暦の上では・・・
関東地方では厳しい残暑もひと段落して、昨日あたりから涼しくなって参りました。
そして今日はまた一段と涼しく、いまだにクールビズで仕事をしている私は短パンから出た足が寒くてしょーがないというありさまです。
急に涼しくなりすぎ!
さて、敬老の日です。
以前は敬老の日は9月15日と決まっていました。
しかし例の「ハッピーマンデー」計画により、9月の第3月曜日ということになったわけです。これによって連休が増えたというわけです。
しかしわざわざ英語で「ハッピーマンデー」なんて言い方をしちゃあ、お年寄りには分かりづらいというものです。せめて敬老の日くらいは「極楽の月曜日」とか、そんな風にわかりやすく言って欲しいものです。
だいたい最近なんだか難しいカタカナ言葉が平然と使われすぎています。
先日の衆院選でも、ある党首が「わかりやすいマニフェスト作り」なんてことを言っておりましたが、マニフェストって言葉自体わかりづらいです。
中にはカニフェスタと間違えてカニ汁を振舞われると思い、ご飯だけ持参で出かけてしまった人も、おそらくはいたであろうと思うわけです。それは想像しただけで悲しい光景なわけです。
そんなことで何を見ても食い物に見えてしまう季節です。
夏の間はあまり食欲がなかった人も、秋風が吹いて参りますと食欲が出てくるのでございます。
この夏場に食欲が落ちる現象は通常「夏バテ」などと呼ばれ、食欲減退の原因は「暑さ」というのが定説でありますが、最近になって私がなんとなく発見した事実は、それとはちょっと違います。
実は夏場は収穫の秋を前にして一年中で一番食料が少ない季節なので、人間の体が自然に「食欲を抑制」しているのではないかなあ、たぶんなあ、そんなところじゃないのかなあ、という学説です。
この学説はまだ誰も知らないものです。なにしろこのメルマガを書きながら思いついた・・・いえ、発見したことだからです。
この学説を元にすると、お昼になるとお腹が空くのは、そろそろ食事の準備ができる頃だからだということになります。
つまり人間は、現実的に得られそうなものに対して、より強く欲求が芽生えるということなのであります。
その証拠に、私はラーメン屋さんでラーメンが目の前に置かれたとたん、「ラーメン食べたい欲」が最高潮に達し、太っといヨダレをでぇ~と垂らしてしまったことがあるのです。
それは決して私の口元がだらしないわけではなく、あの湯気を立てながら運ばれて来たラーメンが「今まさに得られん!」とする、その「現実感」の所以なのでありますよ。じゅるじゅる。
*このメルマガの後半へ続く
〔本題〕実際のメルマガではここに新着情報などが載ります。
*このメルマガの前半からの続きです。
確かに絶対に手に入らないだろうというものは、意識の中ですでに「非現実」として処理されていて、始めからあまり欲しがったりしないのでしょうが、その反面、仏教で言うところの「四苦八苦」つまりは八つの苦しみの中には「求不得苦(ぐふとくく)」なんてのがありまして、これはまあ欲しいものが手に入らない苦しみなわけです。
求不得苦は世の中にあるいろいろな苦しみの中で、見事にベスト8に輝いた苦しみです。
トーナメント方式でしたら準々決勝ですし、オリンピックなら入賞です。
つまりは相当の実力派なのであります。
では他の七苦は何かといいますと、有名どころの「生」「老」「病」「死」が「四苦」でして、まあこれは苦しみ界の四天王ですね。クリカンみたいな地位にあるわけです。
そして「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)または五盛陰苦(ごじょうおんく)」というものが「求不得苦」と並んでベスト8にコマを進めております。
しかし実際にわれわれの体験する苦しみは、この八つのどれかに分類されるという単純なものではありません。すべてはそれら八苦の複合体といえるのです。
たとえば電車の中で便意をもよおしたとします。
これが「四苦八苦」のうちのどれにあたるか見てみましょう。
まず、これは「下痢」という「病」の苦しみです。
そして「トイレに行きたい!」というのは、内部から湧き上がるむらむらとした欲求の表れで「五陰盛苦」と言えるのです。
そしてやっと駅に着いてトイレに駆け込んだら・・・あらら紙がない・・・でももう我慢できない・・・XXXXXXXX
ここで「求不得苦」の登場です。今さら得られないトイレットペーパーを欲しがるというないものねだり。
しかたがないんで、パンツでふいてしまいます。
そしてパンツは汚物入れに・・・あーあ、このパンツ気に入ってたのになあ。
愛するものとの別れ「愛別離苦」です。
どうです、すごいでしょう。
このように何気ない朝の風景にもいろんな四苦八苦がひそんでいるのです。
とまあ、なんだか今回は「苦」「苦」と息苦しい話題になってしまいましたが、何事も考え方次第で変わるものだと思います。
そりゃあ「老」や「死」は避けられない事実ですが、どうせ生きるなら何事もいい方に解釈して、「苦」を「楽」に置き換えて生きたいものです。
あまり得難いものを追い求めず、足元をしっかり見つめましょう。
幸せの青い鳥は、案外身近なところにいるものです。
♪クッククック~、クッククック~、青いとりぃ~
あっ、
ここにも八苦が・・・
では、また来週!