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2007年6月8日:インド出張レポート・その22

         
  • 公開日:2022年8月1日
  • 最終更新日:2022年8月5日

ラクダ隊商の隊長こと松本です。
その後いかがお過ごしでしょうか。

暦の上では・・・

いよいよ日本列島は梅雨の季節を迎えました。

予報では関東地方も8日あたりが梅雨入りということでしたが、今日がその8日なわけですよ。どうなんでしょう?梅雨入りしましたでしょうか?
なにしろこのメルマガは7日に書いてるものですから、そこんところが現時点ではわからないわけですよ。

とにかくまあ梅雨入りはもう時間の問題です。
くれぐれも食中毒にはお気を付け下さい。

しかしすごい人気ですねえ、両王子。

もちろんハンカチ王子とハニカミ王子のことです。

ハンカチ王子は見事優勝投手になり胴上げなんかされてました。
一方ハニカミ王子も試合中に盗聴なんかされそうになってました。

とにかくすごい盛り上がりで、こういうのを昔の言葉で「フィーバー」って言うんですよ。わかりましたか、若者のみなさん。

あっ、そこでうなずいてるあなた。

ディスコかパチンコ屋でフィーバーしてた口じゃないんですかあ?

 

さて、それではここからインドの話題です。

まあ今回もビカネールの旅のお話しなのですが、ようやくホテルから出て観光に向かうことになりそうです。

【前回までのあらすじ】

ひょんなことで泊まることになったヘリテージホテルでは、これまたひょんなことに結婚式に遭遇し、ひょんなことで披露宴の乾杯とそれに続く打ち上げ花火なんかを眺めたりしたのでありました。(すげえ簡単)

【あらすじおしまい】

そんな結婚式の夜から一夜明けました。

窓を開けて空を見上げれば、今日も実によく晴れ渡り、絶好の観光日和になりそうです。

そんなわけで今日は、本来昨日行くはずだった場所も含めて観光しなければなりませんので、さっさと身支度を整えて出発です。

レセプションやその前の中庭には、これから観光に向かおうとする人たちがたくさんいました。見れば昨夜レストランで一緒になったフランス人の団体さんや、結婚式の招待客の人たちのようです。

そんな人たちをかき分けるようにしてレセプションを抜け、優雅な足取りで階段下の車寄せまで下りて行ったのですが、我らがアンバサダーの姿がありません。

あれ? ドライバー氏にはちゃんと9時出発って言っておいたのに、おかしいなあ?

時計を見ればもう9時10分です。
それでもまあそろそろ来るだろうと思い、その場で待っていたのですが、待てど暮らせど一向に来ないじゃないですか。

そのうち大型バスが到着し、フランス人の団体さんがぞろぞろと乗り込んで行きました。
かたわらでそれを見ていた私たちは、なんだか置いてけぼりをくらわされたような感じです。しかもバスの高い位置から見下ろされ、「ジャポンの車、来ないわねえ、ほっほっほっ」などと言われているようでくやしいです。

そもそも車寄せなんてえ場所は、車が来てから出てゆくべきもので、こちらが車を待ち続ける場所じゃあないのです。
しかもここは日よけの屋根などないのです。いくらまだ3月で、しかも午前9時とは言え、インドの太陽の力をバカにしてはいけません。
もうすでに黒い頭髪はだいぶ熱くなり、このままでは観光の前に病院に行くことになりかねません。

そこで私たちは一旦レセプションまで戻ることにしました。
しかしこの階段を昇ることが、こんなに屈辱的なことだとは知りませんでした。なんだか階上からみんなが、「ジャパニの車、来ないねえ、へっへっへっ」と笑っているような気がするのです。

レセプションは結婚式関係の人たちでまだ込み合っていました。
新郎らしき人が清算をしていたり、クリーニングに出した洋服を受け取ったりしています。

そんな活気あるレセプションのソファーに座り、今か今かと車を待ち続けたのですが、それでもやっぱり車は来ません。

やがて結婚式関係の人たちの車も次々と到着し、次第にレセプションからは人の姿が消えて行きました。

あ~ぁ・・・どうなっちゃってるんだろう・・・

結局アンバサダーが到着したのは、約束の時間から1時間ほど過ぎた頃でした。

私は憮然としながら階段を下り、それを緊張気味に待ち構えているドライバー氏に詰め寄りました。

おい、いったいなんで遅れたんだ!

