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2001年7月1日:チェンナイまとめ書き / チェンナイ

         
  • 公開日:2001年7月1日
  • 最終更新日:2022年6月2日

インドな日々

2001/07/01 チェンナイまとめ書き チェンナイ

チェンナイにはやられっぱなしであった。

どうも大都会には体質が合わないらしく、ムンバイではずーと下痢が収まらず、チェンナイでは頭痛・発熱そして風邪とまったくのいいとこなしであった。
せめてもの救いは、熱が 38.4度まで上がり、チェンナイの気温を抜いたことで一矢を報いたことであろうか。

発熱は着いた翌日から始まり、次いでひどい頭痛に見舞われた。
本当に頭が割れてしまうのではないかと心配になるほどの痛みであった。
何が心配かって、頭が割れたら中からくだらないことがぞろぞろ出て来て恥ずかしいではないか。
この頭痛はインドの薬で何とか治ったが、翌日から寝込んだ分を取り戻そうと炎天下を歩き回ったら、今度は風邪を引いてしまった。
まったくついていないのである。

それでも少しはチェンナイの名所なるものを見ておこうと、得意のオートリキシャをつかまえ運転手を5時間も拘束したので、その辺を「チェンナイ報告」とさせて頂きたい。
いや!ぜひ、そうさせて頂く次第である!

インドでは道を歩いていると、後ろからオートリキシャがのろのろと付いて来て、追い越しざまに「乗らないか?」と言ってきたりする。
まるで下手なナンパのようである。

しかしその日出会った運転手は、何も言わずに上目遣いでこちらを見ながらゆっくり通り過ぎようとしていた。
私はその男を見て「こいつだ!」と直感し、こちらから近づいて行った。

私はその日、チェンナイのマリーナビーチという海岸と、大きなバニヤンの木を見に行こうと思っていたのである。
すこし長距離になるし時間も長くなるので、あまり強引で調子のいい運転手を避け、こちらの言いなりになりそうな運転手を物色していたところであった。
そこにその男が通りかかったわけである。

運転手に行き先を告げ、いつものように料金交渉に入ろうとすると、男はメーターで行くと言ってきた。
通常オートリキシャの運転手は、旅行者などにはメーターを使わずに高い料金を言ってきたりする。
従って私はメーターで乗ったことがほとんどなかった。
いったいいくらになるのか楽しみでもあったので、早速乗り込み出発したのである。

まずは、マリーナビーチである。
ここはチェンナイの東側にあるベンガル湾岸の浜辺であり、なかなか美しいと評判の浜辺なのである。行かない手はないであろう。

海岸沿いの道にオートリキシャを停車させ、運転手に「波打ち際まで行って来るから、ここで待っていてくれ」と言い残し、私は砂浜を横断し始めた。
運転手はおとなしく待っているが、このまま私が金を払わずにどこかへ行ってしまうとは思わないのだろうか?

砂浜は私が想像していたよりずーと幅があり、波打ち際まで5分以上かかってしまった。

たしかにきれいな海である。

しかし誰もおらず、小さな漁船が何隻か浜に上げてあるだけである。
しばらく荒々しい波など見つめていたが、私は失恋中の身でもなく、特にそれ以上することがない。
しかたがないので写真などをぱちりと撮って帰ることにした。
こんな何も無い海の写真は、撮る前からどんなつまらない写真になるか分かってしまうほどである。
やはり景色も人間も、整いすぎているとつまらないのだ。顔なんか少し曲がってたほうがいいくらいである。

オートリキシャにたどり着いた私は、息も絶え絶えの状態であった。
昔「おれは男だ!」などという番組で、よく海岸を走るシーンが出てきたが、こんなにきついものだとは・・・
森田健作議員の健闘を称えたい。

さて、お次はバニヤンの大木である。
バニヤンというのは、水平に伸ばした枝から蔓が垂れて行き、やがて地面に達した蔓はそこに根を張り幹になるという木である。
インドを代表する木なので、見たことのある人も多いと思う。
その古木が一大ファミリーを形成している場所があると言うのである。

程なくその大木があると言う場所に着いたのだが、門番が入れてくれない。
時間外だと言うのである。
なるほど看板には「開放時間 8:30~10:00、14:00~16:00」となっている。
時計を見たら10時20分であった。おしい!
しかしせっかく来たのだ。このまますごすご帰るわけにはいかない。
それにたった20分の差ではないか。
ここはインドなんだぞ!なんだ、20分くらい!

