〔当時のメモより〕 *金額に関しては当時Rs.1が約2.7円、3倍にして1割引けば簡単に計算できます。 7/16(月) バラナシ うす曇り 気温29℃ 5時前にはもう目を覚まし、寝たまま窓から外をうかがったり、またウトウトしたりしていた。 午前中は荷物をまとめ、バルコニーから河をながめたり、家屋の上で遊びまわるサルを見て過ごす。サルはとてもいたずらで、特に子ザルなどは屋上の洗濯物を二匹がかりで引きずり下ろしたりしている。 11:30 チェックアウト 1,050ルピー うろ覚えの道でなんとか郵便局にたどり着く。 チキンオニオンスープ Rs.30 注文 11:50 スープが出て来ず催促する。注文もれらしくこれから作る模様。早くするように言うと10分程で持って来た。やればできるのだ。 ゴードウリヤー交差点まで行き、リキシャの客引きに連れられて行くと、サイクルリキシャであった。 列車はすでに入線しており、自分の車両を見つけて乗り込む。 定刻に出発。 4人用の下段二つを確保できた今回だが、周りはなんだか胡散臭そうな人が多い。 |
【以下の解説は2010年2月17日のものです】
ガンジス河を一望できる部屋で迎えた朝でしたが、残念ながら朝日を拝むことはできませんでした。水量の多さからも、ここはどうも雨季に来るところではなさそうです。
今日は早くもバラナシを発ち、いよいよこの旅のゴールとなるデリーに向かいます。
荷づくりも早々に済ませ、チェックアウトの時間まで外の景色を眺めて過ごしました。
ここは本当にサルの多い街で、ごちゃごちゃ建ち並んだ家の屋根づたいに何匹ものサルが移動して行くのが見えます。
すぐ近くの家の屋上では、二匹の子ザルが洗濯物のシーツに飛びつき、力を合わせてそいつを引きずり下ろしていました。子ザルにしてもそんなことしたって何の利益にもならないわけで、これはただ単に悪戯を楽しんでいるだけと思われ、やはりサルは知能が極めて高いのだなあと妙に納得したのであります。
ホテルをチェックアウトし、昼食を食べにいつものレストランに行きました。
結局バラナシではここ以外で食事をしておりません。しかもここはいつもがらんとして客などほとんどいないくせに、注文してから料理が出て来るまでに恐ろしく時間がかかるのです。簡単な料理なのに1時間くらい待たされるのです。
そんなレストランに今日もまた性懲りもなく入ってしまいました。まったく我ながら実にワンパターンであきれてしまいます。
今日は列車の時間が決まっているのであまり悠長に料理が出て来るのを待ってはいられないのですが、それでもまだ2時間はたっぷりありますので大丈夫でしょう。
と、たかをくくって料理を待つこと約1時間、ホント、わざと1時間経ってから出すように調整しているんじゃないかと思うほどの正確さで料理が出て来ました。
しかしです、頼んだはずのスープが出て来ません。聞いてみるとどうも注文が抜けていたようです。列車の出発時間が14時10分で、今はもう12時45分を回っております。駅までの移動を考えると、スープが出て来るのにもう1時間待つことなどできないわけです。
そこでちょっときつく、「いいか、早く作って持って来いよ!」と申し付けましたところ、なんとわずか10分でスープを持って来たではありませんか。
なんだよ・・・やればできるんだったら、普段からそのくらいのスピードでやれよ。客の回転率って言葉を知らないのか?まあここは回転しなくてもいつもがらがらだけどね。
たとえ10分とは言えいつもより余計に時間がかかってしまい、ゴードウリヤー交差点までやって来た時にはすでに時刻は13時20分になっており、列車の出発まで40分しかなくなってしまいました。
これは早いとこオートリキシャをつかまえて、少しくらい高いこと言われても乗ってしまおうと思っていると、ひとりのじいさんが近づいて来て「ワシのリキシャに乗らないか」と言うではありませんか。ラッキー!
