暦の上では・・・
実りの秋、米の国からライスも到着してご飯のおいしい季節となりました。
さて、ご飯とライスの違いは茶碗に盛るかお皿に盛るかの違いなのですが、中にはお皿とも茶碗とも呼べない容器に盛ることもあります。
では、実際ご飯とライスの境はどこにあるのでしょうか。
実は私は長年この問題に取り組んで来たのですが、この度ついにその答えが出ましたので、学会に発表する前にこのメルマガで発表してしまうのであります。
その違いを明確にするヒントは「湾」というものの定義にありました。
湾というのはご存知の通り陸地に入り込んだ海ですが、国際海洋法なるものによりますと「湾口の幅に比べ奥行きが十分に深く、湾口に引いた直線を直径とする半円の面積よりも湾入部の水域が広いもの」とされています。
まあ簡単に言ってしまえば、湾の入口の幅より奥行があるものを「湾」とするのであります。
これです! これなのです!
これはまさしくご飯とライスの関係にも言えることなのです。
この定義をご飯に当てはめますと、「盛り付け高さが、その盛り付け投影面積の直径(または対角線)より高いものを『ご飯』と呼び、低いものを『ライス』という」となるのです。
「投影面積」というのは、盛り付けたご飯を上から見たときの大きさです。
つまり一番広がった部分のことを指しますが、その直径より低く盛り付けられたものは「ライス」となり、それより高いとご飯になるわけです。
ねっ、茶碗とお皿の構造の違いに近い回答となったでしょう。
しかしこれだけでは完璧ではありません。
なぜなら、この定義だけでは平たいお弁当箱などに詰められたものは「ライス」になってしまうからです。
そこでこの定義には次の追記がされました。
盛り付け高さが、盛り付け投影面積の直径(または対角線)の長さを超えない場合においても、次の事項に当てはまるものは『ご飯』とする。
1、盛り付け方がなだらかでなく、その外周が著しく切り立っている場合
2、和風の味付けがされている場合(松茸ご飯、海苔弁当など)
3、容器の形状によらず、独立して成型されたるもの。ただしこの場合はライスと呼ばない代わりにご飯とも呼ばず、酢飯においては「シャリ」と呼び、それ以外のものは「メシ」と呼ぶ。
とまあ、お米を取り巻く状況にもなかなか難しいものがあるわけですが、世界情勢はさらに難しく、アメリカのライス国務長官が忙しくアジア諸国を訪問し、マツタケとウニの輸入再開に尽力しているわけです。
はたして今年はマツタケご飯が食べられるのか、はたまた昨年同様、いえ、ここ数年同様口に入れることができないのか、じゃあ食べられなくてもいつも通りなので関係ないじゃん、そうだそうだ、禁輸物資で困るのはアサリくらいのものだった、ああ、せめて新米で炊いたアサリご飯食べたいなあなのであります。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
そんなわけで秋の味覚の王様マツタケは、隣家からのもらい物でもない限り庶民の口にはなかなか入らないので、サンマでも食べて秋を満喫しようとするわけです。
私はサンマの内臓のところが好きなので、あそこを真っ先に食べるのですが、よーく選別しながら食べないとウロコの塊が口に入って嫌な思いをします。
しかしあのウロコの塊って何なのでしょう?
なぜ腹の中にウロコの塊が入っているのでしょうか?
*注:上の「ウロコ」は「鱗」のことで、ウンコの「ン」の字を四角で伏字にしたものではありません。
で、ネットで調べてみました。
そしたら、ちゃんとありましたねえ、その答えが。
それによりますと、大量のサンマを網で捕獲する際に、暴れて外れたウロコを飲み込んでしまうためとありました。
なるほどねえ~
この回答に触れ、まさしく目からウロコが落ちる思いがしました。
それにしてもサンマは、実にきれいにお腹の中のウロコを整理しているものです。見たことある人は分かると思いますが、まるで本棚に本をきちんと揃えるがごとく、びっしりと積み重なるように固めて収納しています。
なので私は初めてそのカタマリを見たとき、「あっ、サンマってウロコをお腹の中で作って、順番に皮膚に生やしていくのか」と思ったくらいです。
ということで、サンマがウロコを飲み込まないようにして捕獲すれば、めでたく内臓をまるごとバクバク食べられるというわけなのです。
しかしそれにはどうしたらいいのでしょう。
そりゃあ一匹ずつ捕まえればいいのでしょうが、それではコストがかかり過ぎてサンマが高級魚になってしまいます。実に難しい問題です。
ご飯とライスの違いを解明した私の取り組むべき次の課題は、この問題になりそうです。
そしてこの難問を解決した暁には、またこの場をお借りいたしましてみなさまに発表させて頂きます。
サンマ内臓愛好家のひとりと致しましても、一日も早い無選別内臓の実現に尽力する所存なのであります。
それでは、今回はこの辺で失礼致します。
また来週!