ガンディー大学に通うK氏は「ジュナーガルに行くならナルシン・メヘタですよ」と言った。
アーマダバードでガンディー大学(正式名は Gujarat Vidyapith )を案内してくれたK氏は、私がジュナーガルにも行く予定だと知るとそう言って、マハーバト・マクバラーのすぐそばですからと付け加えてくれた。
ナルシン・メヘタは15世紀に実在したグジャラートの宗教詩人で、グジャラートのタラージャ( Talaja )で生まれ、その後ジュナーガルに移り住んでいた。
かのマハトマ・ガンディーも、ナルシン・メヘタの詩にメロディーをつけた「 Vaishnav Jan To 」という詩( bhajan )が大のお気に入りで、塩の行進の際にも歌われたという。
つまりはガンディーつながりということで、せっかくジュナーガルに来たのだから行ってみようと思ったのである。
まずはその「起点」となるマハーバト・マクバラーに向かう。
マハーバト・マクバラーは、かつての太守マハーバト・ハーン3世の廟である。
ここは三年前にも来ているが、その時は午後だったため逆光気味の写真しか撮れなかったので、もう一度午前中に来てみようと思っていたのでちょうどいい。
マハーバト・マクバラーのすぐ隣にはヴァジールズ・マクバラーという廟もあり、そちらはらせん階段が絡みつく二本のミナレットが大変印象的で、どちらかと言えばそっちの方が観光客受けしそうである。
しかし今回はこちらはあくまでも「ついで」であり、目標は「ナルシン・メヘタ」なのだ。
さて、K氏は「マハーバト・マクバラーのすぐそば」と言っていたが・・・
と、その言葉を額面通りに受け取って、マハーバト・マクバラーの前でキョロキョロ周りを見渡せば、道の反対側になにやら存在感のある建物があった。
うん、あれに違いない。
その建物の前のベンチにのんびり座っているおっさんたちに、これはナルシン・メヘタか?(ナルシン・メヘタは建物のことではないが)と確認したら、なんと「違う」という答えが返った来た。
じゃあいったいナルシン・メヘタはどこなのさ?と問えば、ずっと向う、刑務所の通りを右に行けとのこと。
ん?ナルシン・メヘタはマハーバト・マクバラーのすぐそばではないのか?
しばらく歩くと、なるほど刑務所らしき高い塀が見えて来た。
ふむふむ、ここを右に行くのか。
しかし刑務所の前の通りをナルシン・メヘタを求めて歩くのだが、やっぱりそれらしきものが見当たらない。
そこでもう一度人に尋ねると、そこの路地を入って真っ直ぐだとのこと。
ずいぶん遠いのねえ。
道は工事中であったが、そのわきをすり抜けてさらに路地を奥に入って行く。
なんだかだんだん心細くなって来て、もうナルシン・メヘタはどうでもいいやと半ばあきらめかけたとき、ひょいっと広い道路に出て、目の前にいかにも「ナルシン・メヘタ!」といった感じの建物が現れた。
念のため近くの人に、これはナルシン・メヘタですか?(だからナルシン・メヘタは建物じゃないんだけどね)と聞けば、そうだとのこと。
到着してみればそんなにたいした距離ではなかったのかもしれないが、本当にマハーバト・マクバラーのすぐ近くだと思い込んでいたのでものすごく遠く感じた。
とまあなんとかナルシン・メヘタに到着したのだが、実はここがナルシン・メヘタの何なのかがわからない。
見たところ寺院のようであり、ナルシン・メヘタの博物館や記念館とかではないようだ。
その証拠にハヌマーンらしきものを祀った祠がある。
ナルシン・メヘタは実在の人物だったが、やがて神格化され寺院に祀られることになったのだろうか。
たくさんの鳩がエサをついばんでいる丸い柵の反対側にも祠があった。
それにしても入り口のシャッターが閉めてあるのはわかるが、手前のナンディ像にも鉄の檻がかぶせてあるのはなぜだろう。
こうしないと誰かに持ち去られる恐れがあるのだろうか?
それとも夜な夜なナンディが歩き回ってしまうのだろうか?
たいして広くない境内なので、あっという間に一回りしてしまい、ベンチに腰掛けしばし休憩する。
目の前では近所の人らしいおばさんやおじさんが、鳩やヤギにエサをあげている。
そして時折インド人の団体が入って来て、メインの建物に入って行ったりするが、それもすぐに帰って行ってしまう。
結局ナルシン・メヘタはよくわからなかったが、その神秘性がまたいいのでないのかと、自分を納得させナルシン・メヘタをあとにしたのであった。
*帰国後いろいろ調べてみたら、どうやらメインの建物の中にナルシン・メヘタに関する展示物があったようである。私にはただのヒンドゥー寺院にしか見えなかったので、異教徒であるので入場を控えてしまった。
*情報はすべて2016年11月時点のものです。
[dfads params=’groups=39&limit=1′]