アーマダバード駅まで行ったので、すぐ近くにあるシディ・バシール・モスクに行ってみました。
駅前の大通りを左方向に少し行き、路地を左折するとすぐにそのモスクのシンボルである二本のミナレット(尖塔)の先っちょが見えて来ました。駅から歩いてほんの10分といったところの駅近物件なのです。このモスクは結構知られた存在なのですが、民家が建ち並ぶ下町のようなところに埋もれるようにして建っておりまして、このミナレットがなければちょっとたどり着けないのではないかと思うほどわかりづらいところにあります。
実は私はここに来るのは二度目なのですが、前回訪れた2001年はグジャラートの大地震のすぐ後だったため、このミナレットも修復中でありまして、私はモスクの中にも入らずに帰って来てしまっていたのです。
なので今回は再チャレンジといったところで、修復工事用の足場のないミナレットの全容と、できればモスクの内部も見たいなあということでの再訪なのであります。
そんな私の目の前に、ついに二本のミナレットはその雄姿を現してくれました。
おお、これがその全貌か・・・とまあ、私は9年かけてようやく完全な姿のミナレットを見ることができたわけであります。
ちなみにこのモスクは狭い路地の奥にありますので、このミナレットの全貌を一枚の写真に収めるためには28mmくらいの広角レンズ(35mmフィルムカメラ換算)が必要です。
ミナレットに近づいてよく見ると、その表面にはきれいな彫刻が施されているのがよくわかり、よくぞここまできれいに修復してくれたものだと(震災後の被害状態はよく知らないのですが)、イスラム教徒でもない私ではありますが思わず感謝の念を抱かずにはいられませんでした。しかしこの時このモスクはひと気がなくひっそりと静まり返っていて、なんとも寂しいのです。
前回来た時は修復にあたる人がたくさんいたこともありますので、その対比で余計に寂しく感じるのかもしれませんが、やはりここはひとつ誰かに「よく来たよく来た。さあ入れ入れ」と言ってもらわないと、こういう宗教施設は特に入りづらいのです。
それでもせっかく来たのだからと、入口で靴を脱ぎ裸足になって恐る恐るモスクの中に入って行きました。入口に建つミナレットの豪華さに比べ、内部は意外なほど小ぢんまりとしていて、老人がただひとり静かに礼拝をしておりました。
その様子を後ろで静かに見守っておりましたら、礼拝の済んだ老人がこちらに気付き、なにやら手招きをしながらモスクの入口の壁に移動して行きました。
なんだろうと思いながらとりあえず老人のそばまで行き、老人の指さす所を見てみましたら、そこには英語で書かれたこのモスクの説明看板が掛けてありました。
なるほど、おそらく老人は英語が話せず、それでもこのモスクに来た外国人に、このモスクのことを少しでも教えてあげようとしてくれたのです。まあ私もあまり英語が得意ではないのですが、やはりここは老人の親切を無にしてはいけませんので、その英語の看板をしばらく眺めては、わかったように二、三度うなずいたりしたのであります。
最後に老人に手振りで礼を言い(たぶんわかってくれたと思います)、記念に老人の写真を撮ろうとカメラを指さしたのですが、老人は手でさえぎるような仕草をし、ゆっくりと首を左右に振ったのでありました。
思えばこのモスクでは結局誰とも話をしなかったことになり、静かな静かな見学と相成ったのでありますが、でもまあきっとこの静けさがこのモスクの本来の姿なのだろうなあと思った次第なのであります。
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