私たちは渡りに舟とじいさんの後にくっついて行ったのですが、しばらく歩いてひょいっと路地を曲がったところで「これだ」とじいさんに示されたのは、なんとサイクルリキシャではありませんか。確かにじいさんは「リキシャ」と言っており、「オートリキシャ」とは言っていませんでしたのでウソでも詐欺でもないわけですが、今回ばかりはエンジン付きのやつで素早く駅まで行ってしまいたいわけです。するとじいさんは「なあに、駅までなら20分で行けるぞ」と胸を張るわけですよ。そこまで言われたら断る理由はないわけで、仕方なくMくんと二人狭い座席に乗り込んだのですが、なんせおおきなリュックもあるのでどうしても体が座席の幅より外に出てしまうのです。なのにじいさんは従来のサイクルリキシャの車幅感覚で、ごみごみした雑踏にぐいぐい入って行くものですから、すれ違う車や家の壁などに肘や膝が当たらないようにするのが大変でした。
駅までは25分かかりました。
まだ列車の出発時刻までは20分以上ありますので、余裕の到着と言ってもいいのかもしれませんが、途中でどんどんオートリキシャや若い車夫のサイクルリキシャに抜かされたりなんかしますと、実に不安でしかたありませんでした。
そんな私の心配をよそに、駅に着く直前になるとじいさんは自分の家族構成などを説明し、いかにその生活が苦しいかをとくとくと説き、最後に「何か日本のものをくれないか」と言うのです。私はこの旅の記録を取るためにハガキサイズのノートを6冊持って来ていたのですが、もう使わないであろう2冊をじいさんにくれてやりました。
しかしじいさんは本当はボールペンなどのより「工業製品」っぽいものが欲しかったようで、ノートにはちょっと不満そうな顔をしたのでありました。
ホームにはすでに乗車予定の列車が停車していました。
今回はまたエアコン付の二段寝台車ということもあり、特に混乱もなく席に着けたのですが、どうも周りのインド人たちがちょっと・・・といった感じなのです。
たとえば私の隣に座ったのは会社員風の若い男だったのですが、トイレに立った隙に向かいの席のシークのおっさんに自分の席に置いておいた雑誌を取られて読まれてしまったというのに、なにも文句を言わず、そのくせ悲しそうにシークのおっさんが雑誌を読む姿をじっと見つめていたりするのです。なぜ一言「返して下さい」って言わないのでしょうか。おっさんはシーク教徒なので、俗に言う「カースト」によるものとは違うと思うのですが、そこにはなにか私たち外国人にはわからない力関係が存在するのでしょうか。
確かにそのシークのおっさんは体も大きく腕っぷしも強そうで態度もでかく、ベッドを作って上段に上がってからもべちゃべちゃと大きな音を立てて食事をし、ぐぇ~っとひときわ長いゲップをしたかと思うと、間髪入れずにぶわっと大きな屁をこいたりしておりまして、いかにも社会的強者のフルマイといった感じなのであります。
そんなおっさんの姿に、斜め下のベッドから見ていた外国人の私も少々恐れおののき、少なくとも私がいじめの対象にならないことを祈り、おっさんが寝支度をするときに外したターバン型の帽子がベッドから転がり落ちた時などは、素早い動作でそいつを拾い上げ、にっこり笑って手渡したりしたのでありました。
なにしろこの旅最後の列車移動ですから、長いものにはターバンのようにぐるぐる巻かれ、少しでも快適に過ごしたいと思うわけです。
さっ、明日の朝はいよいよデリーです。いじめに遭う前に早いとこ寝てしまいましょう。
目をつぶり眠りにつこうとした私の耳に、斜め上方辺りから今度は豪快ないびきが聞こえて来ました。
しかしまあ・・・体中からいろんな音を出すおっさんだなあ・・・
つづく
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