いたのですが、はっきり言ってその時の飾り付けや露店のことはなにも覚えていません。ただなんとなく七夕飾りの下を歩き、露店を見て回ったような記憶はあるのですが、最終的には普通の本屋で少年キングを買ってもらい、祭りの会場から少し離れたラーメン屋でラーメンを食べ、またバスに乗って早々に家に帰って来てしまったのでした。家に着くと母親が「あれ?もう帰って来たの?」と言ったくらい早かったのです。
でもなぜかその日のことは深く印象に残っています。
それはその日がちょっと陰気にうす暗い雨降りの日だったということと、父子のちょっとぎこちなくも物悲しい関係と、買ってもらった少年キングに載っていた大迫力挿絵付きの怪談が実に恐ろしかったことが妙にマッチして、私の記憶のひだにこびりついているのかもしれません。
ちなみにその怪談はこのようなものでした。
*この先はいわゆる「ネタバレ」になりますので、知りたくない方は飛ば して下さい。
橋のたもとに夫婦ものが営む小さな酒屋がありまして、そこに毎晩ひとりのじいさんがやって参ります。
そのじいさん金はないが無類の酒好き、少しでも多く飲んだ気分を味わおうと、いつも一合の酒を半分ずつ注いでもらってはうまそうに飲み、そして「もう半分」と言ってはまたうまそうに飲むといった繰り返し。
そんなある日、いつものように「もう半分」を繰り返したじいさんは風呂敷包みを忘れて帰ってしまいます。その包みに気付いた酒屋の夫婦は、どうせ明日も来るだろうからと、預かるつもりで包みを持ってみますってえとこれがやけに重い。なんだろうと思って中身をあらためますと、包みの中からは小判がひいふうみい・・・なんと五十両もの大金が出て参りました。
人間の欲というのは実におそろしいものでございます。それまでこつこつまじめに働いて来た夫婦ものの心にすぅ~と魔てえものが差し込みましてそいつをねこばばしてしまいます。
やがて忘れものに気付いたじいさんが慌てて店に舞い戻って来たのですが、すでに大金を自分たちのものにしてしまった夫婦は、何を言われても知らぬ存ぜぬの一点張り。仕舞には、あれは娘が身売りをしてこしらえた金だからなんとしても返して欲しいと、泣いてすがるじいさんを棒で打ちすえ追い返してしまいます。
店から追い出されたじいさんはもはやこれまでと、欲に憑かれた夫婦を呪いつつ川に身を投げてしまうのでございます。
それから数年が経ち、そのお金を元手に夫婦ものは以前より大きな店を持ちます。やがて念願の子宝にも恵まれたのですが、産まれて来た赤ん坊はやせ細ってしわだらけで、まるであのじいさんにそっくり。それを見た女房は気がふれて死んでしまいます。
残された亭主は母親代わりに乳母を雇いますが、これがなぜかみなすぐにやめていってしまいます。
ついには気丈な乳母を雇うのですが、この乳母もやめたいと言い出す始末。
そこで亭主がその訳を尋ねると、自分の口からはとても言えないので、自分の目で確かめて欲しいと言うのです。
そこでその晩、亭主は乳母と赤ん坊が寝ている隣の部屋で息をひそめ、ふすまの隙間から中の様子を窺っておりますと、はたして丑三つ時、それまで寝ていた赤ん坊がすっと立ち上がるや行燈に近づき、行燈の油を湯呑に移してそいつをうまそうに飲み始めたではありませんか。
あまりの光景に亭主は声も出ずに震えるばかり。
やがて赤ん坊はうまそうに油を飲み干すと、やおら亭主を振り返り、
「もう半分」
と言って湯呑を差し出したのでありました。きゃーっ!きゃーっ!
おなじみの「もう半分」という落語でございました。
おあとがよろしいようで。
とまあ、今から思えば有名な落語のひとつだったのですが、その時の私はこの話を初めて読んだのでありまして、さらにそこに添えられていた挿絵の赤ん坊の顔が怖いのなんのってあーた、とてもじゃないけど夜ひとりで少年キングのページを開けませんでしたよ。同じ部屋にあるってだけでも怖かったです、はい。
しかしまあ考えようによっては、たまたまその時買ってもらったマンガ本にその話が載っていたからこそ、この父子で行った雨の七夕祭りの思い出がより深く心に残ったとも言えるわけで、もしかしたら恐怖というのは人間の記憶力を高める役割をするのかもしれません。
なので教科書や参考書にものすごく恐ろしい挿絵を載せたらいいのではないでしょうか。
題して「トラウマ暗記法」
でもそんな参考書で夜一人で勉強すると怖いでしょうね。
あー、クロマニョン人の顔が怖くてもうこれ以上勉強したくないよお~
今日はもうこのページでやめちゃおうかなあ~
するってえとクロマニョン人がこちらを振り向いて、
「もう半分」
今度は本当におあとがよろしいようで。
ててんてんてんてん・・・・
といったところで今回のメルマガはおしましです。
それではみなさん次回まで、
ごきげんよう!