するとドライバー氏は、

「バッテリーのトラブルです・・・」

と言うではありませんか。

ったくう!

だいたいインド到着初日からして、空港からホテルに向かう途中で一度バッテリー上がりを起こしていた車なのです。
デリー市内ならたとえ車が動かなくなっても、代わりの車を呼ぶとか、まだなんとか策もあるだろけど、こんな遠くまで来ちゃってさあ、車が動かなくなったら大変だろうがよお!なんとかしとけよ、バッテリーくらいさあ!

さすがのインド人のドライバー氏も、このことに関しては相当反省しているようで、しきりに謝っています。
それにあまり責めて逆切れされ、このまま私たちを乗せずにデリーに帰られても困りますので、もうそのことは水に流すことにしました。

さあ、遅れを取り戻すべく、さっさと出発です!

 

*このメルマガの後半に続きます。

〔 中略 〕

*前半からの続きです。

 

私たちがまず目指したのは、ビカネール市内で最大の観光スポット、「ジューナーガール城塞」です。

ジューナーガール城塞は、1588年から1593年にかけてムガル皇帝アクバル治世の下、将軍ラジャ・ライ・シンによって造られました。
城塞を囲む石の城壁は1km弱もの長さがあり、濠を隔てて屹立するその姿は、実に堅牢にして優美で、気品さえうかがえるほどです。

とまあこういう観光スポットを訪れる際には、面倒でもその歴史をひも解いたりしなければならないわけですし、またそうすることによって深い見方なんてものができるわけですが、ここはそんな細かい歴史を知らなくても結構楽しめます。

さてこの城塞に入るには、その正面玄関(少なくとも今は)にあたるスーラジポール門(太陽門)から入ります。
大型バスなどはお堀端の駐車スペースに停めて、そこから歩いて入ることになるのですが、乗用車はそのままこの門から中へ進めます。
こんなすごい歴史的建造物に車で進入できるなんて、ちょっと意外に思うかもしれませんが、こうしたことはインドではわりとよくあることで、象のタクシーで有名なジャイプールのアンベール城なども、昔は一部の車両は入って行くことができました。また同じくジャイプールのシティ・パレスでは、今でも狭い城門から観光車両が出入りしています。
とにかくアンバサダーの後部座席にふんぞり返ったまま、この城塞の内部に入って行くというのは、なかなか気分が良いのであります。

でも城門内の駐車場は車が20台ほどしか停められないような狭いものでした。
これじゃあきっと近い将来一般車両はすべて進入禁止になることでしょう。

では、入場料100ルピーを払って中に入ります。

この入場料の中にはガイド料も含まれているようで、中に入るとガイドと名乗る男が待ち構えていました。
男は入場者が何人か集まるのを待っているようで、私たちを含めて6名ほどになったところでいよいよ案内を開始しました。
案内はすべて英語で行われますが、案内の対象物を見ながら聞く、要点をついた説明はとてもわかりやすいものでした。

この城塞の内部には、装飾の美しいマハラジャ用の部屋やその宝物が飾られています。
そんな数々の宝物の中で目を惹いたのは、意外にも金属製の武器でした。
武器は長剣や短剣、槍や盾、それからなんだか腕にはめて使う刃物など様々なものが展示されているのですが、驚いたのはそのどれもがとても大きく重そうなのです。
昔のこの辺の人はそんなに大きく、そして腕力もあったのでしょうか?

その他にもマハラジャが所有していた豪華な持ち物が、小さな日用品から果ては小型飛行機なんてものまで、それはそれはたくさん展示されています。

しかし残念なことにその辺の細かい描写は、私の語彙の少なさと記憶の薄れとでうまく表現できませんので、簡単ではありますがとりあえず一言で、

すごかったです!

とまとめさせて頂きたいと思う次第であります。

あっ、でもそのうちブログの方では写真の力を借りて、もう少し細かく紹介させて頂くつもりですので、今回のお話しでは物足りない方は、ぜひそちらにもお越し下さいませ。

それでは、今週はこの辺で失礼致します。

また来週!

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