私は門番のじいさんに、「遠くからわざわざここのバニヤンの木を見に来たのだ。明日はもうチェンナイを発たなければならないのだ」と言ってみた。
するとじいさんは「今は他の人もいるので入れてやるわけにはいかんが、午後1時に来ればわしがこっそり入れてやる」と言う。
うーん、2時まで待たなければならないのが、1時間だけまかったか。
まあ、それでもいいだろうと、じいさんの手にお金を握らせ「入れてくれたらまたやるからな」と悪代官と悪徳商人のようなやり取りを交わし、その場を後にした。

さて、問題は1時までの約2時間半の時間をどう過ごすかである。
運転手と協議の結果、近くのナショナル・パークという公園に行くことにした。

ここには、ちょっとした動物園といった感じの「子ども公園」と、インド各地の爬虫類を集めた「へび園」があるのだが、どちらも見るからに大した事なさそうな公園であった。
しかし、なにしろ時間をつぶさなければならないのだ。ここは両方に入るしかないであろう。

運転手にここで待つように指示すると、運転手は「おれも行く」と言い、さっさと窓口で二人分の切符を買ってしまった。
私はのんびりとその公園内をぶらつこうと思っていたのに、とんだガイドが付いてしまった。

案の定、ガイドと化した運転手は、「あれが鹿だ」とか「あれが猿だ」とか言いながら先に立って歩いてゆく。
なんだ!動物なら私の方が詳しいのだぞ!
それにこのペースでは2時間半という膨大な時間をつぶせないではないか。

ガイドはどんどん先へ進んで行き、好き勝手に案内をしている。
猿に「ハロー」なんか言っている。
さては自分が来たかっただけなのだな!

今度はガイドが誰か知らない男と話している。
ガイドが呼ぶので行ってみると、「この男は飼育係であり、面白いものをみせてくれる」と言う。
いったい何を見せてくれるのだろうか?

その飼育係に案内されたのは、猿の檻であった。
飼育係は「カメラを用意しろ」と言う。
言われた通りカメラを構えると、一匹の猿に敬礼をさせた。

おー、たいしたものではないか。

私は写真を撮って「とてもグッドだった」と礼を述べたのだが、飼育係は「もっと写真を撮れ」と言って猿に何回も敬礼を強要するのだ。
猿は歯を剥いて怒るののだが、その度に飼育係は棒で檻を叩き、脅している。
私は私で、こんな柵越しの写真を何枚も撮ったってしかたないので、「もういい、もういい」と言い、やっと猿と私は開放された。

しかし開放されたのは猿だけで、飼育係は私に「次はワニだ!来い!」とひとり張り切り、ずんずん歩いて行く。

ワニの檻に来た飼育係は、鍵を開けて中に入って行った。
ワニのそばまで行った飼育係は、「カメラよーい!」と映画監督みたいなことを言う。
まあ、私も何をするのか楽しみだったのでカメラを構えた。
もしかしたら、あのワニとレスリングのようなことでも始めるのではないかと思ったのである。
すると飼育係はまたしても棒を取り出した。
しかもさっきのよりぜんぜん太いではないか。子どもの腕くらいの太さがある。
ワニに近づいて行った飼育係は、その棒でワニの鼻先をぼこぼこ叩きだした。
当然ワニも怒って噛み付こうと口を開け身をよじる。
それを写せと言うのである。
私は泣きそうになりながら、何枚か写真を撮った。
なにしろ周りには、他のお客も集まりだしている。これでは私が動物虐待の首謀者のようである。
そこらへんの意識の高い国なら、その飼育係と私が、民衆からぼこぼこにされるところであろう。
しかしここはインドである。周りの観客も喜んで見ているようである。
飼育係はますます張り切り、今度はしっぽの方をぼこぼこ叩いている。

ワニの檻から出て来た飼育係は、まだ何かやりそうな雰囲気だったので、私は運転手を伴ってお礼もそこそこに、その場を立ち去ったのである。

さて本来なら次はへび園であるが、これはインドに生息するへびを一同に集め展示してあるだけで、別に飼育係によるへび殴打事件もなかったので割愛する。

なんとか2時間ちょっとの時間をつぶし、門番のじいさんの所へ戻ってみると、別の門番がいて2時までは入れないと言う。

ふっふっふっ、そんなことを言ったって、さっきのじいさんに了解をもらっているんだもんね。
まだ1時10分前だから、あと少しの辛抱だもんね。と余裕の私であった。

ところが1時を10分過ぎても20分過ぎてもじいさんは現れない・・・
くそ!賄賂を受け取っておきながら、持ち逃げかい!

結局われわれは、その門から入るのを諦め、別の門を突破しようと移動した。

別の門にも当然門番がいて、やはり入れてくれない。
交渉の末、やっと入れたのは2時15分前であった。
これだけ労力を費やして、縮めた時間がたったの15分である。
今日私がつぶした無駄な時間から見れば、なんて小さな時間であろう。
やはり人間、不正を考えずに真面目に生きた方が得であると、つくづく思い知らされた日であった。

そんな苦労の末に見たバニヤンの大木は、長い長い時間を生きて来ており、いくつもに枝分かれしたファミリーともども、ほんの僅かの時間を待ちきれないおろかな人間を見下していたのであった。

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